聖路加国際病院

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聖路加国際病院
情報
正式名称 学校法人聖路加国際大学 聖路加国際病院
英語名称 St. Luke's International Hospital
前身 築地病院
聖路加病院
標榜診療科 内科、消化器科、循環器科、呼吸器科、心療内科、神経内科、精神科、小児科、外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、小児外科、眼科、耳鼻咽喉科、病理診断科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、放射線科、麻酔科、歯科口腔外科、臨床検査科、乳腺外科
許可病床数 520床
一般病床:520床
開設者 学校法人聖路加国際大学
管理者 石松伸一(院長)
開設年月日 1901年
所在地
104-8560
位置 北緯35度40分02秒 東経139度46分38秒 / 北緯35.66722度 東経139.77722度 / 35.66722; 139.77722
二次医療圏 区中央部
PJ 医療機関
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聖路加国際病院(せいるかこくさいびょういん、英語: St. Luke's International Hospital)は、東京都中央区にある病院である。事業主体は、日本聖公会系列の学校法人聖路加国際大学。なお、「せいかこくさいびょういん」は正式な読みではない(後述)。

概要[編集]

東京・築地にある大規模総合病院であり、東京都心部では最もよく知られる病院のひとつである。

1901年明治34年)に米国聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラーにより設立され、戦前の旧病棟の建設にあたっては多額の資金を下賜されるなど、皇室との関係もあった。1914年大正3年)に大隈重信が国際病院設立評議会の会長、後藤新平渋沢栄一阪谷芳郎が副会長をつとめ、ウィルソン大統領夫人(英語版)などからも多額の寄付があるなど、日米の政財界から多くの支援を受けた[1]。渋沢は、その後も聖路加国際病院評議会会長を務め、病院の発展のため熱心に支援した[2][3]

1992年平成4年)から1996年(平成8年)には、メディア出演や本の出版などで知られる日野原重明が院長を務めていたほか、「医療社会事業科」が設置されており、医療ソーシャルワーカーが常駐している[注釈 1]

2005年(平成17年)に就任した福井次矢院長の下では、QI活動(医療の質を表す指標測定・公開と改善活動)に力を入れた。また、この活動を国レベルで推進することを提唱した結果、現在では国内の多くの医療機関が同様の活動を行うようになった。OECD(経済協力開発機構)の日本の医療の質レビュー(2015年)においても、「聖路加国際病院で実施している質指標プロジェクトは特に印象的であり、国全体で展開するロールモデルとなりうる」との評価を受けている。これら活動が評価され、2015年には国際病院連盟賞の最高位賞である会長賞を受賞した。同賞は、国際病院連盟が主催し、世界中の病院の活動、取り組みで、顕著な功績が認められた病院を表彰するものである。

いわゆる「病院ランキング」などでは、しばしば上位に評価されるほか[4][5]研修医の初期臨床研修施設としても知られ、虎の門病院などと並んで日本で最も医学生の人気の高い研修先のひとつとなっている[6]

2012年(平成24年)7月23日、国際的な医療施設認証機関であるJCI(Joint Commission International)の認証を取得した。認証された施設は聖路加国際病院、聖路加国際病院附属クリニック予防医療センター、聖路加産科クリニック、聖路加訪問看護ステーションの4つの事業体であり、複合医療施設の同時認証は国内初、病院としての認証取得は亀田総合病院NTT東日本関東病院に続いて[要出典][7]国内3番目となった[8]

2014年(平成26年)4月、聖路加看護大学聖路加国際大学に改組するのに伴い、元の設置者一般財団法人聖路加国際メディカルセンターから学校法人聖路加国際大学が事業譲受し学校法人聖路加国際大学の病院となった。

2019年令和元年)に発表されたNewsweekの世界病院ランキング(World's Best Hospitals)では、国内で2位、世界100位以内にランクインしている[9]

2019年令和元年)11月、アメリカ看護師認証センター(The American Nurses Credentialing Center:ANCC)により、優れた看護実践を行う医療施設に与えられる、マグネット認証(Magnet Recognition®️)を国内で初取得した。

2020年令和2年)12月1日、民間の総合病院として初の特定機能病院に承認された。

2022年のNewsweek誌におけるThe world's best hospitalsで国内2番目、世界ランキング23位となった。

施設[編集]

新病院棟[編集]

1992年竣工の新病院棟(2010年4月30日撮影)

この区域は「第2街区」と呼ばれ、公道を挟んで建つ「第3街区」聖路加タワーとは、地上2階レベルで屋根付きの連絡橋によって結ばれている。新病院は1992年(平成4年)の竣工で、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティにあるセントマークス病院(1973年)をモデルに[10]日建設計によって設計された。病室は患者のプライバシーへの配慮と感染防御の観点から、小児病棟、緩和ケア病棟、集中治療室を除いた病床のすべてが個室となっている。

新病院に移転すると共に、薬品・物品の搬送は、それまでの看護師・薬剤師に代わって、専門の係員によって行われることになった(SPDシステム)。電子カルテの導入も積極的に行われ、2003年(平成15年)導入の第三次システムではほぼペーパーレス化が実現された。

また、新病院は大規模災害など大量の被災者発生の際には、機能を臨時拡張して医療処置を遂行できるよう設計されている。具体的には、施設内のあらゆる壁面に酸素供給口が設けられており、チャペル礼拝堂)・ロビーホール廊下などを広くスペースを取り救急救命医療処置が可能になっているが、これは当時の常務理事である日野原重明が、スウェーデンの病院に同様の設計があることから提言して実現したものである[11]。日野原がこの設計を取り入れたのは、東京大空襲の経験による(後述)。建設当時は無駄との批判もあったこの機能は、新病院完成から3年後の1995年に発生した地下鉄サリン事件の被害者診療時で大いに活用され、他の大病院でも採用されるようになった。

新病院では、テレビ局などのドキュメンタリー取材の受け入れも多いが[12][13]、病院の施設がテレビドラマや映画の撮影などのロケに提供されることはない。

聖路加タワー[編集]

聖路加タワー(隅田川方向より)

このツインタワー部分は「第3街区」と呼ばれ、病院の敷地を構成する3街区のうちの最も隅田川寄りの街区に建設された超高層ビルディング形態の棟。47階建てと38階建ての高低差がある特徴的なデザインのツインタワー構造で東京湾岸のスカイラインを造形する代表的な建築物として知られている。

47階建ての棟の3・4階には予防医療センター(人間ドック)があり、その上部はオフィスフロアとして賃貸されている。かつて、大手広告代理店電通の大半の部署が汐留に新本社ビルを完成させる前にこの部分に入居していた。最上部には展望レストラン「Luke」(聖ルカの意)があり、また、日本テレビフジテレビ定点観測カメラが東京湾岸の状況を中継するために設置されている。また、フジテレビと日本テレビのFPU基地が設置されている。

38階建ての棟は、下から約4分の3は医療介護付き居住施設の「聖路加レジデンス」で、約4分の1の最上部には銀座クレストンが入居している。

旧病院棟の保存部分を含む区域[編集]

1933年竣工の旧病院棟の保存部分(2010年4月30日撮影)

この区域は、「第1街区」と呼ばれる。保存部分はアントニン・レーモンドヤン・ヨセフ・スワガーベドジフ・フォイエルシュタインの3名のチェコ建築家によって設計が進められたネオ・ゴシック様式の建物で、途中で設計者がJ.V.W.バーガミニーに変更されている。 創立者トイスラーの出身地であるボストンマサチューセッツ総合病院をイメージしてデザインされた。

礼拝堂のステンドグラスは、予算の関係から複雑な聖人画などは作れなかった。逆に抽象的な図像でキリスト教の殉教の歴史を象徴する画が配されている。漁船や魚の図像は築地市場のある土地を反映したものだが、それは同時に魚がローマキリスト教弾圧の時代にキリスト教徒同士の合い言葉であり、漁船が聖ペトロ(人をすなどる漁師)を表している。

礼拝堂の前には床のタイルにハエネズミなど、伝染病を媒介する動物、及びアラジンの魔法のランプ(迷信を象徴するもの)がレリーフとして彫られており、これらを足で踏みつける事が出来るようになっている[14]

新館に移転後はオルガンなどが設置され、現在は聖公会による礼拝や聖書朗読会、オルガンコンサートなどが行われている。また、日に3度(8時30分、12時、18時)鐘楼から賛美歌が流れ明石町一帯で聴く事が出来る。

かつて病棟があったときには、各階病棟から礼拝堂(旧館チャペル)に出ることができた。旧館には現在、入院病棟は無い。

現状[編集]

現在は中央部分(外部はエントランス部分から十字架が立つ尖塔にかけて、内部は礼拝堂ロビー・事務室・トイスラークリニック・国際外来・その他)が保存されている。十字架の尖塔と礼拝堂の保存部分を中央にして左右に保存部分とデザインを整合させて設計されたウイング状の棟があるがこの部分は新築である。左側のウイングの大部分は聖路加看護大学の施設となっており、右側のウイングには「小児総合医療センター」などの施設がある。かつては右側ウイング内に「予防医療センター(人間ドック)」があったが現在は超高層ビル棟(聖路加タワー)の3・4階に移転している。

解体計画[編集]

中央区明石町の3街区にわたる病院敷地全体の再開発事業(聖ルカ・ライフサイエンスセンター構想)の開始にあたり、当初計画では旧病院棟の全体が取り壊される予定であった。しかし、日本建築学会アントニン・レーモンドの設計による礼拝堂(旧館チャペル)の文化的重要性を理由に保存の要請をした結果、設計変更が行われて旧病院棟のチャペルを含む中央部分は内外観ともにレーモンドの設計による姿が忠実に保存修復されて全体の象徴になっている。なお、チャペル及び付属する旧病棟は、居留地時代の名残を残す明石町のシンボルとして、東京都選定歴史的建造物の選定を受けている。

病院の名称[編集]

病院名は、使徒パウロの協力者の一人であり、新約聖書福音書の一つである『ルカによる福音書』の著者とされる聖人ルカの漢字表記に由来する。聖ルカは、『コロサイ人への手紙』で「親愛なる医者のルカ」(4章14節)と呼ばれていることから、キリスト教圏ではしばしば病院の名前に使われる[15]。1896年(明治29年)に聖路加国際病院の前身である「築地病院」の名称を英語で「St Luke's Hospital」としたのはウィリアムズ主教と思われる[16]

聖路加国際病院の名称における「聖路加」の正式な読みは「せいか」である[注釈 2] 一方、「せいか」の読みも定着している。職員も以前はそのように発音していることがあったが、近年では積極的に正式名を用いており、テレビ報道でも正式名称で紹介されている。同様に、関連施設である聖路加国際大学[注釈 3]聖路加ガーデン聖路加レジデンス等も同様に「せいるか」の発音が正式である[注釈 4]。なお、病院に近接する都営バスの「聖路加病院前」バス停は長らく「せいかびょういんまえ」が正しい読み方であったが、2020年頃に案内更新により「せいかびょういんまえ」に変更されている。

報道番組などにおいてはしばしば「せいか」と呼称され、そのようにルビが振られることが多い。

歴史[編集]

チャニング・ウィリアムズ
ハインリッヒ・シュミット
  • 1860年(万延元年)8月: 米国聖公会宣教医ハインリッヒ・シュミットが長崎に来日。診療所と私塾を開設し、医療活動および医学、英語教育を行う[18]。近世日本の布教史における最初の宣教医[19]
  • 1866年(慶応2年)10月: ウィリアムズが米国聖公会第2代中国・日本伝道主教に任命される[20]
  • 1873年(明治6年)11月: ウィリアムズが東京に活動拠点を移す[17]
  • 1883年(明治16年)12月: メリーランド大学医学校英語版を卒業したフランク・ハレル米国聖公会より東京の宣教医に任命[21]
  • 1884年(明治17年)
    • 3月29日: フランク・ハレルが来日[22]。まもなく東京に到着[21]
    • ハレルは前年に開院したばかりの米国聖公会が設立した大阪・聖バルナバ病院を見学し、院長のヘンリー・ラニングと会談し、ウィリアムズとラニングの同意を得て、東京にも同様の病院を設立することを目指す[22]
    • 5月12日: 築地居留地38番館のハレルの自宅に診療所(のちに、築地診療所と呼ばれた)を開院[22]
    • 6月12日: ハレルが深川聖三一教会の裏に「大橋診療所」を開設する[17][22]
    • ハレル医師が設立した2つの診療所は、とても上手くいっていたが、設備の整った病院が大いに必要とされる[21]
  • 1885年(明治18年): この年、ハレル医師の医療活動も大きく進展し、2,156人の患者が治療を受けた[21]
  • 1886年(明治19年)9月: ハレルが築地1丁目の借家に築地仮病院を開設[22]
  • 1887年(明治20年)
    • 9月: ハレル医師が日本政府へ赴任し、第二高等中学校(現・東北大学)の教師になることが決まり、宣教医を辞職しミッションから退く[21][22]
    • この年、大阪、米国聖公会ミッションの聖バルナバ病院とともに医療業務が大幅に増加し、経営は順調に推移する[21]
  • 1890年(明治23年)11月1日: ウィリアムズの要請により医師で聖公会信徒の長田重雄が京橋区船松町13番地に「愛恵病院」(英語名:Tokyo Dispensary)を開設して院長となる[16]
  • 1896年(明治29年)6月13日: 愛恵病院が立教大学校校舎(現・立教大学)があった築地居留地37番に移転し、「築地病院」(英語名:St. Luke's Hospital)と改称[16]
  • 1899年(明治32年)秋: 築地病院が閉鎖。長田院長が辞任する[16]
ルドルフ・トイスラー
開設された聖路加病院の英語名は、築地病院と同じ「St. Luke's Hospital」であり、閉鎖されていた聖公会系の築地病院の再建でもあった[16]
健康社築地病院について
近年まで、スコットランド一致長老教会宣教医師ヘンリー・フォールズが1874年(明治7年)に東京・築地の外国人居留地に設立した「築地病院(別名:健康社)」[23](後に東京都が設立する築地産院とは別)の建物をトイスラーが買い取り、聖路加病院を開設したとされてきたが、築地病院(健康社)の建物と土地は、工手学校(現・工学院大学)が1888年(明治21年)に購入し、校舎としていることから[24]、フォールズの築地病院スコットランド一致長老教会系)と、聖公会系の愛恵病院の後身である築地病院(英語名:St. Luke's Hospital)とは別の病院と考えられる。
大隈重信
渋沢栄一
阪井徳太郎
ポール・ラッシュ
  • 1928年(昭和3年):立教大学教授のポール・ラッシュがトイスラーを助け、新病院建設資金の募金活動に尽力[27]。募金本部をニューヨークに置き、トイスラーの指揮もあり、1931年(昭和7年)までの間に募金計画額260万ドル(現在換算価額:約120億円)を達成[28][注釈 11]
  • 1933年昭和 8年): 皇室・米国聖公会・米赤十字などの寄付により新病院再建(現在の旧館)[23]
  • 1943年(昭和18年): 戦時体制下で大東亜中央病院(事業主体:財団法人大東亜医道院)と改称する[23][26]
  • 1945年(昭和20年): 当病院があることにより築地・明石町一帯はアメリカ軍機による東京大空襲の爆撃を免れた(一説にはアメリカ軍が病院屋上より爆撃地点を確認したとの説がある。モー・バーグ参照)。
    日本の敗戦後には旧称に復帰(事業主体は財団法人聖路加国際病院と改称)するが、日本を占領下においた連合国軍を構成する一員となったアメリカ軍に病院施設が接収されて米軍極東中央病院として使用されたため、現在の国立がんセンター中央病院がある場所に「聖路加築地分院」を開設して診療を行った[23]
  • 1955年(昭和30年): 「本院」がアメリカ軍から返還され、現在地に戻った[23]
  • 1963年(昭和38年): 附属の看護専門学校を改組し4年制の聖路加看護大学とする[23]
  • 1992年平成 4年): 関東大震災後の仮設病院跡地に新館完成、病院設備の大部分が旧館より移転[23]
  • 1995年(平成 7年): 地下鉄サリン事件が発生。最寄り駅である築地駅で最も多くの被害者が出たが、当時の院長日野原重明の積極的な指示により、本件で最大の被害者受け入れ先となった[23]
  • 2013年(平成25年): 事業主体を財団法人聖路加国際病院から一般財団法人聖路加国際メディカルセンターと改称(2015年、一般財団法人聖路加財団に名称変更)[26]
  • 2014年(平成26年): 聖路加看護大学を聖路加国際大学と改称、学校法人聖路加国際大学を事業主体とする大学附属病院として改組[26]

聖路加国際病院は、1933年にルドルフ. B. トイスラーが語った、「キリスト教の愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる この偉大な愛の力を だれもがすぐわかるように 計画されてできた生きた有機体が この病院である」の言をその理念としている。

診療科[編集]

  • 一般内科
  • 腎臓内科
  • 血液内科
  • 内分泌代謝科
  • リウマチ膠原病センター
  • 感染症科
  • 腫瘍内科
  • 緩和ケア科
  • 心血管センター
    • 循環器内科
    • 心臓血管外科
  • 消化器センター
    • 消化器・一般外科
    • 消化器内科
  • 呼吸器センター
    • 呼吸器内科
    • 呼吸器外科
  • 脳・神経センター
    • 神経内科
    • 脳神経外科
    • 神経血管内治療科
  • 小児総合医療センター
    • 小児科
    • 小児外科
    • Well baby Clinic(乳幼児健診)
  • 整形外科
  • 形成外科
  • ブレストセンター
    • 乳腺外科
    • 乳腺腫瘍内科
    • 放射線腫瘍科
  • 女性総合診療部
    • 一般婦人科
    • 女性外科
    • 周産期科(旧・産婦人科)
  • 生殖医療センター
  • リエゾンセンター
    • 精神科
    • 心療内科
  • 皮膚科
  • 泌尿器科
  • 形成外科・美容外科
  • 眼科
  • 歯科口腔外科
  • 耳鼻咽喉科
  • 救命救急センター
  • 国際外来
  • 放射線科
  • 病理診断科
  • 放射線腫瘍科
  • 麻酔科
  • 人間ドック科
  • 遺伝診療部
  • 臨床検査科
  • 腎センター

戦時中のエピソード[編集]

日野原の著書、小学館「戦争と命と聖路加国際病院ものがたり」にて、1945年3月10日の東京大空襲の後を「からだの一部が焼け焦げて炭のように真っ黒になってしまった人、傷口から激しく出血している人、髪も顔も全身が焼けただれている人。大けがやケガを負った人が、まるで荷物のようにトラックで運ばれてきました。チャペル前のロビー、地下室、女子専門学校の体育室、ついには廊下まで、ベニア板を並べ、その上に布団を敷いて、負傷者を収容しました。激痛に気を失う人、気がふれたように歩き回る人、中には頭部がぱっかりと割れ、体を動かすことができずにじっと座って痛みに耐えている人もいました。」と回想している。

関係者一覧[編集]

各種認定[編集]

不祥事 [編集]

  • 2017年5月22日 - 当院の男性牧師(40代)が5月22日、病院内にある牧師の控室で、難病治療に伴い心のケアを受けていた女性患者に抱きつき胸を触るなどした。警視庁築地署が強制わいせつ容疑で、男性牧師を書類送検した。男性牧師は5月8日、女性患者に「マッサージして」と頼み女性に肩などをもませているうちに無理やり下半身を触らせたという。さらに同22日に女性患者が男性牧師に被害を抗議すると、さらなるわいせつ行為に及んだ。男性牧師は患者を精神的にサポートする「チャプレン」として勤務していた[53]。刑事事件としては不起訴となったため、女性は牧師と聖路加国際病院を相手取り提訴した。2022年12月に性加害行為を認定する判決が出され[54]、2023年1月に確定した。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「医療社会事業科」については、日本の医療ソーシャルワーカーの第1号は浅賀ふさで、1929年、アメリカで学んだ浅賀が聖路加国際病院に勤務したことから日本の医療社会事業の歴史が始まったという背景がある。明治期には困窮者に医療を提供しつづけたことで明治天皇から褒状と花輪が贈られた。
  2. ^ 聖路加国際病院は東京都知事を主務官庁として特例財団法人としての登録名称には、「セイルカコクサイビヨウイン」という振り仮名となっている。
  3. ^ 文部科学省等に「セイルカコクサイダイガク」という読みで登録されている。
  4. ^ 同レジデンスを運営している株式会社聖ルカレジデンスが「ルカ」を片仮名表記している。
  5. ^ 後藤新平(逓信大臣)が、桂太郎首相へトイスラーの聖路加の国際病院化計画を伝え、計画の正式な認可が与えられることとなった。トイスラーと後藤を引き合わせたのは、トイスラー夫人の知り合いで、後藤と同郷の新渡戸稲造であった。また東京市長の尾崎行雄は、トイスラーの計画が市にとって有益であると賛同し、1912年7月に新たに東京市長に就任した阪谷芳郎も、尾崎の考えを継承した。
  6. ^ 特にトイスラーのいとこでもあったウィルソン大統領夫人(英語版)は計画に大きな関心を示し、25万円の寄付を行うほどであった。
  7. ^ 会長には1903年から1905年まで駐日アメリカ大使をつとめたグリスコム(Lloyd C. Griscom)が就任。その他メンバーには著名な東洋学者やフィランソロピスト外交官が含まれていた
  8. ^ 大隈重信は前年の1913年(大正2年)から聖路加病院への援助方法の検討を進め、1914年(大正3年)4月に第二次大隈内閣が発足すると、聖路加の国際病院化計画は本格化していく。同年7月に、大隈は首相官邸に名士・実業家・閣僚・政府高官など28名を招き、「大日本国際病院設立評議会」が発足するに至った。
  9. ^ 大正天皇から5万円の下賜金があり、阪井徳太郎の尽力で、三井家岩崎家からは、各5万円の計10万円の寄付を受けた。その他朝野の有志より10万円の寄付もあった。
  10. ^ 診療科目は,内科,外科,産婦人科,皮膚科,泌尿器科,耳鼻科,眼科,歯科,X線科を擁していた。
  11. ^ 募金活動が成功した背景には、聖路加国際病院が米国聖公会の伝道事業であり、大富豪であるロックフェラー財団やモルガン財団が全面的に協力したことがあった。

出典[編集]

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外部リンク[編集]