選抜高等学校野球大会

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21世紀枠 から転送)
選抜高等学校野球大会
分類 高校野球
開始年 1924年
主催 毎日新聞社
日本高等学校野球連盟
参加チーム 32
(記念大会を除く)
前回優勝チーム 長崎県立清峰高等学校
公式サイト 高野連公式サイト

選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、例年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市阪神甲子園球場で行われる高校野球の大会。略称はセンバツ。通称は「の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」とも。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。主催は毎日新聞社財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。優勝旗は紫紺。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。

目次

概要

出場校の選抜

出場校は、選考委員会によって定められる。一般に、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地域大会(全国10ブロック)がこの大会出場校・並びに補欠校の選考資料となる。また、出場校が最大32校と定めている。そのため、1つのブロックに定められているため確実に1校は選出される東京都北海道を除けば、夏の高校野球とは違い、出場校が1校もない府県は毎回生じる。逆に、同一府県から2校出ることもあるのが夏の大会と違う点の1つでもある。

選考会における出場校の決定には、高野連の役員の意思が反映されるため、地域的なバランスを考えた選考、秋の地区大会で初戦敗退だった高校が選ばれるなど、時々首をかしげたくなるような選考が起こる。そしてこれら一連のことが選考後に毎年といっていいほど物議を醸しているのも事実である。「明確な選考基準」を示すことを望む高校野球ファンは多い。

出場校決定後に組み合わせ抽選会を行い、トーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。

一般選考

基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定。ここで出場28校と補欠(各地区につき1、2チーム程度)を選出。しかし野球と何ら関係のない地域性という選考基準を、商業的理由により採用するに対して、批判の声が存在する。

  • 北海道: 1
  • 東北: 2
  • 関東(4)・東京(1): 6
  • 東海: 2
  • 北信越: 2
  • 近畿: 6
  • 中国(2)・四国(2): 5
  • 九州: 4

(後述する明治神宮大会枠21世紀枠は除く)

  • 関東・東京、中国・四国の括弧内は各地区の出場校数。残り1校は両地区を比較した上で選出する。しかし、特に中国・四国においてこの比較選考を疑問・批判する声も少なくない。
  • 東京大会のみ関東の枠組みから外れて、単独開催となっている。それゆえ、1位校と2位校が揃って選出されるケースが多い。この実質的な”東京の二校枠”に付いては、「選抜の不思議」として揶揄されている。背景には、毎日新聞東京本社の意向が反映していると見られている。
  • かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。

21世紀枠

2001年の第73回大会から設けられた。部員不足などの困難を克服したチームや、他校の模範となるチームを選出。推薦は基本的に各都道府県の秋季新人大会で、参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム。各ブロックから1校ずつ出してもらい、その中で2校(東日本〜東海以東・西日本〜近畿以西各1校)を選出。2008年の第80回大会は記念大会で例年より1校増の3校で、「北海道、東北、関東・東京」、「東海、北信越、近畿」、「中国、四国、九州」各1校が選出。2009年の第81回大会は東日本1校、西日本1校、その他1校の3校が選出された。

“他校の模範である事”を根拠に、名門大学へ現役合格者多数、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、生徒のボランティア活動など、野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがあり、「選考基準が曖昧」という理由により非難の声も聞かれる。なお、この枠は設定10年目の2010年大会後に見直されることになっている。

21世紀枠出場校一覧
出場校 主な選考理由 結果
2001年 安積(福島) 創立創部ともに県最古であり考える野球の実践をした。 初戦敗退(2回戦)
宜野座(沖縄) 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 ベスト4
2002年 鵡川(北海道) 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 ベスト16
松江北(島根) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2003年 柏崎(新潟) 豪雪地のハンディを克服。 初戦敗退
隠岐(島根) 離島の過酷な条件を克服。 初戦敗退(2回戦)
2004年 一関一(岩手) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
八幡浜(愛媛) 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 初戦敗退
2005年 一迫商業(宮城) 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 ベスト16
高松(香川) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2006年 真岡工業(栃木) 地元密着の選手育成。 初戦敗退
金沢桜丘(石川) 県内有数の進学校。 初戦敗退
2007年 都留(山梨) 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。
都立三宅高校と避難生活中に合同練習や試合を行った。
初戦敗退
都城泉ヶ丘(宮崎) 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 ベスト16
2008年 安房(千葉) 創立100年を超える文武両道の進学校。
房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。
2回戦敗退
成章(愛知) 創部100年を誇る県立の進学校。
試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。
2回戦敗退
華陵(山口) 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。
過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。
ベスト16
2009年 利府(宮城) 地域の清掃活動に積極的に参加。運動部員が小学校へ出前授業をしている。
生徒が梨農家の手伝いをしている。
ベスト4
彦根東(滋賀) 右翼が左翼より30メートルも短い変形グラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 初戦敗退
大分上野丘(大分) 県内随一の進学校。放課後の練習は2時間までと決められていながら
2008年秋季大会では九州大会出場を果たした文武両道。
初戦敗退

明治神宮大会枠

2003年の第75回大会から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地域に与えられ、この地域の通常枠が1つ増える形となる。2008年の第80回大会は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、通常枠の1都道府県2校までが確定した。2009年は1地区で1つの枠を争う。

明治神宮大会枠出場校一覧
出場校 結果
2003年 東邦(愛知) 初戦敗退(2回戦)
2004年 常葉菊川(静岡) 初戦敗退
2005年 戸畑(福岡) 初戦敗退
2006年 旭川実(北海道) 初戦敗退
2007年 室戸(高知) ベスト8
2008年 宇都宮南(栃木) 初戦敗退(2回戦)
宇治山田商(三重) ベスト16
2009年 下妻二(茨城) 初戦敗退

希望枠

2003年の第75回大会から、2008年の第80回大会まで設けられた。

一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで第75回大会から導入された。神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は被塁打、与四死球、失点、失策。明治神宮大会を除く直近4試合で、各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化。合計がもっとも多い学校が選出される。希望枠は明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中から、データを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を21世紀枠を除く、3校選出を避けるためである。

希望枠出場校一覧
出場校 結果
2003年 旭川実(北海道) 初戦敗退(2回戦)
2004年 秋田商(秋田) ベスト8
2005年 三本松(香川) 初戦敗退
2006年 一関学院(岩手) 初戦敗退
2007年 大垣日大(岐阜) 準優勝
2008年 一関学院(岩手) 初戦敗退(2回戦)

1日に割り当てる試合数

  • 1日の試合数は以前は最大4試合で、1994年の第66回大会までは1回戦の2日目-4日目と8日目の準々決勝開催日がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し、1995年の第67回大会から4試合日は9日目の準々決勝のみとし、1・2回戦の全開催日の初日-8日目は1日3試合とするようになった。
  • 更に第76回大会(2004年)から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。ただし雨天延期などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり。よって現在は最大1日3試合まで開催されていることとなる。ただ、10年単位の記念大会となる西暦下一桁8年の年は、36チーム参加のため、一部予め4試合設定の日がある。
  • 第1試合の基本的な開始時間
初日 - 開会式直後の10:20
3試合開催日 - 9:00(2007年から、従来の9:30より30分繰り上げられた[1]
2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) - 11:00
1試合開催日(主として決勝) - 12:30または13:00
4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合) - 8:30(1989年まで8:00開始)
  • 2試合以上開催する場合、新聞の組み合わせ発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定して、3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているが、あくまでも目安であり、実際には次の試合はグラウンド整備や事前練習の関係もあり、原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は新聞等発表の時刻より繰り上げられる場合もある)。なおかつては4試合開催日の場合で「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として、前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。

試合

DH制(指名打者)は採用しない。

試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日か翌々日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。1999年12月の高野連全国理事会で翌年の春の大会から延長18回制(引き分け再試合)を15回制に変更。

審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。

大会歌・その他

  • 1931年に初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
  • 1934年に2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、1992年まで使われた。
  • 1993年からの3代目大会歌は阿久悠の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。
  • また1955年から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。
  • 国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、2008年の80回大会から各出場校の生徒がプラカードを持つことになった。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っていた。プラカードは2008年の80回大会から「全国高校書道コンクール」(毎日新聞主催)で上位に入賞した高校生が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[2]
  • 1999年より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者による国歌独唱が行われている。

センバツ球史に残る名勝負

歴史

エピソード

入場行進曲における流行曲使用

第34回大会(1962年)以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。

選抜高等学校野球大会入場行進曲を参照

近畿以外の地域での全国大会開催

1924年の第1回大会だけ名古屋市山本=八事球場で開いた理由として、当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し、優勝は8回中5回だったため、主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。なお、開催地の風土に関しては、本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は、2校が初戦敗退、1校が2回戦敗退という結果になっている。

主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて、全国各地で開催する構想だったが、翌年の第2回大会以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は、豊中球場鳴尾球場阪急西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。

初の引き分け再試合

春夏通して初めての引き分け再試合は山本球場で開催された第1回大会の1回戦、横浜商 - 市岡中の試合。 当時の制度は引き分けという制度が無く、勝負がつくまで試合を続けるというものだった。しかし山本球場には照明設備が無かったため、延長14回終了後に日没による引き分けとなった。

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 R
横浜商 1 0 4 3 4 0 0 0 1 0 0 0 0 0 13
市岡中 0 7 0 2 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0 13
  • 市岡中 21-13 横浜商(再試合)

前年度優勝校の無条件出場

第2回大会から1932年の第9回大会までは、前年度優勝校は地方大会に出場しなくても、無条件で全国大会に出場することができた。1933年の第10回大会からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは、1948年の第12回大会で優勝した京都一商(京都)が最初である。

優勝校のアメリカ遠征

1927年の第4回大会から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨により、この年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。

アメリカ遠征は夏休みを利用して行い、7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で1927年の春の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。

1932年、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。

なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては、春の大会を主催していた毎日新聞社が、朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。

同都道府県から4校の出場

1933年の第10回大会では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場していた。また、1937年の第14回大会では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場している。

なお現在では、通常枠での同一都道府県からの出場は2校までと決められている。21世紀枠を含めての3校出場は可能だが、地域性の問題もあるため、選考されるのは非常に難しいとされている。かつては1988年の第60回大会には大阪府から上宮近大付北陽の3校が、2001年の第73回大会には茨城県から水戸商常総学院藤代の3校が選出された例もある。

優勝旗

  • 選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。現在の旗は2代目で、第35回記念大会が行われた1963年に第1回大会から使用されていた初代に代わり新調されたもの。初代と現在の旗との相違点は以下の3点。
  1. 大会名 - 初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、現在は「全国選抜高等学校野球大会」。
  2. 主催新聞社名 - 初代は「大阪毎日新聞社」に対し、現在は「毎日新聞社」になっている。1943年「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため。
  3. VICTORY」の文字 - 初代は染めぬきだが、現在は金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。
  • 初代の優勝旗は1941年の第18回大会で愛知県・東邦商が手にしたまま、戦争で大会が中断していたが、1945年名古屋大空襲で同校の校舎が全焼。その際校長室に保管されていた優勝旗は燃え落ちる寸前に校庭に放り投げられ事なきを得た。
  • 初代の優勝旗を最後に手にしたのは作新学院高等学校(栃木)で、現在の優勝旗を最初に手にしたのは下関商(山口)だった。
  • 春の全国大会には準優勝旗が存在する。夏の全国大会には存在しない。(木内幸男(当時常総学院監督)が夏にも準優勝旗があると勘違いしていたのは有名。)色は夏の優勝旗と同じ深紅で3代目である。
  • 優勝旗は、大会の閉会式にて優勝校に授与され、翌年の大会の開会式にて前年優勝校から大会会長に返還される。その返還の際、優勝旗のレプリカが代わりに授与される。このレプリカの意匠は優勝旗とほぼ同じだが、模様・文字は全部染めぬきであり、“第○回”および校名が付加される。

連覇

本大会においての連覇は現在2例ある。

春の大会の連覇
開催年 学校 連覇 備考
6 1929年 第一神港商(兵庫) 2連覇 優勝校のアメリカ遠征2連続
7 1930年
53 1981年 PL学園(大阪) 2連覇 学制改革後の連覇
54 1982年

春夏連覇、夏春連覇は高校野球を参照されたい。

セレモニーでの夏との相違点

春・夏とも高校生が担当するようになる以前の開・閉会式の司会は男性職員だった。ただ各々別の人物だったので、主催者か高野連関係者が担当したと推測される。

春の開会式は仕掛け花火をバックに選手が入場するのが特徴となる。かつては風船やハトを飛ばすこともあった。なお第67回大会は入場行進を簡素化したため行われなかった。また天候の関係上花火が省略されることもある。

開会式の選手入場までの流れは、夏は開式アナウンス→ファンファーレ→「選手が、入場します。」→選手入場だが、春はファンファーレ→開式アナウンス→司会自己紹介→「選手、入場!」→選手入場となっている。また選手入場での学校紹介は、夏は以前はウグイス嬢、現在は高校生司会者が「(地区名)代表、○○高校。」と読み上げるが、春は以前は男性職員、現在は高校生司会者が「○○高校、(所在都道府県名)、○年ぶり○回目(○年連続○回目、初出場)。」と出場回数を紹介するのが特徴。

また、開会式では国旗・大会旗のみならず、前年度優勝校の校旗を同校校歌の吹奏と共に掲揚するのも当大会の特徴となっている(夏は未実施)。なお、春夏とも各旗の掲揚(降納)については1970~2000年頃は開会式では全出場校の主将が、閉会式では進出校の全選手がバックスクリーンの掲揚台に上って行っていた。現在どの団体の関係者が行っているかは不明。

表彰式の演奏曲は、夏はスタンダードな「見よ、勇者は帰る」(ヘンデル作曲)が使用されるが、春は大会オリジナルの「栄光」(永野慶作作曲)が用いられている。導入のきっかけは1973年オイルショックである。ユダヤ戦士を称える「見よ、勇者は帰る」を使うとアラブ諸国から石油を売ってもらえなくなる恐れから、翌年急遽この曲が作成された。[4]急ごしらえで作成された「栄光」だが、使用後の評価が高かったため、それ以後継続して使われ続けている。ちなみに、同じ毎日新聞主催(日本野球連盟と共催)の社会人野球日本選手権大会の開・閉会式でも使用されている。

なお、開会式の選手退場は、夏は普通に行進で退場するが、春は駆け足で退場する。

選抜に関する争い

1969年の秋の東京大会において帝京商工高等学校(現・帝京大学高等学校)が準優勝し、東京都高野連も翌年1970年の第42回選抜高等学校野球大会に推薦した。しかし、高野連の選出委員会は帝京商工の火事による資料の喪失から戦力分析が不可能との理由で帝京商工を選出しなかった。

帝京商工はこれを不満として1970年2月20日に高野連を相手取り代表決定の効力停止の仮処分大阪地方裁判所に申し立てた。これに対して東京都高野連が本校の対外試合を禁止する制裁を決定。さらにこの制裁に対して本校が東京地方裁判所に仮処分を申請するなどの泥仕合となった。

この際に帝京商工側が「選抜落選や試合禁止は野球選手としての就職が不利になる」としたことから高校野球においてされたことからそのような考え方の是非について議論を巻き起こした。3月9日には対外試合禁止が撤回され、3月12日には大阪地方裁判所で申立てが却下され、続いて東京地方裁判所に対する申立ても取り下げられ問題は決着した。なお、第42回選抜高校野球大会には、東京都からは、東京大会優勝の日大三高と都大会4位の堀越高等学校が出場した。

応援団賞

70回大会より応援団賞が設けられた。

各種記録

高校野球全国大会の記録一覧を参照。

中継

NHK

基本的な放送時間帯(3試合日の場合、2009年のケース)
総合テレビ
平日 9:00-11:54、13:05-17:00(最大18:00まで延長)
土曜日 9:00-11:54、13:50-17:00(最大18:00まで延長)
日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
教育テレビ
平日 11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
日曜日 9:00-10:05、11:54-13:05
デジタル衛星ハイビジョン 9:00-18:00(総合テレビがニュースなどのインターバルで中断している時間帯も、中継は中断せずに球場の映像をフィラー的に流している)
ラジオ第1 8:55-11:55(一部地域では11:50に飛び降り)、12:20(月~金)・12:15(土・日)-最終試合終了まで
参考・2006年のケース(3試合日の場合)
総合テレビ
平日 9:25-11:45、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
土曜日 9:25-11:54、13:50-17:30(最大18:00まで延長)
日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
教育テレビ
平日 11:45-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
日曜日 9:30-10:05、11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
デジタル衛星ハイビジョン 9:30-17:30(最大19:00まで延長)
ラジオ第1 9:25-11:50、12:15-最終試合終了まで
ただし、大相撲中継国会中継その他重要な事件などで総合テレビ、ラジオ第1、衛星第2で中継が出来ない場合はそれぞれ教育テレビ、FM放送衛星第1で振り替えて中継する。総合テレビとラジオ第1は大相撲期間中は幕内の取り組みが始まる時間帯に合わせて16時台までに放送を一旦切る。(総合テレビの場合は教育テレビへリレーする)FM放送については、原則関西地方と当該試合に地元校が出場する地域のみ。2007年3月25日の能登半島地震でも同様の措置が取られた。ただ、2008年3月22日3月23日の関西地区でのFM放送は中継しなかった。
  • 1977年までは他の野球中継と同様、ラジオ第2で放送されていた。(近畿圏ではラジオ第1で放送したこともある)。それ以前は市況放送、講座放送の合間を縫っての放送だった。
  • 海外でも準々決勝以降はNHKワールド・プレミアム、決勝・閉会式のみNHKワールドラジオ日本でも放送(但し、2009年はNHKワールドラジオ日本では放送せず、別番組に差し替えた。)。
  • BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃は、毎日放送と共同制作となったこともある。実況と解説はNHKが担当・映像は両社のものが混在。なお、当時の番組表ではNHK・TBS共同枠となっていた。
  • 東北地方では、原則プロ野球の生中継はラジオ第1を行うが、2005年~2007年の楽天のシーズン開幕戦の時はまだ選抜高校野球の実施期間のため、ラジオ第1での放送ができず、異例のFM放送になった。2006年は開幕カードが日本ハムVS楽天だったため北海道もこの例に当てはまる。
  • 1993年以後、中継の映像は甲子園球場のスコアボードで初戦の場合は学校紹介、二戦目以降は先の試合のハイライト、(以下春のみ)試合後は勝利校の校歌斉唱や校旗掲揚、さらに開閉会式の大会歌斉唱や各旗の掲揚、降納シーンを放映するのに使用される(いずれも実況なし)。ほか球場内の喫煙所や食堂、売店に設けられたモニターでも試合映像、監督インタビューやインターバルのフィラー映像が流されている。ただしファンから一番要望のある各試合の球場内リプレイ放映は高野連が高校野球にふさわしくない、として2008年現在も使用を認めない。

解説者については、高校野球解説者一覧を参照。

毎日放送・GAORA

毎日放送(MBS)テレビでは1959年の第31回大会から2002年の第74回大会までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。なお、1957年1958年は旧大阪テレビ放送(現・朝日放送)が中継していた。大阪テレビ放送は毎日新聞社、朝日新聞社、朝日放送、そして毎日放送の前身・新日本放送(NJB)との合弁企業だったためである。

テレビ中継のタイトルは夏のABCとは対照的に、NHK同様「第○○回センバツ」である。かつて1994年までは春も「第○○回選抜高等学校野球大会・中継」であった。ただしオープニングはグラウンドをバックにしたタイトル表示はあったが、最終試合以外の(例:第1〜3試合)エンディングは「第○日(若しくは準々決勝、準決勝) 第(一〜三)試合 終。」だけだった(ニュース等の中断明けの時間を案内することもあった)。現在はグラウンドをバックに「第○○回センバツ」とOP、ED、イニング間もタイトル出しが行われている。なおラジオ中継タイトルは「選抜高校野球・実況中継」となる。

初期は完全放送を実施していたが(試合の幕間にMBSニュース、天気予報、「水道完備ガス見込」などの帯ドラマを放送)、1966年以降昼間時には平日は東京局(1975年3月まではNET、同年4月以降はTBS、「腸捻転解消」参照)発の全国ネット番組を、日曜は自社製作の演芸、バラエティー番組(後年は日曜もTBS発の全国ネット番組)を編成するようになった(土曜日と準決勝~後年は準々決勝~以降を除く)。しかし、ABCのようなサンテレビなどの近畿圏UHF局経由のリレー形式を取り入れる事は、すでにABCがこれらUHF局と包括的な提携を結んでいたためMBSにはできなかった事に加え、視聴率も一桁に低迷した事、TBS発の全国ネット番組を編成するのに障害が生じてきたこと、そして夕方ワイド番組を強化したいMBSの意向もあり、2003年の第75回記念大会からは「センバツは別の形でお届けしたい」と準決勝の2試合と決勝戦の生中継だけとなった。[5]

毎日放送系のCATVCS放送のチャンネル「GAORA」は1990年のスペース・ビジョン・ネットワーク開局以来全試合完全生中継している。また開局から数年の間はその日の夜録画中継も行っていたためほぼ1日中高校野球だけの編成というケースもあった。なお2007年と2008年の一部の期間、プロ野球日本ハムが主催するパ・リーグ公式戦を生中継するため、プロ野球終了後この時間の試合分を録画中継(NEARLIVE方式)した。GAORAでは大会終了後まとめて再放送[6]も行っている。なお、TBS系のBS-TBSTBSニュースバードTBSチャンネルでの放送は行っていない。

選抜の期間中はMBSのみ深夜時間帯は特別編成となるケースが多い。選抜高校野球のハイライト(2009年は『みんなの甲子園』。ABCの『熱闘甲子園』と違って地上波は全国放送ではなく、当日深夜のJNN最終版ニュース明け(月~木は『ニュース23』~『吉崎金門海峡』の後)にMBS関西ローカルで、また翌朝にはGAORAで第1試合開始前に全国放映されている。出場校によっては番販扱いで地方局で放映されることもある。)と映画が放送されることが多い。MBS制作の本来の番組も中止になる。また土曜日の『CDTV』はこの時期のみ放送時間(2005年までは日曜日にずらされていた。)が変更される。

標準的放送時間(表示は日本時間)

以下地上波(関西ローカル

  • 準決勝 11:00~15:55(延長:平日17:50、土・日曜の場合16:55まで)。 途中、「THE NEWS」(平日は『ひるおび!』(第1部後半「THE NEWS」)と『ひるネタ!おとなの教室』)を放送するため生中継は一旦中断される。
  • 決勝戦 12:00から放送開始。(出場校により一部地方局配信あり)終了時間は15:25。(延長:平日17:50、土・日曜の場合16:55まで。)

平日夕方ワイドの「ちちんぷいぷい」は開催有無に関係なく休止。なお雨天順延を考慮して余分に一日休止する場合もある。毎日放送テレビ番組一覧も参照。

参考:1975~1990年頃の準々決勝までの放送時間

毎日放送テレビ製作の高校野球中継は、東京地区では1960年1962年1964年1969年はNETで、1963年はTBSで(スポンサード・ネット)、1965年1968年1970年1974年は東京12チャンネル(現・テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施したこともあった。ほかカードによりテレビ神奈川千葉テレビで放送されたこともある。名古屋地区では当初東海テレビで、のち名古屋テレビから中京テレビで放送され、名古屋テレビと中京テレビの変則クロスネット解消後は岐阜放送、「腸捻転解消」後は中部日本放送(但し決勝戦のみ)でも放送された。いずれも1975年のいわゆる「腸捻転解消」で、毎日放送がTBS系になったことに伴いほとんど放送されなくなった。TBSで放送されたのは今のところ1978年の決勝戦が最後である。

近年地方局へのネットは、長野代表校登場の際に信越放送、沖縄代表校登場の際に琉球放送。(放送時間はかつてのMBS地上波に準ずる。編成上の都合で放送されない時もある。)決勝戦に限れば2001年、仙台育英が進出した際の東北放送(13時からの飛び乗りで、石黒新平による応援実況を実施)、2005年、愛工大名電が進出した際の中部日本放送2006年、清峰が進出した際の長崎放送(各局共に14時からの飛び乗り)、2007年、大垣日大が進出した際の中部日本放送(11時58分より)、2009年、清峰と花巻東が進出した際の長崎放送(14時からの飛び乗り)とIBC岩手放送(12時より)などのケースに留まっている。[7]

毎日放送テレビ中継の協賛スポンサーは長らく十川ゴム提供クレジット読みは「家庭用から工業用まで日の出馬印でおなじみの十川ゴム」、当初1社提供)を筆頭に、年毎に松下電器(「技術で開く世界の繁栄~あなたとともに豊かな未来へ」;1995年は震災の被災者を激励するオリジナルCMを放映)、JR西日本グループ(「総合サービス企業を目指す」;1995年は震災のためにスポンサーは見合わせ)東京建物(「信頼を未来へ」)や日本ペイント(「豊かなこころで未来を開く」)(以下社名のみ)ゼットコカ・コーラボトラーズ日清食品など3~4社で担当していたが、2002年は十川ゴムとNTT-ME関西のみがスポンサーとなり、残りの枠はパーティシペーション(PT)によるスポットCM(主にハウス食品)が流されていた。地上波の中継が縮小された2003年以後は十川ゴムも降板し、PTによるスポットCMのみ放映されている(GAORAは最初からノンスポンサー)。

MBSラジオでは新日本放送(NJB)時代の1952年第24回大会から生中継を開始。ただし翌年からはもっぱら生中継は準決勝、決勝戦のみ行い、そのほかの試合は当日の12時、17時台(後年は22時台)にダイジェスト版を放送していた。またこの時期に開局した京都放送(当時KHK、現在のKBS京都)や四国放送(当時JR、現在のJRT)などの地方民間放送局へもネットしていた。決勝戦はNHKに対抗して「3元立体放送」(ステレオ放送とは別)と題して、アルプススタンドや出場校の地元にリポーターを配して放送していた。その後1959年からは和歌山放送(当時WBC、現在のWBS)で1回戦から一部の試合を中継。1963年以降はMBSラジオで全試合完全生中継を行い(ただしWBCは準決勝、決勝戦の放送をしばらくの間MBSとのサイマルで続行)、1966年以降はJRNNRNを通して全国に配信している。これ以降東京地区でも放送されるようになった。最近では、ローカル番組が充実していることや、スポンサーがなかなか付かない、NHKでも放送されているなどの理由から、地元校が準決勝あるいは決勝まで進まない限り、ネットしない局が増えつつある。[8]そしてMBSラジオでも2009年の第81回大会からラジオ中継も再び、テレビと同様に準決勝と決勝のみを中継することになった。[9]河内一友社長は「民放には民放のやり方がある」と指摘し、2009年は準々決勝までは速報番組『春一番!選抜甲子園』で選抜大会をPRすることとした。

MBSラジオは大会期間中その日の試合終了まで延長放送するため、最悪夜の番組(特に、終夜放送を実施していない日曜日の番組で顕著である)にまで影響するケースもある。さらに夏のABCやプロ野球と異なり雨天中止や早く終了した場合は雨傘番組を用意せずに通常の番組を放送するため、生ワイド番組こんちわコンちゃんお昼ですょ!ノムラでノムラだ♪ EXトラ!などのパーソナリティーたちは中継時間内待機を強いられる。ちなみに日曜日と準決勝、決勝戦が勝ちあった場合、サンデー競馬中継 みんなの競馬ラジオ関西で放送する(MBSラジオは中継終了後の飛び乗り)。毎日放送ラジオ番組一覧も参照。

MBSラジオでは協賛スポンサーのクレジット読みは試合中継の開始終了ごとに行われる。以前は12~3社程度あったゆえ、開始時と終了時各々で社名を読み分けたり、イニング間に3~4社ずつ読み上げる措置をとったこともあった。ここ数年はスポンサーが7~8社程度(ほぼ夏のABCと共通)のためラジオでも広告枠の半分がPTによるスポットCMや自社イベントのPRや番組宣伝で埋められることが多い。2009年は速報番組を毎日新聞社が連日協賛し、そのほか日替りで協賛スポンサーが付いた。(昨年までの各社はほとんど降板)準決勝、決勝戦の生中継はそれらスポンサーの連名となった。

また毎日放送のホームページでは1998年の第70回大会より試合速報を配信したのを皮切りに、2003年の第75回大会からNTT西日本協力の下ラジオの実況とMBSのカメラワークを用いたリアルタイムネット中継を実施していたが、試合終了後のダイジェスト版にアクセスするユーザーが多かったこともあり、2006年の第78回大会からは各イニング終了後に配信される形(ビデオ・オン・デマンド)になった。但し、2008年の第80回大会は準決勝と決勝のみリアルタイムネット中継を再開したが、大会期間後の動画の再生はできなくなった。さらに各インターネットテレビへの動画の配信も積極的に行っている。なお2009年から実況音声はテレビ中継のものが使用されている。

中継のオープニング、エンディングテーマ曲は長年ラジオ、テレビとも大会歌(陽は舞いおどる甲子園今ありて)のインストを、テレビは1996年の第68回大会より、ラジオは1999年の第71回大会より入場行進曲 を採用していた[10]がテレビは76回大会を最後に独自のテーマソング[11]を設けている。

実況アナウンサーは、MBSタイガースナイターのアナウンサーの項目を参照のこと。なお上記のウェブサイトで主としてテレビ担当実況アナウンサーが各試合の戦評を記すことになっている。

2008年は第80回記念大会として各試合の5回のグラウンド整備の際、甲子園球場のスコアボードに「プレイバック・センバツ」として各大会からピックアップされた映像を流していたが、ほぼMBSテレビの映像だった。ナレーションや谷村新司の歌う「今ありて」もバックについてはいたが、テロップや実況音声は当時のまま流れていた。(例:東邦対上宮水谷勝海アナウンサー。)[12]

その他放送局

1959年開局時は連日春の大会を中継し、その後は春・夏とも1回戦から地元校の試合をネット受けにより中継してきたラジオ局の和歌山放送が2009年は開局記念番組として、代表である箕島の試合を1回戦から準々決勝(敗退)までアナウンサーとゲスト解説者(1,2回戦はOBでもある尾藤公が担当)を自局で派遣して中継した。(準決勝進出の場合も自主制作だったかどうかは不明)

関連項目

脚注

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  1. ^ 第79回選抜高等学校野球大会について - 日本高等学校野球連盟
  2. ^ 関西845 2008年2月15日放送
  3. ^ 恒川直俊 記録で読む甲子園「なぜ誕生した選抜大会 出場校の選抜基準も時代とともに」 asahi.com 2007年3月30日
  4. ^ ちなみに表彰式のテーマに「見よ、勇者は帰る」を使うのは日本独自の傾向である。この曲が表彰式のスタンダードになったのは1946年復活した夏の大会からとされる。それ以降翌年復活した春の大会や他のスポーツ大会、学校や職場、地域の運動会まで広まった。
  5. ^ なお2004年の決勝戦は開始時間が遅れナイターとなったため地上波は「中止」。1959年に「皇太子ご成婚中継」に人員や機材を割いたため中継できなかったのに続く決勝戦中止。
  6. ^ 随時、その年に行われた試合を全部ノーカットで放送しているほか、過去の大会からの名勝負を選んで1時間ダイジェストで送る「センバツプレイバック」も放映
  7. ^ さらに以前は福井代表校登場の際に福井放送NNN系、夏も放送)、1988年宇和島東が進出した際に南海放送(NNN系、当時あいテレビは未開局。なお愛媛朝日テレビ開局まで夏も放送)へネットされたこともある。
  8. ^ JRN親局のTBSラジオでは、1999年以降は中継放送を行っていない。岡山県山陽放送香川県西日本放送では両県でMBSラジオが直接受信可能なため、近年は中継放送を行っていない。さらに以前にはNRNのニッポン放送文化放送ラジオ沖縄へ配信されたケースがある。沖縄県では1990年代まで夏の大会(2005年まで)と同様、琉球放送(RBC i-Radio)とラジオ沖縄の2局でサイマル放送していた(コマーシャルは別内容。現在はRBC i-Radioのみ放送。ただし2009年春のラジオ中継はなかった。)。
  9. ^ MBS センバツ高校野球 ラジオ中継縮小 産経関西産経新聞)2009年1月8日付
  10. ^ ちなみにテレビはOPと当日の最終試合のEDが原曲、中継放送のEDはインストバージョン。ラジオはOPもEDもインストバージョン。中継のジングルや最終試合のEDは原曲。ただし2000、2001(ジングルは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」)、2005年はOP,EDのみ大会歌を使用。2002~2004、2008~2009年はジングルもインストバージョン。
  11. ^ OPは「ザ・プロ野球」とおなじ効果音によりタイトル出し(81回大会はTBS系のドラマ、東宝系の映画「ROOKIES」と同様のフォントによるタイトル)をするだけ。近年はNHKテレビもOP・EDのテーマを省略する。EDは80回大会が「一歩一歩〜終わりなき道しるべ〜」(ONE☆DRAFT)、81回大会が「One 」(Aqua Timez)。
  12. ^ 通常は厚生労働省の薬物乱用防止キャンペーン、「NO CAR 甲子園」として球場側から観客に電車で来場の呼びかけ、「北海道にバットの森をつくろう」としてアオダモ植樹キャンペーンを流す。(夏の大会はこれらは試合開始前に流し、試合中は年ごとのイメージアーティストが歌う大会歌「栄冠は君に輝く」をバックにその年の大会のポスター、キャッチフレーズコンクールの入賞作品を流している)2009年はこれに加え田中将大(楽天)、斎藤佑樹(早大)が2016年夏季オリンピックでの野球競技復活を呼びかけるキャンペーンを流す。

外部リンク

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