Z5型駆逐艦

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Z5型駆逐艦
艦級概観
艦種 駆逐艦
艦名 第一次世界大戦で戦死した、ドイツ帝国海軍の軍人の名
就役開始 1937年6月29日(Z5)
退役完了 1958年2月12日(Z15)
前級 1934型(Z1型)
次級 1936型(Z17型)
性能諸元
排水量 基準 (公称)2,232t(Z9以降は2,270t)
全長 121m
水線長
全幅 11.3m
吃水 4.2m
機関 蒸気タービン6基 2軸推進 70,000hp
速力 38ノット
航続距離 2,700海里(巡航速度19ノット)
乗員 325人
兵装 45口径127mm単装砲 5門
83口径37mm単装機関砲 4門
65口径20mm単装機関砲 6門
533mm4連装魚雷発射管 2基8門
爆雷投射機 4基
爆雷または機雷 60発

Z5型駆逐艦1934A型駆逐艦Zerstörer 1934A)はドイツ海軍駆逐艦である。1937年から1938年にかけて12隻が就役している。

概要[編集]

1940年4月にノルウェーで撮られた「ハンス・ロディ」。

ヴェルサイユ条約によって基準排水量800t以上の駆逐艦の建造・保有を禁止されたドイツは、1923年からメーヴェ型ヴォルフ型を制限枠ぎりぎりで建造していたのだが、1933年から計画された海軍増備計画で大型駆逐艦の建造を決定した。翌年から建造を開始し、始めにZ1型を建造したが、機関の振動などにより期待された性能を発揮できなかったため、新たに本型が建造されることになった。

基本的にはZ1型の設計を流用しているが、凌波性向上のために船首楼を若干高くしている。Z5~Z8の4隻はZ1型と同じ機関を搭載しているが、Z9以降の艦はより高温・高圧のボイラーに変更したため、最高速力と排水量が若干増加している。全艦が第二次世界大戦で実戦参加し、7隻が失われ、大戦を生き残った5隻は連合国側に引き渡され、ソ連に引き渡されたZ15は1958年まで使用されている。また、大戦中盤まで残存していた艦にはレーダーの装備や対空兵装の強化などが行われている。

同型艦[編集]

艦名 造船所 起工 進水 就役 備考
Z5 パウル・ヤコビ
(Paul Jacobi)
DeSchiMagブレーメン造船所 1935年7月15日 1936年3月24日 1937年6月29日 フランス海軍に賠償艦として譲渡、Desaixと再命名の上で就役。1958年解体。
Z6 テオドール・リーデル
(Theodor Riedel)
DeSchiMag、ブレーメン造船所 1935年7月18日 1936年4月22日 1937年7月2日 フランス海軍に賠償艦として譲渡、Kleberと再命名の上で就役。1958年解体。
Z7 ヘルマン・シェーマン
(Hermann Schoemann)
DeSchiMag、ブレーメン造船所 1935年9月7日 1936年7月16日 1937年9月9日 1942年3月2日、イギリス軽巡エディンバラの砲撃により大破、自沈処分。
Z8 ブルーノ・ハイネマン
(Bruno Heinemann)
DeSchiMag、ブレーメン造船所 1936年1月14日 1936年9月15日 1938年1月8日 1942年1月25日、カレー沖にて触雷・沈没。
Z9 ヴォルフガング・ツェンカー
(Wolfgang Zenker)
Germaniawerftキール造船所 1935年3月23日 1936年3月27日 1938年7月2日 1940年4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて大破、自沈処分。
Z10 ハンス・ロディ
(Hans Lody)
Germaniawerft、キール造船所 1935年4月1日 1936年5月14日 1938年9月13日 イギリス海軍に賠償艦として接収、試験艦として使用。1946年から1949年にかけて解体。
Z11 ベルント・フォン・アルニム
(Bernd von Arnim)
Germaniawerft、キール造船所 1935年4月26日 1936年7月8日 1938年12月6日 1940年4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて大破、自沈処分。
Z12 エーリッヒ・ギーゼ
(Erich Giese)
Germaniawerft、キール造船所 1935年5月3日 1937年3月12日 1939年3月4日 1940年4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて撃沈。
Z13 エーリッヒ・ケルナー
(Erich Koellner)
Germaniawerft、キール造船所 1935年10月12日 1937年3月18日 1939年3月28日 1940年4月13日、第2次ナルヴィク海戦にて撃沈。
Z14 フリードリヒ・イーン
(Friedrich Ihn)
ブローム・ウント・フォスハンブルク造船所 1935年3月30日 1935年11月5日 1938年4月6日 ソ連海軍に賠償艦として譲渡、Прыткий(Prytkiy)として再就役。1952年解体。
Z15 エーリッヒ・シュタインブリンク
(Erich Steinbrinck)
ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所 1935年5月30日 1936年9月24日 1938年5月31日 ソ連海軍に賠償艦として譲渡、Пылкий(Pylkiy)として再就役。1958年解体。
Z16 フリードリヒ・エッコルト
(Friedrich Eckoldt)
ブローム・ウント・フォス、ハンブルク造船所 1935年11月14日 1937年3月21日 1938年7月28日 1942年12月31日、バレンツ海海戦にてイギリス軽巡シェフィールドの砲撃により撃沈。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]