1985年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
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順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 阪神タイガース | 74 | 49 | 7 | .602 | - |
2位 | 広島東洋カープ | 68 | 57 | 5 | .544 | 7.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 61 | 60 | 9 | .504 | 12.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 57 | 61 | 12 | .483 | 14.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 56 | 61 | 13 | .479 | 15.0 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 46 | 74 | 10 | .383 | 26.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 西武ライオンズ | 79 | 45 | 6 | .637 | - |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 60 | 6 | .516 | 15.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 63 | 60 | 7 | .5121 | 15.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 64 | 61 | 5 | .5120 | 15.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 23.0 |
6位 | 南海ホークス | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
日本シリーズ
詳細は「1985年の日本シリーズ」を参照
- 阪神タイガース(4勝2敗)西武ライオンズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | R.バース | 阪神 | 落合博満 | ロッテ | ||
最優秀新人 | 川端順 | 広島 | 熊野輝光 | 阪急 | ||
首位打者 | R.バース | 阪神 | .350 | 落合博満 | ロッテ | .367 |
本塁打王 | R.バース | 阪神 | 54本 | 落合博満 | ロッテ | 52本 |
打点王 | R.バース | 阪神 | 134点 | 落合博満 | ロッテ | 146点 |
盗塁王 | 高橋慶彦 | 広島 | 73個 | 松永浩美 | 阪急 | 38個 |
最高出塁率 | R.バース | 阪神 | .428 | 落合博満 | ロッテ | .481 |
最優秀防御率 | 小松辰雄 | 中日 | 2.65 | 工藤公康 | 西武 | 2.76 |
最多勝利 | 小松辰雄 | 中日 | 17勝 | 佐藤義則 | 阪急 | 21勝 |
最多奪三振 | 小松辰雄 | 中日 | 172個 | 佐藤義則 | 阪急 | 188個 |
最高勝率 | 北別府学 | 広島 | .727 | 石本貴昭 | 近鉄 | .864 |
最優秀救援投手 | 中西清起 | 阪神 | 30SP | 石本貴昭 | 近鉄 | 26SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 小松辰雄 | 中日 | 東尾修 | 西武 |
捕手 | 八重樫幸雄 | ヤクルト | 伊東勤 | 西武 |
一塁手 | R.バース | 阪神 | R.デービス | 近鉄 |
二塁手 | 岡田彰布 | 阪神 | 西村徳文 | ロッテ |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 落合博満 | ロッテ |
遊撃手 | 高木豊 | 大洋 | 石毛宏典 | 西武 |
外野手 | 杉浦享 | ヤクルト | 金森永時 | 西武 |
真弓明信 | 阪神 | 熊野輝光 | 阪急 | |
山崎隆造 | 広島 | 横田真之 | ロッテ | |
指名打者 | L.リー | ロッテ |
オールスターゲーム
詳細は「1985年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第57回選抜高等学校野球大会優勝:伊野商業(高知県)
- 第67回全国高等学校野球選手権大会優勝:PL学園(大阪府)
大学野球
- 第34回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第16回明治神宮野球大会優勝:慶応義塾大
社会人野球
メジャーリーグ
詳細は「1985年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ:カンザスシティ・ロイヤルズ(4勝3敗)セントルイス・カージナルス
- ナショナルリーグ東地区優勝:セントルイス・カージナルス
- ナショナルリーグ西地区優勝:ロサンゼルス・ドジャース
- アメリカンリーグ東地区優勝:トロント・ブルージェイズ
- アメリカンリーグ西地区優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
- 1月7日 - 【MLB】ルー・ブロックとホイト・ウィルヘルムのアメリカ野球殿堂入りが、全米野球記者協会の投票によって決定。
- 1月9日
- 1月23日 - 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳が競技者表彰で日本野球殿堂入り。
- 1月28日 - 山内以九士、田中勝雄が特別表彰で野球殿堂入り。
- 1月30日 - 中日ドラゴンズの田尾安志と 西武ライオンズの杉本正、大石友好との1対2の交換トレードが成立[2]。
2月
3月
4月
- 4月7日 - 第57回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、伊野商が帝京を4-0で破り初優勝。
- 4月9日 - 南海ホークスの河埜敬幸が対近鉄戦で通算1000本安打達成。前年達成した兄の巨人の河埜和正と合わせて、日本プロ野球史上2例目、日本人では初の兄弟で達成[3]。
- 4月10日 - ヤクルトスワローズの球団社長に相馬和夫が就任[4]。
- 4月14日 - ロッテオリオンズの村田兆治が対西武戦(川崎球場)で2失点の完投で、1,073日ぶりの勝利投手[5]。
- 4月14日 - 阪神タイガースのリッチ・ゲイルが対広島東洋カープ戦で日本プロ野球公式戦登板、打席では1958年の長嶋茂雄以来となる日本プロ野球史上2人目のデビュー戦4三振を記録[6]。
- 4月17日 - 阪神対読売ジャイアンツ戦(阪神甲子園球場)において、阪神のランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布がバックスクリーン三連発を記録[7]。
- 4月23日 - 近鉄バファローズの仲根政裕がプロ野球通算5万号目の本塁打を放つ。
5月
- 5月4日 - 西武の高橋直樹が40歳としては若林忠志以来35年ぶりの完投勝利。
- 5月6日 - 阪神は対中日戦(甲子園)で40打数23安打で、1試合での最高打率の日本プロ野球新記録の.575[7]。
- 5月8日 - ヤクルトの若松勉が対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)で日本プロ野球通算200本塁打、史上45人目[4]。
- 5月21日 - 近鉄の栗橋茂がサイクル安打を達成。
- 5月23日 - 甲子園の阪神対広島の6回表、広島の北別府学が右翼ポール際に本塁打を放った際、本塁打の判定を不服とした阪神ファンが投げつけたチェーンが線審に当たり、全治10日の怪我を負わせる。
6月
- 6月2日 - ヤクルトのボビー・マルカーノが対広島戦(旭川スタルヒン球場)で日本プロ野球の外国人選手最多の通算1338安打[4]。
- 6月4日 - 西武の郭泰源が対日本ハム戦(平和台)でノーヒットノーランを達成。
- 6月9日 - 日本ハムファイターズの田中幸雄が対近鉄戦(後楽園)でノーヒットノーランを達成[8]。
- 6月15日 - ヤクルトの杉浦享が対中日戦(ナゴヤ)で日本プロ野球通算1000安打、史上142人目[4]。
7月
- 7月4日 - 【MLB】アトランタのフルトン・カウンティ・スタジアムで行われたアトランタ・ブレーブス対ニューヨーク・メッツは延長19回、16-13のスコアでメッツが勝ったが、試合終了は翌7月5日の午前3時15分。現時点でメジャー史上最も遅い試合終了時刻。
- 7月5日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神10回戦の6回表に二塁打を放ち通算4001塁打、8回表に15号本塁打を放ちプロ通算450号本塁打を達成[9]。
- 7月6日 - 広島の高橋慶彦が甲子園球場での対阪神11回戦の8回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[10]。
- 7月10日
- 7月11日
- 7月13日
- 7月15日 - 近鉄の鈴木啓示が大阪市の天王寺都ホテルにて記者会見を行い、引退を正式に表明。球団は鈴木の任意引退の手続きを行う。
- 7月16日 - ロッテの西井哲夫が川崎球場での対日本ハム9回戦の9回表1イニングに登板し、プロ通算500試合登板を達成[18]。
- 7月17日 - 近鉄の羽田耕一が西武球場での対西武11回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[19]。
- 7月23日 - 藤井寺球場で史上初の開催となるオールスターゲームの第3戦が行われ、広島の山本浩二がオールスター新記録の通算14本塁打[20]
- 7月26日
- 7月27日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対日本ハム18回戦に先発して完投して11勝目を挙げ、プロ通算250完投を達成[23]。
- 7月30日 - 巨人は広島球場での対広島12回戦で、登板した6投手で合計16四死球を記録し1試合のチーム最多与四球のワースト新記録[24]。
8月
- 8月4日 - 【MLB】シカゴ・ホワイトソックスのトム・シーバーが通算300勝を、カリフォルニア・エンゼルスのロッド・カルーが通算3000本安打を達成。
- 8月4日 - 広島の北別府学が横浜スタジアムでの対大洋16回戦の8回表にジェリー・ホワイトから三振を奪い、プロ通算奪三振1000個を達成[25]。
- 8月5日 - プロ野球コミッショナー事務局長の井原宏が東京・銀座のセ・リーグ事務所にコミッショナー代行の川島廣守を訪ね、高齢と家庭の事情を理由に辞任を申し出る[26]。
- 8月6日 - 【MLB】メジャーリーグ選手会がストライキを行うが、 翌7日に妥結。試合は後日行われる。
- 8月8日 - 近鉄のリチャード・デービスが西武球場での対西武15回戦の2回表に工藤公康から26号本塁打を放ち、パ・リーグタイ記録の6試合連続本塁打、史上4人目[27]。
- 8月10日 - 横浜大洋ホエールズのレオン・リーが広島球場での対広島戦18回戦で、初回に津田恒美から19号満塁本塁打を放ち通算200号本塁打。また、3回表には20号2点本塁打、5回表には21号3点本塁打、7回表には適時安打を放ち、1試合10打点のセ・リーグ新記録[28]。
- 8月12日 - 日本航空123便墜落事故に阪神タイガース球団社長の中埜肇が遭遇、16日に遺体が確認される[29]。
- 8月14日 - 第67回全国高等学校野球選手権大会2回戦、PL学園対東海大山形戦においてPL学園が大会史上初となる毎回得点の29-7で勝利する。
- 8月15日 - 大洋の高木由一が6回表に1号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[30]。
- 8月16日
- 8月17日 - 阪神が広島に9-4で敗れ、先発し2回4失点で敗戦投手となった中田良弘の1981年7月22日より4年かけて続けてきた連勝記録が18でストップ[29]。
- 8月21日 - 第67回全国高校野球選手権大会決勝戦で、大阪府代表のPL学園が山口県代表の宇部商に4-3で勝利し、2年ぶり3度目の優勝。清原和博が1大会新記録となる通算5本塁打を記録。桑田真澄も勝利投手となり、春夏の甲子園での通算勝利数歴代2位となる20勝目を挙げる。
- 8月23日 - 近鉄の羽田耕一がナゴヤ球場での対阪急17回戦の3回裏に10号2点本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[33]。
9月
- 9月10日 - 阪神が横浜スタジアムでの対大洋21回戦でセ・リーグ新記録の1試合10二塁打を記録[34]。
- 9月11日
- ヤクルトの杉浦享が神宮球場での対広島23回戦の4回裏に29号2点本塁打、6回裏に30号本塁打を放ちプロ通算150号本塁打を達成[35]。
- 【MLB】シンシナティ・レッズのピート・ローズがタイ・カッブの保持していた通算4191安打のメジャー記録を更新する4192安打目を記録。
- 9月19日 - 中日から戦力外通告を受けたケン・モッカがナゴヤの対巨人戦で引退試合を行い、試合後にナインから胴上げされる。
- 9月27日 - 広島の監督の古葉竹識が監督辞任を表明[36]。
10月
- 10月6日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのフィル・ニークロが通算300勝を達成。46歳での達成は史上最年長。
- 10月8日 - 西武は監督の広岡達朗が痛風の治療のため監督を一時休養し、コーチの黒江透修が監督代行を務めることに[37]。
- 10月9日
- 10月12日 - 阪神のランディ・バースが広島市民球場での対広島25戦で7回に大野豊から49号本塁打を放ち、外国人選手としては日本プロ野球新記録。阪神はこの試合でセ・リーグ新記録のシーズン206本塁打。
- 10月16日 - 阪神対ヤクルト23回戦が神宮球場で行われ、延長10回5対5の時間切れ引き分けとなり、阪神が21年ぶり3度目のセ・リーグ優勝達成[40]。
- 10月18日 - 阪急の水谷実雄が記者会見し、現役引退を表明[41]。
- 10月23日 - 中日の谷沢健一が広島市民球場での対広島24回戦の4回裏に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[42]。
- 10月27日
- 【MLB】ワールドシリーズでロイヤルズがカージナルスを4勝3敗で下し、1969年の球団創設以来初のワールドチャンピオンに輝く。シリーズMVPはブレット・セイバーヘイゲン。
- 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナーが監督のビリー・マーチンを解任し、打撃コーチのルー・ピネラが就任すると発表。
- 10月28日 - 沢村賞の選考委員会が東京・芝の東京グランドホテルで正午から開かれ、中日の小松辰雄を選出[43]。
11月
- 11月2日
- 11月8日
- 11月14日
- 11月20日 - ドラフト会議が行われ、KKコンビで注目を集めたPL学園の清原和博は6球団の競合の末に西武が交渉権を獲得。一方、早稲田大学進学が有力だった桑田真澄は巨人が1位単独指名で交渉権を獲得。
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
- 4月5日 - 古川祐樹
- 4月6日 - 加治前竜一
- 4月10日 - 籾山幸徳
- 4月12日 - 小窪哲也
- 4月14日 - 小島昌也(+ 2011年)
- 4月15日 - 黒瀬春樹
- 4月20日 - 篠田純平
- 4月26日 - 中川裕貴
- 4月28日 - 松川誉弘
5月
- 5月9日 - 市川友也
- 5月10日 - 生山裕人
- 5月10日 - 西村健太朗
- 5月15日 - 田中慎太朗
- 5月20日 - 村田透
- 5月21日 - 木村雄太
- 5月21日 - 長谷部康平
- 5月22日 - 林彦峰
- 5月23日 - 山内敬太
- 5月27日 - 堂上剛裕
- 5月27日 - 姜建銘
- 5月31日 - 杉原洋
6月
7月
- 7月1日 - 平岡政樹
- 7月1日 - 山内壮馬
- 7月3日 - 小林賢司
- 7月9日 - 谷哲也
- 7月9日 - 山田裕司
- 7月13日 - 内竜也
- 7月21日 - 陳偉殷
- 7月23日 - 金子圭輔
- 7月23日 - 村田和哉
- 7月24日 - 金森敬之
8月
9月
- 9月2日 - 小瀬浩之(+ 2010年)
- 9月4日 - 山本哲哉
- 9月6日 - 坂克彦
- 9月10日 - 久米勇紀
- 9月13日 - 吉田幸央
- 9月14日 - デルモン・ヤング
- 9月18日 - 松山竜平
- 9月21日 - 柴田誠也
- 9月24日 - 城所龍磨
- 9月27日 - 岡本洋介
10月
- 10月2日 - 白仁田寛和
- 10月2日 - 渡部龍一
- 10月7日 - 大城祐二
- 10月7日 - 小嶋達也
- 10月13日 - 土本恭平
- 10月13日 - 成瀬善久
- 10月21日 - 荻野貴司
- 10月28日 - 須永英輝
- 10月29日 - 桑原謙太朗
- 10月31日 - 白濱裕太
11月
12月
死去
- 1月3日 - 尾張久次(スコアラー第1号〈南海・西武〉、*1909年)
- 1月4日 - 久保寺雄二(南海ホークス現役選手、*1958年)
- 1月29日 - 野村武史(毎日オリオンズ元選手、* 1919年)
- 3月19日 - 永沢富士雄(東京巨人軍元選手、*1904年)
- 3月29日 - 成田啓二(国鉄スワローズ元選手、* 1919年)
- 4月10日 - 田中義雄(阪神タイガース元選手・監督、*1907年)
- 5月13日 - 加藤昌利(パ・リーグ審判員、*1935年)
- 8月12日 - 中埜肇(阪神タイガース球団社長、*1922年)
- 8月12日 - 竹下元章(広島カープ元選手、* 1937年)
- 10月24日 - 永田雅一(元オリオンズオーナー、*1906年)
- 12月14日 - ロジャー・マリス(1961年にシーズン61本塁打を記録。*1934年)
脚注
- ^ 朝日新聞東京版1985年1月20日21面「大リーグ江夏 日本の別れは一本杉球場 一万六千人が激励」朝日新聞縮刷版1985年1月p697
- ^ a b 日付は公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年、117頁。ISBN 9784583616858。
- ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、287頁。ISBN 4062061082。
- ^ a b c d 『東京ヤクルトスワローズ40年史 1969-2009 ツバメの記憶』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、47頁。ISBN 9784583616018。
- ^ “【4月14日】1985年(昭60) 男泣きした村田兆治 クールな主砲は熱い思いで応えた”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). 2015年12月22日閲覧。
- ^ 宇佐美徹也 1993, p. 657.
- ^ a b 『阪神タイガース70年史 猛虎伝説』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2005年、67頁。ISBN 4583613210。
- ^ “【6月9日】1985年(昭60) 絶対抑える!勝負を挑んだ田中幸雄、初完封で大記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年6月11日). 2015年12月22日閲覧。
- ^ 読売新聞1985年7月6日17面「衣笠450号"両手に花"4000塁打も達成 川口完投 広島首位」読売新聞縮刷版1985年7月p247
- ^ 読売新聞1985年7月7日17面「広島・高橋慶彦内野手(二八)が通算300盗塁」読売新聞縮刷版1985年7月p295
- ^ 読売新聞1985年7月11日16面「山田、9人目の250勝 阪急連敗脱出 有藤は2000本安打『王手』」読売新聞縮刷版1985年7月p462
- ^ 読売新聞1985年7月11日17面「阪神・真弓が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1985年7月p463
- ^ 読売新聞1985年7月11日夕刊14面「近鉄・鈴木投手引退へ」読売新聞縮刷版1985年7月p484
- ^ 読売新聞1985年7月6日17面「有藤、2000本安打 大卒3人目」読売新聞縮刷版1985年7月p503
- ^ 読売新聞1985年7月12日17面「『草魂20年、吐き尽くした』引退決意の鈴木啓 317勝、節制ひと筋 KO続き限界痛感」読売新聞縮刷版1985年7月p503
- ^ 読売新聞1985年7月14日17面「阪神・岡田が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1985年7月p591
- ^ 読売新聞1985年7月14日16面「鈴木啓、慰留を固辞 あす引退発表、球宴欠場」読売新聞縮刷版1985年7月p590
- ^ 読売新聞1985年7月17日17面「ロッテ西井が500試合登板」読売新聞縮刷版1985年7月p715
- ^ 読売新聞1985年7月18日17面「近鉄・羽田耕一内野手(三二)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1985年7月p763
- ^ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009 躍動!赤ヘル軍団』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784583616001。
- ^ 読売新聞1985年7月27日16面「山本浩、4人目の500号 17年目、大卒では初」読売新聞縮刷版1985年7月p1120
- ^ 読売新聞1985年7月27日17面「阪急福本が三塁打日本新」読売新聞縮刷版1985年7月p1121
- ^ 読売新聞1985年7月28日16面「山田、250完投で11勝」読売新聞縮刷版1985年7月p1156
- ^ 読売新聞1985年7月31日17面「巨人、広島に逆転負け お粗末16四死球 セ・新」読売新聞縮刷版1985年7月p1271
- ^ 読売新聞1985年8月5日夕刊13面「広島・北別府が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1985年8月p157
- ^ 読売新聞1985年8月6日17面「井原コミッショナー事務局長が辞意」読売新聞縮刷版1985年8月p177
- ^ 読売新聞1985年8月9日17面「近鉄のデービスが6試合連続本塁打」読売新聞縮刷版1985年8月p307
- ^ 読売新聞1985年8月11日17面「レオン3連発、10打点 広島大敗」読売新聞縮刷版1985年8月p379
- ^ a b “【8月17日】1985年(昭60) 肝心なときに…中田良弘 4年越しの連勝記録止まった”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年8月12日). 2015年12月22日閲覧。
- ^ 読売新聞1985年8月16日17面「高木由通算100号 大洋、中日破る」読売新聞縮刷版1985年8月p563
- ^ 読売新聞1985年8月17日17面「大洋の田代が通算250号ホーマー」読売新聞縮刷版1985年8月p599
- ^ 読売新聞1985年8月17日17面「西武・石毛が100号本塁打」読売新聞縮刷版1985年8月p599
- ^ 読売新聞1985年8月24日16面「近鉄・羽田がプロ47人目の200本塁打」読売新聞縮刷版1985年8月p896
- ^ 読売新聞1985年9月11日16面「阪神、きょうにも『M』点灯 『セ新』、10二塁打 」読売新聞縮刷版1985年9月p450
- ^ 読売新聞1985年9月12日17面「杉浦通算150号」読売新聞縮刷版1985年9月p499
- ^ 読売新聞1985年9月28日17面「古葉監督が辞任表明 11年間、日本一にも三度」読売新聞縮刷版1985年9月p1159
- ^ 読売新聞1985年10月10日17面「広岡監督、一時休養 痛風治療 黒江コーチが代行」読売新聞縮刷版1985年10月p363
- ^ 読売新聞1985年10月10日1面「西武、2年ぶり優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1985年9月p391
- ^ 読売新聞1985年10月10日16面「若松が二千本安打 15年目で達成」読売新聞縮刷版1985年10月p406
- ^ 読売新聞1985年10月17日1面「阪神、21年ぶり優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1985年10月p677
- ^ 読売新聞1985年10月19日17面「水谷、そう快引退会見」読売新聞縮刷版1985年10月p781
- ^ 読売新聞1985年10月24日17面「谷沢、2000本安打」読売新聞縮刷版1985年10月p997
- ^ 読売新聞1985年10月29日17面「小松、初の沢村賞 中日で5人目 二冠、三振奪取王評価」読売新聞縮刷版1985年10月p1227
- ^ 読売新聞1985年11月3日17面「定岡(巨人)が引退 トレード拒否」読売新聞縮刷版1985年11月p105
- ^ 読売新聞1985年11月15日17面「プロ野球 選手会、正式労組に 申請、『都地労委』が認定」読売新聞縮刷版1985年11月p565
- ^ 読売新聞1985年11月15日17面「『パ』1シーズン制へ 開幕『セ』と同時4月4日」読売新聞縮刷版1985年11月p565
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月12日、38頁。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 阪神タイガース | 2位 | 広島東洋カープ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | ロッテオリオンズ |
3位 | 読売ジャイアンツ | 4位 | 横浜大洋ホエールズ | 3位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | 中日ドラゴンズ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | 南海ホークス |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||