1979年の野球

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競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 広島東洋カープ 67 50 13 .573 -
2位 横浜大洋ホエールズ 59 54 17 .522 6.0
3位 中日ドラゴンズ 59 57 14 .509 7.5
4位 阪神タイガース 61 60 9 .504 8.0
5位 読売ジャイアンツ 58 62 10 .483 10.5
6位 ヤクルトスワローズ 48 69 13 .410 19.0
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 前・後
優勝 近鉄バファローズ 74 45 11 .622 1・2
2位 阪急ブレーブス 75 44 11 .630 2・1
3位 日本ハムファイターズ 63 60 7 .512 3・4
4位 ロッテオリオンズ 55 63 12 .466 4・3
5位 南海ホークス 46 73 11 .387 5・6
6位 西武ライオンズ 45 73 12 .381 6・5
  • 優勝・2位はプレーオフで決定。年間勝率順位では、総合優勝の近鉄バファローズが2位・総合2位の阪急ブレーブスが首位となる。

パシフィック・リーグプレーオフ

  • 近鉄バファローズ(3戦全勝)阪急ブレーブス

日本シリーズ

  • 広島東洋カープ(4勝3敗)近鉄バファローズ

個人タイトル

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 江夏豊 広島   C.マニエル 近鉄  
最優秀新人 藤沢公也 中日   松沼博久 西武  
首位打者 F.ミヤーン 大洋 .346 加藤英司 阪急 .364
本塁打王 掛布雅之 阪神 48本 C.マニエル 近鉄 37本
打点王 山本浩二 広島 113点 加藤英司 阪急 104点
最多安打 大島康徳 中日 159本 加藤英司 阪急 163本
盗塁王 高橋慶彦 広島 55個 福本豊 阪急 60個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
山本浩二 広島 220個 加藤英司 阪急 .443
最優秀防御率 平松政次 大洋 2.39 山口哲治 近鉄 2.49
最多勝利 小林繁 阪神 22勝 山田久志 阪急 21勝
最多奪三振 新浦寿夫 巨人 223個 村田兆治 ロッテ 230個
最高勝率 藤沢公也 中日 .722 山田久志 阪急 .808
最優秀救援投手 江夏豊 広島 31SP 金城基泰 南海 20SP

ベストナイン

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 小林繁 阪神 山田久志 阪急
捕手 木俣達彦 中日 梨田昌崇 近鉄
一塁手 王貞治 巨人 加藤英司 阪急
二塁手 F.ミヤーン 大洋 B.マルカーノ 阪急
三塁手 掛布雅之 阪神 島谷金二 阪急
遊撃手 高橋慶彦 広島 石渡茂 近鉄
外野手 山本浩二 広島 福本豊 阪急
若松勉 ヤクルト 栗橋茂 近鉄
M.ラインバック 阪神 新井宏昌 南海
指名打者   C.マニエル 近鉄

ダイヤモンドグラブ賞

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 西本聖 巨人 山田久志 阪急
捕手 若菜嘉晴 阪神 梨田昌崇 近鉄
一塁手 王貞治 巨人 柏原純一 日本ハム
二塁手 高木守道 中日 B.マルカーノ 阪急
三塁手 掛布雅之 阪神 島谷金二 阪急
遊撃手 山下大輔 大洋 高代延博 日本ハム
外野手 山本浩二 広島 福本豊 阪急
J.スコット ヤクルト 簑田浩二 阪急
J.ライトル 広島 平野光泰 近鉄

オールスターゲーム

高校野球

箕島が史上3校目の春夏連覇

大学野球

社会人野球

メジャーリーグ

できごと

1月

2月

  • 2月8日
    • プロ野球実行委員会が開かれ、江川問題に関し(1)1月31日に提示された「江川 - 小林トレード」を撤回したうえで(2)小林を阪神へ無償トレード(3)江川は阪神と契約して支配下選手とし、4月7日の開幕までトレードを認めない、と決定[4]
    • コミッショナーの金子鋭は、江川事件で混乱した責任をとって辞任すると実行委員会にて表明し、了承される[4]
  • 2月11日 - 小林繁が阪神の安芸キャンプに合流。
  • 2月16日 - 南海ホークス門田博光が右足アキレス腱を断裂[5]

3月

4月

  • 4月7日
    • 午前10時に銀座のセ・リーグ事務局にて阪神から巨人へ江川の譲渡の手続きを行い、その後巨人が譲渡証明書を提出し、支配下選手申請書を提出した[8]。巨人は午前11時より港区虎ノ門のホテル・オークラにて江川卓の入団を発表[9]
    • 第51回選抜高校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場にて行われ、和歌山箕島高校が2年ぶり3度目の優勝[10]
    • プロ野球がセ・リーグ、パ・リーグ同時に開幕。
  • 4月9日
    • 巨人はテスト生として採用していた石井茂雄の現役選手登録をセ・リーグに申請し、この日公示される[11]
    • 巨人が後楽園球場での対中日3回戦に8-2と勝利し、球団通算3000勝を達成[12]
  • 4月10日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対西武1回戦の2回裏に二盗を成功させ、プロ通算700盗塁を達成[13]
  • 4月14日
    • 西武の本拠地、西武ライオンズ球場が開場。福田赳夫首相が始球式を行う。西武対日本ハム1回戦が行われ、日本ハムが7-1と勝利[14]
    • 横浜スタジアムでの巨人対大洋2回戦の7回表に、横浜市中区曙町の中華料理店で起きた火事の煙が球場に流れ込み、試合が約8分間中断[15]
  • 4月16日 - 南海の佐々木宏一郎が大阪球場での対近鉄3回戦の7回途中から登板し、プロ通算600試合登板を達成[16]
  • 4月17日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対日本ハム1回戦の5回表に柏原純一から三振を奪ってプロ通算2500奪三振を達成、またこの日柏原、加藤俊夫に本塁打を打たれて通算被本塁打が381となり、金田正一の持つ最多被本塁打記録380を更新[17]
  • 4月21日 - 阪神の掛布雅之が阪神甲子園球場で対大洋1回戦の7回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[18]
  • 4月24日 - 開幕から引き分け2つを挟み12連敗の西武が対南海戦(西武)で移転後初勝利。新人の松沼博久がプロ初勝利を挙げる[19]
  • 4月29日 - 西武の土井正博が後楽園球場での対日本ハム6回戦の9回表に6号3点本塁打を放ってホームインしプロ通算1000得点を達成[20]

5月

  • 5月13日 - ヤクルトの福富邦夫が対阪神戦(長崎)で日本プロ野球史上61人目の通算1500試合出場を達成[21]
  • 5月16日 - 大洋の平松政次が対巨人戦(石川) で通算500試合登板。
  • 5月17日 - 【MLBシカゴ・カブスフィラデルフィア・フィリーズが23対22の1点差試合としては最大得点を記録。初回から7対6と点の取り合いとなり、途中、9対21とフィリーズが12点差つけ、カブスがそれを追いつくものの、延長10回にフィリーズが勝ち越し勝利する[22]
  • 5月24日 - この日の終了時点でのパ・リーグ各球団の勝率が、近鉄(.784)、日本ハム(.600)、阪急(.571)、ロッテ(.469)、南海(.371)、西武(.211)と1割台きざみに並んだ[23]
  • 5月27日 - ヤクルトのジョン・スコットが、対阪神ダブルヘッダー(甲子園)で第1試合に2ランと満塁、第2試合にソロと3ランを放ち、足掛け2試合で「サイクル本塁打」を達成。スコットは23日から27日にかけての第8節での5試合で本塁打8本とし、節間本塁打の日本プロ野球新記録[24]

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

誕生

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

死去

脚注

  1. ^ 朝日新聞1979年1月8日19面「阪神と江川 初交渉は平行線 『君を欲しい』『巨人で…』」朝日新聞縮刷版1979年1月p215
  2. ^ 日付は公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年、116 - 117頁。ISBN 9784583616858 
  3. ^ 朝日新聞1979年2月1日1面「江川が巨人入り 阪神との契約直後 小林投手と交換」朝日新聞縮刷版1979年1月p1
  4. ^ a b 朝日新聞1979年2月9日1面「江川移籍は開幕日以降 小林の阪神入り了承」朝日新聞縮刷版1979年2月p279
  5. ^ 【2月16日】1979年(昭54) 南海・門田、アキレス腱断裂 どうなる住宅ローン!?”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年2月6日). 2015年12月18日閲覧。
  6. ^ 【12月12日】1978年(昭53) 世界の王よりも上に!王天上、ホークス入り内定”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年11月28日). 2015年12月18日閲覧。
  7. ^ 朝日新聞1979年3月17日17面「プロ野球新コミッショナーに下田氏(元最高裁判事)が就任」朝日新聞縮刷版1979年3月p631
  8. ^ 毎日新聞1979年4月7日夕刊10面「『巨人江川』が誕生 背番号30 上気して『夢みたい』」毎日新聞縮刷版1979年4月p230
  9. ^ 読売新聞1979年4月7日夕刊11面「『巨人・江川』晴れ晴れ30番」読売新聞縮刷版1979年4月p279
  10. ^ 毎日新聞1979年4月8日1面「箕島 三度目の優勝 センバツ 逆転、逆転また逆転 浪商を破る」毎日新聞縮刷版1979年4月p233
  11. ^ 読売新聞1979年4月10日19面「石井が現役選手登録」読売新聞縮刷版1979年4月p363
  12. ^ 読売新聞1979年4月10日19面「巨人、輝く3000勝達成 ベテラン勢、奮起の連打 ここ一番、堀内完投で花」読売新聞縮刷版1979年4月p363
  13. ^ 読売新聞1979年4月11日16面「福本が700盗塁 先制の2号も」読売新聞縮刷版1979年4月p404
  14. ^ 毎日新聞1979年4月15日19面「西武、こけら落とし飾れず エラー続出で自滅 日本ハムに敗れる」毎日新聞縮刷版1979年4月p477
  15. ^ 読売新聞1979年4月15日17面「煙もくもく中断」読売新聞縮刷版1979年4月p563
  16. ^ 読売新聞1979年4月17日17面「南海・佐々木宏一郎投手(三五)が600試合登板」読売新聞縮刷版1979年4月p639
  17. ^ 読売新聞1979年4月18日17面「近鉄・鈴木啓示投手(三一)が通算2500奪三振、最多被本塁打」読売新聞縮刷版1979年4月p679
  18. ^ 毎日新聞1979年4月22日19面「大洋、すかさず逆転 掛布の100号遅かった」毎日新聞縮刷版1979年4月p709
  19. ^ 『読売新聞』1979年4月25日付朝刊、14版、16面
  20. ^ 読売新聞1979年4月30日16面「西武の土井正博外野手(三五)が1000得点」読売新聞縮刷版1979年4月p1140
  21. ^ 『東京ヤクルトスワローズ40年史 1969-2009 ツバメの記憶』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、41頁。ISBN 9784583616018 
  22. ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、568頁。ISBN 4062061082 
  23. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 147.
  24. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 419.
  25. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 711.
  26. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 688.
  27. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 447.
  28. ^ 【6月26日】1979年(昭54) チーム最大の危機を救った“泣きながら”のバックホーム!”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年6月20日). 2015年12月18日閲覧。
  29. ^ 【7月31日】1979年(昭54) “ドンくさい”男がスイッチ転向2年目でプロ野球新記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年7月28日). 2015年12月18日閲覧。
  30. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 645.
  31. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 409.
  32. ^ 【9月12日】1979年(昭54) ただ1度だけ!王貞治、21年目の代打本塁打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年9月10日). 2015年12月18日閲覧。
  33. ^ 読売新聞1979年10月6日19面「阪急"土壇場アーチ"で後期優勝」読売新聞縮刷版1979年10月p225
  34. ^ 読売新聞1979年10月7日1面「広島、二度目の優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1979年10月p243
  35. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 1077–1082.
  36. ^ 読売新聞1979年10月17日1面「『パ』近鉄が初優勝 球団創設30年目」読売新聞縮刷版1979年10月p583
  37. ^ 読売新聞1979年10月25日16面「小林、2度目の『沢村賞』 セ最多の22勝 満場一致」読売新聞縮刷版1979年10月p922
  38. ^ 中国新聞1979年11月5日1面「広島、日本シリーズ初優勝 球団創設30年 悲願を達成 近鉄に4勝3敗 全員野球 見事に実る」