帰って来たヨッパライ

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帰って来たヨッパライ
ザ・フォーク・クルセダーズシングル
初出アルバム『ハレンチ
B面 ソーラン節(7インチシングル盤)
悲しくてやりきれない(8cmCD)
リリース
規格 7インチシングル盤
8cmCD
ジャンル フォークソング
コミックソング
レーベル Capitol Records /
東芝音楽工業(7インチシングル盤)
EXPRESS /
東芝EMI
(8cmCD)
作詞・作曲 フォーク・パロディ・ギャング(松山猛北山修
作曲:加藤和彦
チャート最高順位
ザ・フォーク・クルセダーズ シングル 年表
-帰って来たヨッパライ
(1967年)
悲しくてやりきれない
1968年
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帰って来たヨッパライ』(かえってきたヨッパライ)は、ザ・フォーク・クルセダーズデビューシングルであり、同グループの代表曲である。

一般には「帰ってきたヨッパライ」と曲名が表記されることが多いが、初版レコードでは「帰って来たヨッパライ」となっている。キャピトルレコードによる英文曲名表記は "I ONLY LIVE TWICE" [注釈 1]。英題を命名したのは高嶋弘之ディレクターである[1]。この英題は映画 『007/You Only Live Twice』のもじりである。

解説[編集]

1967年12月25日[2]に東芝音楽工業(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパンユニバーサル ミュージックLLC)の洋楽レーベル・キャピトルレコードからシングル盤が発売された(7インチシングル盤規格品番:CP-1014、B面は「ソーラン節」を収録)。

ラジオ関西で放送されると、早回しのテープと奇想天外な歌詞で反響を呼んだ。「アングラ・フォーク」のブームを生み出した曲である[注釈 2]オリコンチャート史上初のミリオン・シングル1968年2月15日付にて達成)[3][4]で、日本のコミックソングの代表的な作品。

飲酒運転で交通事故を起こして死亡した、東北弁を話す主人公が長い雲の階段を通って天国へ登るが、その天国でも酒と美女に浮かれてばかりだったため、関西弁を話す「怖い神様」からの「お仕置き」で天国を追い出されて生き返る顛末を、テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。

途中で2度挿入される「神様」の説教は通常速度で録音され、早回しの伴奏にオーバーダビングしてある。「神様」の説教は、上記の通り北山修によるスローな関西弁で、バックに流れる「天国と地獄」とギャップがある。

メロディ自体はシンプルなリフを繰り返すもので、民謡草津節」の有名な歌い出し「草津良いとこ一度はおいで」をもじった歌詞も詠み込まれる。曲の間奏はビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」の間奏がパロディ風に演奏され、北山が扮する僧侶が般若心経読経し、続いてビートルズの「A Hard Day's Night」の冒頭の歌詞が読まれる。そしてベートーヴェンバガテルエリーゼのために」(北山の妹による演奏)が奏されフェイドアウトしていく。

加藤和彦によると、この曲はアメリカのカントリー・ソング「夢に見たヒルビリー天国」(英語: I Dreamed of a Hill-Billy Heaven)を下敷きにしたものだという[5]

もともとは、「フォーク・クルセイダーズ」名義だったインディーズ(自主制作)LPの『ハレンチ』に収められていた曲である。当時のフォークルのメンバーは北山修、加藤和彦、平沼義男、芦田雅喜の4人であったが、芦田がヨーロッパ旅行に出かけることになり、解散記念として自主制作LPを録音した。彼らが好きだった名作のカバーの中に、1曲のオリジナル作品を含めることが決まり、本作はその時に生み出された[6]

1967年11月5日[注釈 3]に、この曲がラジオ関西の深夜番組『若さでアタック』で放送されて近畿地方で密かなブームとなり[7]、それを聞き付けて原盤権を獲得したパシフィック音楽出版(PMP、現フジパシフィックミュージック)の専務だった高崎一郎が自らパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で流したところ、これがきっかけとなり、たちまち日本全国に反響が広がった[7]。PMPで実際に獲得交渉にあたった朝妻一郎と朝妻にこの曲を紹介した音楽評論家木崎義二の対談[8]によると、高崎がPMP社長でニッポン放送常務だった石田達郎にこの曲を聴かせたところ、石田は「この曲はオールナイトニッポンだけでかけろ」と指示。相乗効果で『オールナイトニッポン』も人気番組となった[注釈 4]

それで当時の全てのメジャー・レーベルがフォーク・クルセダーズとシングル盤の発売交渉を行ったが、東芝だけがフォークル側の「年内発売」の条件を受け入れ、彼らが吹き込んだ当初のモノラル録音のテープで発売する権利を得た[9][10]。このことがきっかけで、レコード会社の「原盤制作権」がクローズアップされることにもなった。シングル盤の売上は累計283万枚に達した[7][11]

作詞者の松山猛のもとに最初に入ってきた本作の印税収入は50万円、次も50万円で、トータルでも数百万円程度だったという[12]

早回しテープを使った曲であるため、コンサートでそのまま再現演奏することができないと思われがちであるが、ロックアレンジで演奏されることもあった。このときは端田がメインボーカルを取っている(レコーディング時のボーカルと12弦ギターは、加藤和彦)。2002年のフォーク・クルセダーズ新結成では、フォークルの演奏(アコースティック)にゲストの泉谷しげるが普通の声で歌っている。

なお、加藤が生前最後のニッポン放送でのインタビューにおいて、「早回し録音を北山修宅の居間で行った。北山宅に語学学習用のオープンリールレコーダーがあり、それを用いて早回しボーカルの録音を行ったが、早回し録音であるが故に、音程が合わず一日がかりで録音した」との苦労を語っている。

シングル盤のジャケットには、パロディであったのにもかかわらず、内容が内容だけに、「お寝み前にはお聞きならないようお願いします。」と注意書きが記されていた。

アメリカにおいてもキャピトルレコードから“Tokyo Folk Crusaders”名義でシングル「I Only Live Twice」(B面は「Soran Bushi」。7インチシングル盤規格品番:2144(販売盤)/ P 2144(非売品プロモ盤))が発売されている。

1991年にカップリングを「悲しくてやりきれない」に差し替えた8cmCDシングル盤が東芝EMIよりリリース。ジャケットのイラストは、漫画家タレントである蛭子能収が担当した。現在は廃盤となっている。

補足[編集]

収録曲[編集]

7インチシングル盤[編集]

  1. 帰って来たヨッパライ (I Only Live Twice)
  2. ソーラン節 (Soran Bushi)

8cmCD[編集]

  1. 帰って来たヨッパライ
    • 作詞:フォーク・パロディ・ギャング(松山猛・北山修)、作曲:加藤和彦、編曲:ザ・フォーク・クルセダーズ
  2. 悲しくてやりきれない

収録アルバム[編集]

  • ザ・フォーク・クルセダーズ名義のアルバム
    • HARENCHI
    • 紀元貳阡年
    • フォークル大百科事典
    • CDベストナウ ザ・フォーク・クルセダーズ
    • BIG ARTIST BEST COLLECTION/フォーク・クルセイダーズ
    • シングル・コレクション
    • TWIN BEST/フォーク・クルセダーズ・アンド・ゼン
    • メモリアル・フォーク・クルセダーズ
    • ゴールデン☆ベスト フォーク・クルセダース
    • NEW BEST 1500
    • スーパーベスト ザ・フォーク・クルセダーズ
    • おとなツイン・ベスト ザ・フォーク・クルセダーズ&MORE
    • 当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)(1968年7月のライヴ音源)
    • フォークルさよならコンサート(1968年10月のライヴ音源)
    • ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會(2002年11月のライヴ音源)
  • 加藤和彦のアルバム
  • オムニバスアルバム
    • 青春のバイブル'60(1987年5月1日)
    • フォーク&ロック大百科事典 Vol.1(1987年5月25日)
    • NOW!!Oldies(1989年1月25日)
    • オール・カレッジ・フォーク & ポップス 上巻(1989年10月25日)
    • あの一曲から始まった 音故知新 或る日突然~花嫁(1990年5月23日)
    • なつかしのバンド天国(1990年7月18日)
    • カレッジ・ポップス ベスト・コレクションVOL.1(1992年10月22日)
    • 青春のバイブル’60(1994年1月26日)
    • 世紀末・ア・ゴーゴー!!(1995年8月30日)
    • フォーク・ソング・アンソロジー ~オールナイトニッポン篇~(1998年6月17日)
    • 新・青春のバイブル'60 完全盤(1999年3月17日)
    • 20世紀ベスト フォーク & ニューミュージック・ヒストリー 東芝EMI編 1(1999年11月3日)
    • フォーク・コンピレーション・ベスト30(2001年8月22日)
    • the Big History-昭和・平成のポップス歌年鑑-(2001年12月12日)
    • スーパーエキスプレス 1号(2002年8月21日)
    • 歌うヘッドライト(2002年10月23日)
    • 青春歌年鑑'67 BEST30(2002年11月27日)
    • オールナイトニッポン「RADIO DAYS」Bitter Hits(2003年2月19日)
    • 想い出のフォーク&ポップス大全集(2003年7月9日)
    • 笑タイム(2003年9月29日)
    • 青春歌年鑑 総集編 60年代(2004年11月3日)
    • ベスト・フォーク100 ~青春のFolk&Pops~(2005年9月22日)
    • BEST NOW 21 フォーク(2005年12月14日)
    • フォーク歌年鑑'67 フォーク & ニューミュージック大全集2(2006年9月20日)
    • 関西ふぉーく&ぶるうす特撰(2007年3月21日)
    • 青春のフォーク・リクエスト ~ソニー・ミュージックダイレクト編(2007年5月9日)
    • オールナイトニッポン エバーグリーン 1(2008年1月23日)
    • 平凡ソング Vol.1 昭和40年代1号(2008年7月2日)
    • フォーク・ベスト・リクエスト(2009年8月5日)
    • あの素晴しい曲をもう一度(2010年1月20日)
    • フォーク・ソング ベスト(2010年4月7日)
    • フォーク熱中時代40(2010年4月14日)

映画[編集]

帰って来たヨッパライ
監督 大島渚
脚本

田村孟
佐々木守
足立正生

大島渚
出演者

北山修:中ノッポ
端田宣彦:チビ
加藤和彦:大ノッポ
緑魔子:ネエちゃん
渡辺文雄:毒虫
佐藤慶:青年
殿山泰司:煙草屋の老婆

小松方正:漁師
音楽 林光
主題歌 帰って来たヨッパライ
撮影 吉田康弘
配給 松竹
公開 日本の旗 1968年3月30日
上映時間 80分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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絞死刑」の田村孟、佐々木守、足立正生、大島渚など創造社の同人五人が共同でシナリオを執筆し、大島渚が監督したアングラ・レコードのヒットソングの映画化[15]

同時上映作品は『進め!ジャガーズ 敵前上陸』。

あらすじ[編集]

大学生活最後のバカンスに日本海へ遊びに行った悪友3人組(加藤和彦・北山修・端田宣彦)は、海で泳いでいる間に衣服を何者かに盗まれてしまった。そこで銭湯に行くが、湯気の中から現れたネエちゃん(緑魔子)に服を盗めと言われ、他人の服を着用した。しかし、銭湯を出た途端、見知らぬ青年(佐藤慶)にピストルで脅される…[16]

発売履歴[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番
松竹 VHS
1995年 松竹 VHS SB-0480 想いでの'60&'70年代POPS
2006年5月27日 松竹 DVD DA-0920 大島渚監督作品 第三集の1枚として
2012年12月21日 松竹 DVD DA-5929
2012年12月21日 松竹 DVD DA-5920 大島渚監督作品 第三集の1枚として

その他映像作品[編集]

  • また、『20世紀少年』では漫画版、実写版の両方でともだち暦3年のケンヂがバイクを駆けながら歌っている。
  • 他には、1995年公開映画の『勝手に死なせて!』の作中において、この曲がメインテーマ曲として使われている。

カバー[編集]

参考文献[編集]

  • 喜多由浩『『イムジン河』物語 “封印された歌”の真実』アルファベータブックス、2016年。ISBN 978-4-86598-018-9 
  • きたやまおさむ『コブのない駱駝 きたやまおさむ「心」の軌跡』岩波書店、2016年。ISBN 978-4-00-061158-9 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時の日本においては、洋楽レーベル(もしくはそれに近い和製洋楽レーベル)を通じて発売される和製ポップスレコードレーベルには(洋楽レーベルという建前上)英語題が併記されることが多々あった。
  2. ^ キャピトルレコード版シングル盤のジャケット表面には「これが話題のアングラ・レコード!」と表記されている。きたやまおさむ 2016, pp. 98–99
  3. ^ きたやまおさむ 2016, p. 96によれば1967年11月8日
  4. ^ 一方で、当時裏番組であった『パックインミュージック』(TBSラジオ)では番組が自動車メーカー一社提供であり、歌詞の内容がそぐわないことからこの曲を放送できなかった(2022年10月2日放送『1967年10月2日 オールナイト・ニッポンが生まれた日』での斉藤安弘の発言より)。
  5. ^ 「ソウルこれっきりですか」ではない。

出典[編集]

  1. ^ 喜多由浩 2016, p. 107.
  2. ^ きたやまおさむ 2016, p. 97.
  3. ^ 「CHART is HISTORY 101〜200 “ヨッパライ”初ミリオン」『オリコン・ウィーク The Ichiban』1999年5月24日号 1000号記念特別付録『オリコン歴代シングルBEST 1000 完全保存版』16頁。
  4. ^ 「初めの第一歩はここから チャートマニアへの道」『オリコン・ウィーク The Ichiban』1999年5月24日号 1000号記念特別付録『オリコン歴代シングルBEST 1000 完全保存版』34頁。
  5. ^ きたやまおさむ 2016, p. 93.
  6. ^ 製作経緯については『フォークル大百科事典』(CD規格品番:TOCT-8844)の解説書を参照した。
  7. ^ a b c 田家秀樹『読むJ‐POP―1945‐1999私的全史 あの時を忘れない』徳間書店1999年、117頁。ISBN 4-19-861057-6
  8. ^ 朝妻一郎『ヒットこそすべて ~オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』(白夜書房
  9. ^ これは北山修の記憶によるもの。喜多由浩 2016, p. 104
  10. ^ ただし、Musicman-NET Musicman's RELAY 第71回 加藤和彦氏によると、高崎一郎と当時東芝のディレクターだった高嶋弘之から熱心に誘われ、東芝が持っていた「キャピトル」レーベルの使用を条件に契約したという。
  11. ^ なお高嶋弘之によれば、公称280万枚、「実際には実売で200万枚くらい」とのこと。『週刊現代Special 2016年新春特別版』142頁。
  12. ^ 『週刊現代Special 2016年新春特別版』142頁。
  13. ^ 篠原章『J‐ROCKベスト123―1968~1996』(講談社文庫 ISBN 4062632764
  14. ^ 本田雅也 (2004年). “タツノコ世界遺産 ・ハクション大魔王企画書編”. 竜の子プロダクション. 2006年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月14日閲覧。
  15. ^ 帰って来たヨッパライ:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画”. MOVIE WALKER PRESS. 2024年3月28日閲覧。
  16. ^ 松竹株式会社. “帰って来たヨッパライ(DVD)”. 松竹DVD倶楽部. 2024年3月28日閲覧。
  17. ^ あの名曲「帰って来たヨッパライ」を史上初小梅太夫がネタ入りカヴァー。”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES (2007年11月27日). 2024年3月28日閲覧。
  18. ^ 全裸事件を自嘲!? 草なぎ剛のソロ曲「帰って来たヨッパライ」に話題集中 (2010年7月24日)”. エキサイトニュース (2010年7月24日). 2024年3月28日閲覧。
  19. ^ 長谷川白紙が「帰って来たヨッパライ」を大胆リメイク、柳楽優弥×長久允のWOWOWドラマ主題歌 | JOYSOUND 音楽ニュース”. news.joysound.com. 2024年3月28日閲覧。

関連項目[編集]