ダンス・ウィズ・ミー

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ダンス・ウィズ・ミー
オーリアンズシングル
初出アルバム『オーリアンズII
B面 エンディング・オブ・ア・ソング
(Ending of a Song)
リリース
規格 7インチ・レコード
録音 1974年9月-10月
エレクトラ・サウンド・レコーダーズ英語版カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ソフトロックポップ・ロック
時間
レーベル アサイラム・レコード
作詞・作曲 ジョン・ホール英語版、ジョアンナ・ホール (Johanna Hall)
プロデュース チャック・プロトキン英語版
チャート最高順位
オーリアンズ シングル 年表
「歌こそすべて」(Let There Be Music)
(1975年)
ダンス・ウィズ・ミー」(Dance with Me)
(1975年)
「スティル・ザ・ワン」(Still the One)
(1976年)
ミュージックビデオ
Dance with Me - YouTube
ミュージックビデオ
Orleans - Dance With Me - 10/15/76 - YouTube
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ダンス・ウィズ・ミー」(Dance with Me)は、オーリアンズのシングル。元々はアメリカ未発売の1974年の2ndアルバム『オーリアンズII』(Orleans II)に収録されていた曲で[3][注釈 1]、次の3rdアルバム『歌こそすべて』(Let There Be Music)にも収録され、そこからの2枚目のシングルとして1975年6月に発売された[2]

この楽曲は、ジョン・ホール英語版のギターにより最初に曲が出来上がり、その演奏を聴いた当時の妻のジョアンナ (Johanna)が冒頭のメロディーから自然に「Dance with me」というフレーズが思い浮かんだのだという[2]。ジョンは当初そのフレーズが当り前すぎるように思えて、もっと普通でない歌詞にしたかったが、最終的にジョアンナの提案を受け入れて彼女が歌詞を書き上げた[2]

「ダンス・ウィズ・ミー」は、全米ビルボードシングルチャートで6位[2][1][5]、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも6位を記録し[2]、オーリアンズにとって最初の大ヒット曲となった[2][5]

アール・クルーなどのギタリストをはじめ、多くのミュージシャンにカバーされている楽曲である[6][7]

トラック・リスト[編集]

US・7インチレコード[8]
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.「ダンス・ウィズ・ミー (Dance with Me)」  
2.「エンディング・オブ・ア・ソング (Ending of a Song)」  

B面の「エンディング・オブ・ア・ソング」(Ending of a Song)は、ラリー・ホッペン英語版マリリン・メイソン英語版が作詞作曲した楽曲である[8][9][5]

チャート記録[編集]

週間[編集]

チャート(1975) 最高位
アメリカ「ホット100・シングルチャート」(Billboard Hot 100) 6[1][2]
アメリカ「アダルト・コンテンポラリー・チャート」(Adult Contemporary) 6[2]
カナダ「RPM・シングルチャート」(RPM) 5[10]

年間[編集]

チャート(1975)
アメリカ「年間ビルボード・ホット・チャート」(Billboard Hot 100) 69[11]

レコーディング・ミュージシャン[編集]

出典は[2]

リミックス・ヴァージョン[編集]

カバー・アーティスト[編集]

出典は[6][7][13]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2ndアルバム『オーリアンズII』(Orleans II)は、日本とヨーロッパでは発売された[4]

出典[編集]

参考資料[編集]

外部リンク[編集]