B-25 (航空機)
ノースアメリカン B-25 ミッチェル
B-25 ミッチェル (Mitchell)はノースアメリカン社によって開発・製造されたアメリカ合衆国の双発中型爆撃機。
概要
本機は第二次世界大戦中のあらゆる局面において用いられ、連合国に敵対するドイツと日本に対する攻撃に使用された。「ミッチェル」の愛称はアメリカ陸軍の将校ウィリアム・ミッチェル准将にちなむ。なお、アメリカの軍用機のうち個人名が愛称として採用されたのはこのB-25「ミッチェル」のみである。派生型を含めた総生産数は約10,000機。
開発は1938年より開始された。初飛行は、1939年1月29日。主翼は中翼配置であり、レシプロエンジンを2基装備している。尾翼は双垂直尾翼(twin tail)である。
B-25を運用したのはアメリカ陸軍・海軍だけではない。オーストラリア、イギリス(900機以上)、中華民国、オランダ、ソ連を含む国々によって多数のB-25が運用された。
B-25が爆撃機として日本で一躍有名になったのは、1942年4月18日のドーリットル空襲(太平洋戦争でアメリカによる初の日本本土空襲)のときであった。またアメリカでは1945年7月28日にニューヨークのエンパイアステートビルディングに衝突した飛行機としても有名である。
B-25H
B-25Gを改良した地上・艦船襲撃バージョン。機首には4挺のM212.7mm機関銃、1門の75mm砲、それに加え、ポッド式の12.7mm機関銃を機首横に4挺装備している。75mm砲はG型のM4を軽量化したT13E1 75mm砲である。なお、T13E1はM24軽戦車の主砲の原型となった。
上部ターレットは前方に移され、下部ターレットは撤去、代わりに12.7mm機関銃が横に装備されている。爆弾搭載量は3,200ポンドに引き上げられている。
1943年5月にB-25Cブロック10を改良したH型試作機が初飛行。
換装を含めて1,000機が生産された。
運用国
スペック
以下スペックはB-25Jの物
- 乗員: 6名(操縦2名 航法/爆撃1名 回転銃座/機関1名 無線/側面銃座1名 尾部銃座1名)
- 全長: 16.1 m
- 全幅: 20.6 m
- 全高: 4.8 m
- 翼面積: 57 m2
- 空虚重量: 9,580 kg
- 最大離陸重量: 19,000 kg
- 動力:ライト製 R-2600 サイクロン × 2
- 最大速度: 442km/h
- 巡航速度: 370km/h
- 航続距離: 4,300km(フェリー)
- 作戦行動半径:2,170km
- 実用上昇限度: 7,600m
- 固定武装: 12.7 mm 機銃 x12門
現存する機体
型名 | 機体写真 | 国名 | 保存施設/管理者 | 公開状況 | 状態 | 備考 |
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B-25B | アメリカ | National Museum of the United States Air Force | 公開 | 静態展示 | 米陸軍 S/N 43-3374。[1] | |
B-25J | アメリカ | Planes of Fame Air Museum | 公開 | 飛行可能 | 米陸軍 S/N 44-30423。[2] | |
B-25J | アメリカ | Flying Heritage Collection[3] | 公開 | 飛行可能 | [4] |
関連項目
- ドーリットル空襲
- キ109 (航空機)
- フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白-主人公の操縦経験があった機種