ATS (F1・ドイツ)

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ATS
参戦年度 1978 - 1984
出走回数 89
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 7
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1978年アルゼンチンGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1984年ポルトガルGP
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ATS(Auto Technisches Spezialzubehö)は1978年から1984年までコンストラクターとしてF1に参戦していたドイツのレーシングチーム。チーム代表はギュンター・シュミット

概要[編集]

初期[編集]

ATSは1963年に創業したドイツのホイールメーカーである。1974年からF1に参戦していたペンスキーを1976年末に買収したのがATSのF1における始まりである。

F1参戦[編集]

ヴィンケルホックがドライブするD7

1977年はチーム名は「ATS・レーシング・チーム」に変更されたが、コンストラクター名はペンスキーでの参戦であったため、コンストラクターとしてのATSの参戦は1978年からである。

1978年はシーズン序盤はペンスキー・PC4を改造したHS1を、後半はD1を使用。7名ものドライバーを起用するも、ノーポイントに終わった。

1979年から1982年にかけては入賞なしか、入賞しても1回か2回だけというシーズンを送る。1981年に使用されたHGS1は、チーム代表のハンス・ギュンター・シュミットの頭文字から取られている。しかし、この後のマシンは再びDの後に数字が来る方式になっている。

1983年からはBMWターボエンジンの供給を受け、グスタフ・ブルナーによってデザインされた新車のD6は、F1マシンで初めてメス型によって製作されたカーボンモノコックを使用。メス型を用いることでオス型モノコックで必要だった表面のカウルを装着する必要がなくなった。しかし、このシーズンもポイントを獲得することができなかった。

1984年にはゲルハルト・ベルガーが第14戦イタリアGPで6位入賞を果たすも、開幕時点では1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンを走らせていたベルガーの入賞はカウントされなかった。この年をもってF1から撤退する。

変遷表[編集]

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 入賞回数
1977年 ATS・レーシング・チーム
* Interscope Racing(PC4)
ペンスキー・PC4 G フォードDFV バルボリン・スノコ ジャン=ピエール・ジャリエ
ハンス・ハイヤー
ハンス・ビンダー
ダニー・オンガイス
12位 1
1978年 ATS・レーシング・チーム
* F&S Properties/ATS Racing Team(HS1)
HS1,D1 G フォードDFV シェル ヨッヘン・マス
ジャン=ピエール・ジャリエ
ミハエル・ブリークモレン
アルベルト・コロンボ
ケケ・ロズベルグ
ハンス・ビンダー
ハラルド・アートル
-位 0
1979年 ATSホイール D2,D3 G フォードDFV シェル ハンス=ヨアヒム・スタック 11位 1
1980年 チーム・ATS D3,D4 G フォードDFV シェル マルク・スレール
ヤン・ラマース
ハラルド・アートル
-位 0
1981年 チーム・ATS D4,HGS1 M

,A

フォードDFV シェル ヤン・ラマース
スリム・ボルグッド
12位 1
1982年 チーム・ATS D5 G フォードDFV シェル マンフレッド・ヴィンケルホック
エリセオ・サラザール
12位 2
1983年 チーム・ATS D6 G BMW M12/13 シェル マンフレッド・ヴィンケルホック -位 0
1984年 チーム・ATS D7 P BMW M12/13 シェル マンフレッド・ヴィンケルホック
ゲルハルト・ベルガー
-位 0(1)[1]

*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など

現在[編集]

DTM(ドイツツーリングカー選手権)ユーロF3にレーシングホイールを供給している。また、ポルシェメルセデス・ベンツなどへ、純正ホイールやアフターマーケット向け製品などが供給されている。

脚注[編集]

  1. ^ 開幕時には1台のみのエントリーとなっていたため、2台目となっていたベルガーは入賞するもドライバーズ・コンストラクターズポイント共に加算されていない

関連項目[編集]