1971年東京都知事選挙
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1971年東京都知事選挙(1971ねんとうきょうとちじせんきょ)は、1971年4月11日に執行された東京都知事選挙。第7回統一地方選挙の一環として実施された。
保革両陣営が大衆向けスローガンを掲げて対峙した、日本初のイメージ選挙戦と評される。再選された美濃部亮吉の361万5299票は、個人として日本の選挙史上最多得票記録で、現在も破られていない。
[編集] 概説
- 現職の美濃部陣営は、ベトナム戦争等の国政問題を首長選に持ち込み、「ストップ・ザ・サトウ」を連呼して首相の佐藤榮作批判を展開した。
- その佐藤に口説かれた秦野章は、先々代知事安井誠一郎に続く警察官僚出身者で、『4兆円ビジョン』なる開発構想を掲げたものの、舌禍が災いして浸透しなかった。秦野本人も、候補者擁立を巡る混乱を『昭和元禄猿芝居』と論じた。
- 都政与党を目論む公明党と民社党は、自民党と距離を置いて美濃部の社共共闘に接近し、選挙後に発足する『四党体制』(社共公民)がここで事実上成立。
- 美濃は『美濃 部亮(みの ぶすけ)』の通名使用届を東京都選挙管理委員会に却下され、『みの義和』名義で立候補したが、選挙ポスターを美濃部の物に酷似させる等、有権者の混乱を図る減票工作を敢行した。
- 前回の都知事選で『水戸(みのべ)』の通名使用届を却下された野々上は、今選では『第二みのべ』の通名使用届を提出し、当然ながら再却下された。
- 赤尾は立会演説会で「美濃部なんて死んじゃえばいいんだ」「浅沼の二の舞になるぞ」等と発言し、脅迫容疑で警視庁に連行された。
- 久保は高知県の街宣右翼で、前回の都知事選、1968年の第8回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)、1969年の第32回衆議院議員総選挙(旧東京都第6区)に無所属で立ち、その後『自由新党』を名乗って1977年の第11回参議院議員通常選挙(東京都選挙区)にも出馬。
- 鈴木は深作清次郎の代理立候補と目される。
- 小田は過去3回都知事選に出た小田俊与の実兄で、社会大衆党の元衆議院議員。
- 真壁の筆名は篠田五郎。楢橋渡の秘書を自称し、親米建国党、三世新報社などで活動。
- 鳥羽は土木建設請負業(丸元産業社長)で、第1回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から、第9回参議院議員通常選挙に全国区から、各々立候補している。
[編集] 投票結果
※当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)
| 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| みのべ亮吉(美濃部亮吉) | 67 | 無所属 | 現 | 3,615,299票 | % | 日本社会党、日本共産党 |
| はたの章(秦野章) | 59 | 無所属 | 新 | 1,935,694票 | % | 自由民主党 |
| 赤尾敏 | 72 | 大日本愛国党 | 新 | 10,458票 | % | |
| 久保義一 | 53 | 無所属 | 新 | 3,783票 | % | |
| みの義和(美濃義和) | 31 | 政治経済日の丸評論社 | 新 | 3,636票 | % | |
| 清水亘 | 61 | 議会主義政治擁護国民同盟 | 新 | 2,160票 | % | |
| 大木明雄 | 50 | 国民社会主義大日本勤労者党 | 新 | 2,154票 | % | |
| 鈴木東四郎 | 37 | 無所属 | 新 | 2,100票 | % | 反ソ決死隊 |
| 小田天界(小田榮) | 67 | 天命会 | 新 | 1,718票 | % | |
| 南俊夫 | 59 | 世界連邦政府推進委員会 | 新 | 1,378票 | % | |
| 真壁宗雄 | 62 | 無所属 | 新 | 1,256票 | % | |
| 野々上武敏 | 61 | 都政を正す会 | 新 | 956票 | % | |
| 鳥羽照司 | 69 | 無所属 | 新 | 730票 | % |
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