狐の呉れた赤ん坊

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狐の呉れた赤ん坊
監督 丸根賛太郎
脚本 丸根賛太郎
原作 谷口善太郎
出演者 阪東妻三郎
羅門光三郎
阿部九洲男
橘公子
沢村マサヒコ
撮影 石本秀雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 日本の旗 1945年11月8日
上映時間 85分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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狐の呉れた赤ん坊』(きつねのくれたあかんぼう)は、1945年(昭和20年)11月8日公開[1]日本映画である。大映製作。監督・脚本は丸根賛太郎、主演は阪東妻三郎モノクロ[2][3][4]またはパートカラー[5]スタンダード、85分[5]。初回興行は富士館[3]。映倫番号はA-244[4]

阪東妻三郎の戦後第一回主演作品。GHQにより封建主義の表現を控えるように指示があったため[6][7]チャップリンの『キッド』を彷彿とさせる人情喜劇に仕上がった[7]。阪東妻三郎の演技の新境地ならびに新しい時代劇の方向を示したと注目された[1]山田洋次は『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』で100本のうちの1本に選出している。

1971年、同じ大映で監督三隅研次、主演勝新太郎でリメイク版が(脚本はオリジナルと同じ丸根賛太郎の物を使用)[7]、また1981年にはテレビドラマ版が作られた(制作はユニオン映画フジテレビ[8]。このテレビドラマ版では、オリジナル版の監督である丸根賛太郎が監修に当たり、主役もオリジナル版の阪東妻三郎の実子である田村高廣が務めた。またこのテレビドラマ版では題名が『狐のくれた赤ん坊』と若干表記が違い、内容も脚本が新たに窪田篤人によって書き下ろされており、オリジナルとは若干内容が異なる。その他に、1961年に東映で監督深田錦之助、主演近衛十四郎で『無法者の虎』の題名でもリメイクされている(こちらも脚本はオリジナル版を使用)。

あらすじ[編集]

大井川川越し人足で乱暴者の寅八は、街道筋に狐が出ると聞き、退治に行く。しかしそこで捨て子を拾い、育てる羽目に。それから七年、実の父子のように暮らす二人だったが、実はその子供はある大名の妾の子だった……[5][7]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

リメイク版[編集]

狐のくれた赤ん坊』は1971年5月29日公開。大映製作。

スタッフ[編集]

  • 監督:三隅研次
  • 原作:谷口善太郎/丸根賛太郎
  • 脚色:丸根賛太郎
  • 撮影:牧浦地志
  • 美術:内藤昭
  • 録音:林土太郎
  • 音楽:鏑木創

キャスト[編集]

書籍[編集]

  • 『日本カルト映画全集 狐の呉れた赤ん坊』円尾敏郎編(1996年、ISBN 4948735469

脚注[編集]

  1. ^ a b 田中純一郎『日本映画発達史Ⅲ』戦後映画の解放』、中公文庫、P.265
  2. ^ a b c 狐の呉れた赤ん坊(1945)(KINENOTE)
  3. ^ a b c d e f g 狐の呉れた赤ん坊(日本映画データベース)
  4. ^ a b c d e f 狐の呉れた赤ん坊(1945)(一般社団法人日本映画製作者連盟)
  5. ^ a b c 狐の呉れた赤ん坊(KADOKAWA)アーカイブ 2021年10月19日 - ウェイバックマシン
  6. ^ 「日本映画および演劇の基本的問題は次の如し。封建的忠誠及び復讐の信条に立脚する歌舞伎的演劇は現代の世界においては通用せず、譎詐殺人および不信が大衆の面前において正当化され個人的な復讐が法律を無視して許容される限り、日本人は現代の世界における国際関係を支配する行為の根本を理解しないであろう」『映画演劇の政策方針に関するマッカーサー司令部発表』1945年9月22日(田中純一郎『日本映画発達史Ⅲ 戦後映画の解放』p.264)
  7. ^ a b c d 『ぴあシネマクラブ'90 邦画篇』、ぴあ、P.139
  8. ^ 狐のくれた赤ん坊(テレビドラマデータベース)
  9. ^ 香川良介(ウィキペディア)

外部リンク[編集]