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このウィキでページ「オブローモフの生涯より」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- イワン・ゴンチャロフ (ゴンチャローフからのリダイレクト)の秘書官としてシベリアを経由して帰国。1858年にその紀行文『フリゲート艦パルラダ号』(Frigate "Pallada")を刊行した(抜粋が『日本渡航記』で訳書多数)。 1859年、ペテルブルクに暮らす無為徒食の独身貴族、余計者のオブローモフの生涯を描いた小説『オブローモフ…4キロバイト (492 語) - 2024年4月2日 (火) 03:37
- ニキータ・ミハルコフ (カテゴリ ロシアの映画監督)механического пианино (1977年) オブローモフの生涯より Несколько дней из жизни И. И. Обломова (1979年) 五つの夜に Пять вечеров (1979年) 絆 Родня (1983年) ヴァーリヤ! 愛の素顔 Без свидетелей (1983年)…14キロバイト (1,415 語) - 2023年10月22日 (日) 08:38
- アレクサンドル・アダバシャン (カテゴリ ロシアの男優)1975年 『愛の奴隷』/Раба любви 1977年 『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』/Неоконченная пьеса для механического пианино 1979年 『五つの夜に』/Пять вечеров 1979年 『オブローモフの生涯より』/Несколько дней из жизни…7キロバイト (646 語) - 2020年8月9日 (日) 03:48
- 金子幸彦 (カテゴリ すべてのスタブ記事)も兼ねた。1977年一橋大学を定年退官。 ニコライ・ドブロリューボフ『オブローモフ主義とは何か』、アレクサンドル・ゲルツェン『過去と思索』、ニコライ・チェルヌイシェフスキーなどのロシア社会思想を翻訳紹介、プーシキン研究翻訳でも知られた。 ゼミの指導学生に中村喜和(一橋大学教授)、左近毅(大阪市立大…8キロバイト (783 語) - 2024年4月2日 (火) 04:15
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞外国語映画賞(National Board of Review Award for Best Foreign Language Film)は、アメリカ合衆国のナショナル・ボード・オブ・レビューが贈る賞の一つである。…13キロバイト (34 語) - 2024年3月13日 (水) 14:38
- 井上満 (カテゴリ 日本の文学研究者)軍機保護法違反で逮捕され三年間下獄。出獄後はロシア文学の翻訳に従事。 1941年ゴンチャロフの『フレガート艦パルラダ』を『日本渡航記』として翻訳、1943年ゴロヴニン『日本幽囚記』を翻訳する。 戦後はゴンチャロフの『断崖』『オブローモフ』などのほか、ロシア文学を多数翻訳。 また日ソ親善協会を創立、日ソ学院を創立し副学院長を勤めた。…5キロバイト (502 語) - 2022年8月29日 (月) 10:03
- 伊藤整 (カテゴリ 日本の中等教育の教員)の技法を用いて、自分を含めた戦時中の知識人への批判、反省を主題にしつつ、内向的、倫理的な作品となっている。主人公は非行動的な(ロシア文学の)オブローモフ的であるが、より卑小な人物像となり、笑いの要素が多くなったと自ら語っている。 その後のチャタレイ裁判について『伊藤氏の生活と意見』では芸術の…48キロバイト (7,285 語) - 2023年12月8日 (金) 14:33