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  • 1955年から1956年にかけて以下シリーズが製作された。 この世の花 第一部「慕情」(1955年31日) この世の花 第二「悲恋」・第三「開花」(1955年38日) 続この世の花 第四「おもいでの花」・第五「浪花雨」(1955年116日) 続この世の花 第六部月の白樺」・第七部別れの夜道」(1956年219日)…
    9キロバイト (1,016 語) - 2022年5月10日 (火) 14:27
  • 雪代敬子のサムネイル
    雪代敬子 (カテゴリ すべてスタブ記事)
    この世の花 第六部/月の白樺 第七部/別れの夜道(1956年) この世の花 第八/さすらい浜辺(1956年) のんき侍大暴れ(1956年) 漫才学校 爆笑八人組(1956年) 文七元結より 泣き笑い五十両(1956年) スタジオ超特急(1956年) 女優誕生(1956年) この世の花・完結篇…
    13キロバイト (1,664 語) - 2024年1月19日 (金) 16:37
  • 川喜多雄二 (カテゴリ 出典を必要とする記事/2016年5)
    柔道開眼(1955年、松竹) この世の花 第四 おもいでの花 第五 浪花雨(1955年、松竹) 角帽三羽烏(1956年、松竹) 君うたごえ(1956年、松竹) この世の花 第六部 月の白樺 第七部 別れの夜道(1956年、松竹) 足ある幽霊(1956年、松竹) ここに幸あり 前篇・誘惑都(1956年、松竹)…
    9キロバイト (1,073 語) - 2023年9月29日 (金) 13:53
  • 島倉千代子のサムネイル
    島倉千代子 (カテゴリ 東京都区出身人物)
    この輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎遠因となった。気持ち沈んだ千代子ために母・ナカは『リンゴ唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花作曲は『リンゴ唄』作曲と同じく万城目正によるもの。 1947年(9歳)、東京に戻る。姉
    102キロバイト (6,357 語) - 2024年2月11日 (日) 15:14
  • 水原真知子 (カテゴリ 出典を必要とする記述ある記事/2021年12)
    2021年129日閲覧。 ^ “美女決闘”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年129日閲覧。 ^ “綱渡り見世物侍”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年129日閲覧。 ^ “この世の花 第4・5”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年129日閲覧。…
    18キロバイト (1,299 語) - 2023年11月26日 (日) 10:47