綾小路きみまろ
| あやのこうじきみまろ 綾小路きみまろ |
|
| 本名 | 假屋 美尋(かりや よしひろ) |
|---|---|
| 別名 | 中高年のアイドル、まろ、まろ様、きみまろ、きみまろさん、ウィリアム等 |
| 生年月日 | 1950年12月9日(61歳) |
| 出生地 | (現・鹿児島県志布志市) |
| 民族 | 日本人 |
| 血液型 | O |
| ジャンル | 漫談、司会業 |
| 活動期間 | 1979年- |
| 備考 | |
| 5代目鈴々舎馬風門下生、落語協会会員、日本司会芸能協会理事 | |
綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋(かりや よしひろ)、1950年12月9日 - )は、日本の男性漫談家、お笑いタレント。愛称は「まろ」「まろ様」「きみまろ」「きみまろさん」「ウィリアム」等。
以下本項では本人を「きみまろ」「本人」「自身」等と表記する。
目次 |
[編集] 人物紹介
鹿児島県曽於郡松山町(現・志布志市)出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有[1]。
鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。
「落語協会」会員[1]である。また、日本の司会者統括団体である『日本司会芸能協会』の理事も務めている[2]。
芸風は立川談志、上岡龍太郎、ビートたけし、毒蝮三太夫等によって確立された毒舌漫談というジャンルであるが、中高年世代が持つ人生の悲哀をユーモラスに語るのが特徴で、とりわけ中高年(メインは40代後半以降の所謂団塊世代。尚、きみまろ自身も1950年生まれの為、団塊世代にあたる)に人気が高いため「中高年のアイドル」とも言われる。しかし本人は「毒蝮三太夫さんの様に『クソババア』とは言えない」と述べている(漫談の基本スタイルやきみまろ自身がいつも口にしているセリフについては#きみまろの漫談スタイル・傾向、#きみまろの口癖を参照の事)。きみまろ自身、50歳を超えて漸くブレイクした事から、「遅咲き」と自負している。
山梨県南都留郡富士河口湖町に別荘「きみまろ亭」を持つ。別荘ではあるが、自身の自宅である。2003年にサラリーマン川柳からの盗用を認め謝罪した。一時のブーム沈静化後にはテレビ出演する機会が減ったが、地方では1日に2回公演・3回公演と精力的に営業を行ない、2004年山梨県の長者番付で2位となる。2004年に清水國明とともに、富士河口湖町の特別町民の第1号として表彰された。
カツラを使用している事をマスメディアで自らカミングアウトし、本人もカツラ(ヘアピース)を認めている。因みに、揉みあげは地毛で、あとは「ズッポリ」だという。また、髪を後ろで束ねている部分については、下半分が地毛で上半分がカツラの髪であるとSmaSTATIONで香取慎吾に明かしており、万が一のときにカツラが完全に取れてしまわないようにするためである。
痛風・高血圧・睡眠時無呼吸症候群の持病がある事も自身の著書で度々公開している(詳しくは後述を参照の事)。
[編集] 来歴
- 1969年
- 1979年 日劇より漫談家としてデビューする。同郷の森進一や小林幸子などのコンサートの司会を務める。この頃からサービスエリアで休息中の観光バスに自作の漫談テープを配布しており、主に山梨県内や静岡県の御殿場周辺で配布していた。
- 長い下積み時代に1年間だけ「山本一貴」と芸名を変えた事があるが、彼自身はこの1年間を抹消したいそうだ。また、本名をもじった「狩屋きみまろ」と名乗った時期もあり(この時期にタモリ倶楽部に取り上げられたが、その時点ではブレイクならず)。
- 1993年「きみまろ」という芸名でワーナーミュージックジャパンより『ねぇ、聞いてんの!~中高年悲哀物語~』(B面『なげきのブルース』)でCDデビュー。漫談でありながら曲調はトランスという斬新的な企画ではあったがこの時点ではまだ脚光を浴びる事は無かった(12年後の2005年に「きみまろトランス」で同じコンセプトのCDをリリースしている)。
- 1994年(狩屋きみまろ時代)『はぐれ刑事純情派』part7「みちのく温泉郷白い手袋の女」(小林幸子がメインゲストの回)に会社社長役で出演。
- 2002年
- 漫談CD・カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1弾! 中高年に愛をこめて...』のリリースにより注目を浴びる。
- 独演会の様子を書籍化。
- 2003年
- サラリーマン川柳からの盗用が発覚し謝罪会見を行う。
- 第17回日本ゴールドディスク大賞で企画・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 各種DVD・書籍の発売。
- 『森田一義アワー 笑っていいとも!』に半年間レギュラー出演(隔週火曜日)。
- NHK紅白歌合戦に白組の応援ゲストとして出演。漫談を披露[3]。
- 2004年 漫談『交通安全漫談』をリリース。第41回ゴールデン・アロー賞を受賞。
- 2005年
- 『きみまろトランス』をリリース。第47回日本レコード大賞「企画賞」を受賞。
- 「NHK紅白歌合戦」にゲスト出演。
- 2007年
- 2008年 『スタジオパークからこんにちは』にゲスト出演。
- 2009年 NHK BS2の『ごきげん歌謡笑劇団』にレギュラー出演。番組進行を勤めている。2011年4月現在も放送中(月1〜2回)。2011年度からNHK総合でも放送されている。
- 2010年 『NHK紅白歌合戦』にゲスト出演(森進一、天童よしみの曲紹介)。
[編集] エピソード ・私生活
- 現在の家族構成は本人、母、5歳下の弟が一人、妻、子供3人。家族は一般人の為氏名は公表していない。尚、子供3人の内、一人は東京大学医学部出身、妻は東京都内出身[4]。
- 父(1918年-1997年、故人)は馬の種付けの仕事をしており、戦時中は徴兵されて戦地に出向いた事もある[5]。戦後も引き続き馬の種付けの仕事を続けていた中、自衛隊からスカウトが来たものの、スカウトを突っ撥ねた事がある。晩年も農作業等を続けていたが、1997年に耕耘機の事故の為死去。本人の父の生い立ちは2010年8月放送のNHK「ファミリーヒストリー」に於いて全貌が公開されている。
- 幼少時代から司会者を志しており、毎日の様にドラマ等のナレーターや、市場のセリ等の物真似をやっていた。それに対して両親は「バカじゃないのか?」「頭がおかしいんじゃないか?」と疑っていた。
- 父が選挙の応援演説で熱弁を振るっていた影響から、高校時代、3年間連続弁論大会に出場していた。高校卒業後は「司会者を目指す為に上京する」と決めていたが、当時地元のスーパーや工場、郵便局等しか就職先が無い中で、現実的には「司会者になるには大学を出ていないとなれない」という事で1年浪人して拓殖大学に進学した。
- 高校卒業後、上京する際、父からは1万円しか貰えず、その1万円を持って夜行列車「高千穂」に乗って上京したという。
- 拓殖大学在学中は未明の新聞配達と深夜のキャバレーのバイトを掛け持ちしていた。
- ブレイク前の1995~6年頃、高速道路のサービスエリアで自作のカセットテープを配っていたところ、サービスエリアの係員に「何やってんだお前は!お前勝手に物を売るな!」と怒られた事がある。それに対しきみまろは「いや、売ってるんじゃないんです。タダで(漫談のテープを)配ってるんです」と弁解していた。そのテープは妻が徹夜で録音していたものである。きみまろが生活している地域では当時、オウム真理教のメンバーらによる一連の事件で厳戒態勢が敷かれていた事もあってか、係員からは「宗教の勧誘テープでも配ってんじゃないのか」と奇異の目で見られた事もあり、時には係員に事務所迄連れて行かれて尋問された事もあった。その反面、サービスエリアの係員とは仲良くなった事もあったり、あるバスガイドからは「タダで貰ったテープをバス内で流した所、客からは大変好評を受けた」事がきっかけで本人のブレイクへと繋がっている。又、当時はカセットテープの販促葉書に「笑って転げて40分」のフレーズと共にきみまろの女形を掲載していた事もあった[6]。
- 下積み時代、地方での仕事が入った場合等、金が無い為にホテル等の宿泊料金が勿体無いという理由で市街地の路上で車中泊していて警察官から職務質問された事もあったと言う。その反面、職務質問の警察官と仲良くなって遣り取りを楽しんでいた事もあり、きみまろ自身も「売れない時代は警察官が友達の様な存在だった」と述懐している。
- キャバレーで司会をしていた時、きみまろ自身がキャバレーのホステス目当ての客に対し抗議が来ても仕方の無いフレーズを掛けた事から、カタギでは無い様な人物から脅されて白菜の漬物を投げ付けられ、背広に付いた跡形が暫く消えなかった事もあった。
- 『たけしの誰でもピカソ』の出演に際し、売れない時期に同じ舞台で出演していたビートたけしと楽屋で久し振りの対面を果たす。「きみまろさんってあの時のきみまろさん…」とたけしが語りかけ、お互いに涙を流して抱き合い、その後のネタを収録する時にも感極まり、途中声が出なくなる場面もあった。
- 学生時代は柔道をやっていて、初段。
- 少年時代は実家が相当貧しかった為、習い事は何もしておらず、本人曰く「学校で習った算盤位」だったとの事。高校受験の願書に資格や特技を記入する欄に「算盤7級」と記入した所、担任の教師に呼び出されて「7級は資格の内に入らないから消去する」と言われた事もあった。
- 鹿児島の実家には母親が今でも暮らしており、その事についてきみまろは「鹿児島に母親を一人残しているのはとても不憫だから母親を東京に連れてきて一緒に住む」と言っているが母親は言う事を聞いておらず、鹿児島から出たくないと主張している。その母は挨拶に非常に厳しく、きみまろが帰省したと同時に「挨拶回りに行って来い」と、すぐ挨拶回りを強制し、「通りすがりの人にも挨拶しろ」と教育されていた事を自身の書籍等で公開しているが、きみまろはその事に関しては不服と感じている様で、「俺は挨拶回りの為に帰郷したのでは無い」等と、母親とケンカになる事もままある。
- 実家は携帯電話やテレビ放送の電波の受信もままならない程のかなりの過疎地にあり、本人曰く「私が故郷に住んでいた頃は3階以上の建物は見た事が無かった」との事。
- かなりの田舎町で育った為か、少年時代は家族が所有している畑で野菜を作って食べたり、きみまろ自身も川で魚やカニ等を釣ったり捕まえたりして食べたり、又、山地で父親が獲ってきた鳥獣類を食べたりする等、自給自足の食生活をしていた。
- ネタで使っている「父親が痛風、母親が糖尿のハーフ」というフレーズがあるが、自身も痛風の持病があり(本人によると45歳辺りから患っているとの事)、肉料理を食べられなくなり、旅先等で隠れて肉料理を食べるとすぐ足先がピリピリと痺れるという。本人曰く「皮肉な事に私の名が売れる様になってから痛風を患う様になり、肉料理が食べられなくなった」そうである。痛風を患っている為、食事も野菜料理が中心で、本人曰く「精進料理の様な生活を送っている」との事。
- 痛風のみならず、高血圧や睡眠時無呼吸症候群も患っており、その他、高校時代迄夜尿症を患っていた。高校時代迄続いていた夜尿症については、母親から毎朝蹴られたり、弟とケンカすると苛められたりしていた他、実家は布団一式を買う事も大変な程貧しかった為、濡れたままで臭いの漂う真綿の布団に寝せられていた[7]。睡眠時無呼吸症候群については、きみまろ自身が昼間起きている時や自動車を運転している時に、目を開けたまま眠ってしまう事がある為である。又、高血圧についてもきみまろ自身、舞台ではずっと立ちっ放しという事もあってか、公演中によろけて意識が朦朧とする事がある為である。
- 趣味は農作業、骨董品の収集、草むしり、ジョギング。骨董品の収集は入手する迄の過程に魅力を感じている。ジョギングはきみまろが自分の健康維持の為にしている事で、本人曰く「本格的に運動するのは高校時代の柔道部以来」との事。その他、神社や寺を見物する事も好き。農作業に関しては、きみまろ曰く「年を重ねる毎に農作業の楽しさや喜びが分かる様になってきた」との事[8]。
- カツラを使用する様になったきっかけは1998年頃に開かれた中学校の同窓会で当時の担任から「君、私より髪の毛が少なくなったね」と言われショックだった事である。カツラについて「カツラは夏場は蒸れるんです。おしめを被っている様です。」と述べている。又、客からカツラを取ってみてと言われると非常に機嫌が悪くなる。本人曰く「カツラを取って見せる位なら被らない。カツラを取る事はパンツを脱ぐより恥ずかしい」との事。又、きみまろは40代前半辺りから薄毛に悩まされており、人から「ツルツル」という言葉を聞いただけでも機嫌が悪くなる。
- 哲学は「人間なんておしめで始まっておしめで終わる」である。又、きみまろはネタの中でもこのフレーズを使っており、「人間なんておしめで始まりおしめで終わる、だからおしめえ(お終い)だ」と締めくくる。この哲学は、きみまろ自身が前述の夜尿症で苦しんでいた事から生まれた。
- 酒は芋焼酎を少し嗜む程度である。タバコは吸っていないが、30代の時数年間吸っていた事があった。
- 「綾小路きみまろ」という芸名の由来については2004年に11月27日のZAKZAK(産経新聞社)の取材に対し、ポール牧の持ちネタである「僕の名前、あやのこうじきみまろ~」から盗用した事を告白しているが、「綾小路きみまろ」として活動してから数年後にポール牧本人から許諾を得ている為、法的には一切問題は無い。
- かつてきみまろは、漢字表記で「君麿」[9]と名乗っていた事もあった他、「松山城二」と名乗っていた事もあった。「松山城二」の由来はきみまろの故郷にある松山城(現在は焼失)にあやかって名付けられていた。
- 老人ホームでライブをさせて貰った際、きみまろは「老人ホームのお年寄り達は凄いです。何を話しても、何を喋っても全く反応が無い」とコメントした事がある。
- マッサージ師の免許を取得したきっかけは、きみまろ自身、特に重要な資格を持っておらず、せめて何か手に職を付けようと考えた事である。一時期、マッサージ師の資格を生かして開業医を開きたいと思っていた事もあったが、現在も実現していない。
- 知人等に対する金の遣り取りは、「金は返さなくていいから、二度と自分の元に来ないで欲しい」と突き放す様な対応をしている。
- ある時、実家に行き来する際に利用している宮崎空港で見つけた「きみまろ」なるチーズ饅頭を購入した所、大変気に入り、自身がゲストとして招かれたテレビ番組や雑誌等でこれを紹介すると、注文が殺到した。「きみまろ」は自身が芸能界入りしていなかった頃から存在している土産物である。
- その他、きみまろは栗の果肉を包んだロールケーキ・「綾小路」と言う土産物をプロデュースした事もあり、本人曰く「東京・京都の名店のコラボ」との事。
- きみまろの自宅近くには「あ・うん亭」と言う鉄板焼きレストランを経営している。又、きみまろは「阿吽の呼吸 きみまろ」と言う名の焼酎をプロデュースしており、この商品は山梨県河口湖町にあるきみまろの関連商品を取り扱っている商店「るりびょうたん」で販売されている。この商店は、河口湖猿まわし劇場の向かいにあり、その他、「まろ漬け」なる漬物や、「シャトーまろろん」なるワインも販売している他、きみまろの絵柄が入っているTシャツや、勿論、きみまろの著書やCDも販売されている。又、設立当初、当のきみまろ本人は店名を「瑠璃瓢箪」と命名しようと検討した事もあったが、かな書きの方が馴染み易いと言う事でひらがな表記の「るりびょうたん」に落ち着いたと言う経緯がある。焼酎は自身の好きな芋焼酎であり、地元鹿児島県産のサツマイモのみを原料としている。
- 故郷・鹿児島では吉永小百合ときみまろの2人で選挙演説張りで鹿児島市内を巡回した事もある。
- 鹿児島県出身と言う事で、本人曰く「九州鹿児島から浴衣を着て犬を一匹連れて上京して来た人間」との事。
- 富士山を好きになったきっかけは、きみまろが20歳頃の時、富士急ハイランドにスケートに行った時、初めて見る富士山の勇姿に感動した事であった。又、山梨県にある自宅は、1990年、きみまろが40歳の時に建てられた。自宅はここもやはり携帯電話やテレビの電波も受信出来無い様な山奥にある。きみまろ曰く「別荘はローンを組んで建築した」との事だが、「もし自分自身がブレイクしていなければ今頃大変な事になっていただろう」とも発言している。
- 趣味の農作業できみまろが所有している耕耘機はホンダ製[10]。
- キクラゲが嫌い。これについては、きみまろが幼少時代、近所の裏山にキクラゲが自生していて、毎日の様にそのキクラゲに乗っかって滑って遊んでいた為、本人がキクラゲが食用として料理(特に中華料理)に良く出されている事を知っていないからである。又、父親が狩猟で捕獲したウサギやタヌキの肉も癖がある為か、あまり好きでは無い様だ。
- ウナギも今は全く食べていないと言うが、きみまろが幼少時代の時はドジョウと一緒に結構良く食べていた。
- 一時期、健康食品にも凝っていた事があったが、どれも長続きせず、本人も「健康食品は青汁は別だが、味がしないし、直ぐ飽きる、要するに薬と一緒」と自身の著書で記述している。この事は、きみまろ自身も漫談のネタとして取り上げた事もある。
- 将来の夢は「あの人は今の特番に出演する事」。
- 2010年初頭に発売されたきみまろの第0集のCD発売と当時に、きみまろの絵柄が描かれているラジカセ、「きみまろDVDラジカセ」も発売されている。このラジカセはCD・カセット・ラジオ再生は勿論の事、AVケーブルを繋げてDVD再生や、マイクを繋げてカラオケも楽しむ事が出来る。又、操作キーはここでもやはり中高年が殆どである事に配慮して全て日本語表記となっている。このラジカセは、日本直販のテレビショッピングで放送された事があり、日本直販を経由して購入する事が出来る。価格は16,800円で、キャッチフレーズは「機械に弱い中高年に愛を」。又、このラジカセを買うときみまろのライブCDが漏れなく付いている。
[編集] きみまろの漫談スタイル・傾向
- きみまろのステージ上のファッションはカツラと扇子、それに背広に燕尾服。
- 入場の挨拶では「ようこそいらっしゃいました、御元気でしょうか」。又、「気力の無い拍手を頂き、誠に有難うございます」と挨拶する事もある。
- ライブの始まりでは、特に女性客に対して「綺麗ですね」と褒めちぎった後、きみまろが「私は女性を見る目が無いのです」とオチをつける。
- きみまろを語る上で欠かせないのが「あれから40年」のフレーズである。
- 老化現象、高齢化社会、物忘れ、アルツハイマー、痴呆症、カツラを引き合いにしたフレーズが多い。又、中高年以降の夫婦の確執をネタにする事もある。
- 内容が少し度を超えてしまった時は「私も人の事をどうこう言える顔ではありません」とフォローしている。本人によると、「毒舌と言っても言いっ放しでは客に迷惑を掛けてしまいかねない」との事。
- 又、きみまろのネタには前述の通り、「クソジジイ」「クソババア」と言うセリフは一切使用されていない。
- きみまろ自身、ライブの客は50代以上の中高年が殆どである事から「ジジイ、ババアの養殖場」と形容している。又、客の事を「昭和枯れすすきの皆さん」と表現する事もある。きみまろのライブにはきみまろよりも遥かに年長の70歳以上の高齢者が来ている事も珍しくなく、彼らに対しても情け容赦の無いフレーズを掛ける事も少なくない。会場によっては「敬老の日よりも高齢者が多い」との事。又、きみまろのライブの客には90歳以上の所謂「超高齢者」が来る事もあり、ライブの音源の中できみまろが相当年老いた客に年齢を尋ねた所、「93歳」と回答された事もある。最近のパターンとしては40代後半や50代を「中高年予備軍」と形容する事がある。
- きみまろの身長は165cmだが、ネタの中では「179cm」としている。
- きみまろはライブで自分の事を「ウィリアム」と称している。又、「潜伏期間30年」のフレーズも多用している。自身が自称している潜伏期間とは1969年頃から1999年頃迄の期間とする説や、1972年頃から2002年頃迄としている説がある。
- きみまろのライブでの一人称は主に「私」であるが、時折「きみまろ」と言う事もある。
- きみまろにとって、「避けて通れない事」は2つあり、それは「呼ばれないと来られない事」「客を選べない事」。
- きみまろのライブは地方で行われる事が多い為、例えば、東北地方から最終の新幹線で東京に戻った後、東京駅前のホテルに泊まり、翌朝西日本方面に向かうというスケジュールも多い。しかしその一方、千葉・神奈川・静岡・茨城・埼玉等の関東近県のライブや東京キー局でテレビの収録があった時は日帰り出来る為、自宅で妻と食事をする事が出来ると言う。
- きみまろ自身、新ネタの考案は夜寝る布団の中でする事が多く、自身のベッドの隅にはメモ帳(きみまろ曰く「ネタ帳」)と筆記用具が据え置かれている[11]。又、自宅で趣味の農作業の合間にもネタの発声練習をする事もある。
- 最後は必ず「一言多かった事を心からお詫び申し上げます」と締めくくる。
- きみまろの初代のCDでは、1トラックのみで約44分も収録されていたが[12]、それ以降は幾つかのトラックに分割している。
- きみまろの漫談はCD・カセットの2セットで販売されている。又、CD・カセット共に「ライブでの公演を基に録音されていますので、聞き苦しい部分がある事をお許し下さい」の断りがある。収録時間は何れの作品も約40分。2010年元旦に発売されたCDではテープ音源のきみまろの漫談が約20分の2セットで収録されている。
- 「きみまろトランス」では、トランスの楽曲では珍しく、カセットも販売されている。
- ステージやホールのみならず、老人ホームや刑務所、果ては暴力団の事務所でライブをした事もある。
- きみまろの第1集のCDの演目「中高年に愛を込めて・・・」は2000年年末に東京・新宿にある新宿末広亭のホールで初披露され、翌年2001年初頭にある演芸場近くの鰻料理専門店にて師匠と面接して許可を得た事で落語家デビューしている[13]。
- CD販売に関しては当初、きみまろはあまり乗り気では無かったが、カセットテープに録音しただけでは本人の名前が歴史に残せない事、そしてきみまろの漫談は中高年が殆どである事からCDで聴いている世代にも是非きみまろの漫談を聞いて欲しいといった事から、CD販売に踏み切った経緯がある。
- 「きみまろの漫談を聴いて年老いた家族の病気が良くなった」との評判を受けた事もある様に、きみまろの漫談は老化防止や病気の進行の歯止めには殊の外適しているとされている。
- 2007年頃にきみまろ自身、海外進出を果たし、第3集のCDのかなり後の部分でニューヨークで自身のライブを開いていた事のフレーズが収録されている。
- 2008年初頭に発売された第3集のCDでは、きみまろの第1集のCDが160万枚と、予想以上の売れ行きを示した事を公表したフレーズが収録されている。本人曰く「見た事も無い税金を払った」との事。
- 2010年元日に発売されたCDでは、きみまろが1990年代にサービスエリアで自作のテープを配布していた物の2セットをそのまま収録している。又、始まりと終わりに流れている音楽は「手のひらを太陽に」をアレンジした物だと思われる。又、この作品は1990年代の音源をそのまま収録している事から、「痴呆症」等のフレーズは一切差し替えられていない。ジャケットの表紙裏にはきみまろのこれ迄の半生と経歴、そしてきみまろのスナップ写真の数々が掲載されている。
- 2009年からバスツアーで漫談する機会が増え、観光する体力が無いという理由でバスツアー後はホテルへ直行し、ホテルの一室に籠もりつつ当日録音した自身の漫談を聴いては反省し改良・新ネタ作成を積み重ねている。
- 本人によると、「痛風の持病がある中でもスケジュールは数年先迄ぎっしり埋まっている」との事。前述の通り、痛風持ちの中でも痛み止め等の投薬治療をする事で痛風持ちの体にムチ打って乗り切っている。
- NHKの報道番組で彼の漫談スタイルについて取り上げられた事もある。この時頻繁に取り上げるネタとして語られた事として「冷え切った夫婦関係(35%)」、「容貌の衰え(32%)」、「死や病気(28%)」があるが、その事を女性アナウンサーが真面目な顔で語っている姿は話題を呼んでいる。なお、この日の放送の後半では毒蝮三太夫とアナウンサーが対談している。
[編集] きみまろの口癖
この節では、きみまろがライブでよく口にしているセリフの一例を羅列している。中には、時代背景を反映したフレーズを発する事もある[14]。
- 「私は元ファッションモデルの綾小路きみまろと申します、ささやかな尊いご縁で御座います」
- 「前も後ろも中高年、右も左も中高年、中高年のお祭りです」
- 「運命のイタズラ」
- 「ねえ聞いてんの」
- 「何とお礼を申し上げて良いのか、お礼の言葉もありません、ありませんから言いませんが」
- 「美しい方ばかりです、首から下が」(若しくは「綺麗な方ばかりです、口紅が」)
- 「大型バスで護送されまして、こちらの会館に身柄を拘束されてやって来ました」
- 「一言多いのが仕事です」
- 「私は冗談が言えません。口数が多くて言葉が足らないのです」
- 「謹んでお喜びを申し上げます」
- 「もう2度と会う事は無いでしょう、会いたくも無いでしょう」
- 「そこで笑っている奥様、綺麗だったんですよ、面影無いですけど」
- 「私は今56歳、若く見えるかも知れませんが、何故若く見えるのか、子供を産んでいないからです」(「56歳」はCD第3集収録当時のきみまろの年齢)
- 「何がおかしいんですか、残念ですあんな顔に笑われて。私だってあなたの顔を見て笑いたいです」
- 「人間を顔や形で判断する人は心の貧しい人です」
- 「人間は生きていく上に於いて、綺麗とか綺麗じゃないは関係ありません」
- 「人間は顔や形ではありません、一番大事な物は見た目です」
- 「道に迷ったタヌキの様な顔をしておりますが、これでもあなたと同じ人間です」
- 「私は悪口を言っているんじゃありません、批判しているだけです」
- 「この様な素晴らしい会場で皆様にお会い出来たこの喜びと感動は、恐らく忘れるでしょう」
- 「豊かな教養、溢れる美貌にこぼれる脂肪」
- 「ここ迄やって来られたのは誰のお蔭でもありません、ここにおいで下さったお一人お一人のお客様の前でやっている私の力です」
- 「もうやってられないと言いながらも毎日生活しております」
- 「ここに来ている人達の年齢はズバリ、42歳です、娘が」
- 「誰かに似てますねこの3名、このあいだ布団叩いて逮捕された人に」[15]
- 「ご主人様は会社や家族の為に汗水垂らして働いて、酒と薬を交互に飲んで生活しております」
- 「外見はヨレヨレ、若い時の元気はどこへやら」
- 「足はガクガク、目はショボショボ、おしっこチョロチョロ」
- 「散歩しただけで徘徊と間違えられ、独り言でボケと間違えられ、ボケた振りをしてもボケと間違えられる今日この頃」
- 「中高年にダイエットは必要御座いません、70・80になったら痩せます」
- 「言った事は忘れ、言おうとした事迄忘れ、忘れた事も忘れました」
- 「何をしに席を立ったか忘れ、長電話の用件も忘れ、メモした事も忘れ、探し物をして何を探してたか分からなくなり、メガネを掛けてメガネを探し、パンツの上にパンツを履いて、お手洗いに行ってどっちを出すのか分からなくなり、両方とも出してしまう」
- 「私達の世代は700万人から800万人居りますが、これから数年後にかけて次々と職を失います、つまり、定年なのです」(2007年当時のライブ音源より。当時、団塊世代が次々と定年を迎える事を反映してのフレーズでもある)
- 「これからの世の中は高齢化社会です、4人に1人がボケます」(このフレーズの後、きみまろが客を指差し「1・2・3・ボケ、1・2・3・アルツハイマー、1・2・3・痴呆症」等のフレーズを掛ける事もある)
- 「辛辣な発言が続いておりますが、私の悪い所です」
- 「メモを取っている方が居ますが、私の話はメモを取る様な話ではありません」
- 「動物は歯が無くなった時が死ぬ時です、人間は歯が抜けてからが長いのです、だからこそ、そこに知恵が生まれるのです」
- 「生きる権利があるんですよ、ただ生きる資格は無いんです」
- 「悩みも痛みもその内必ず解決致します」
- 「男性の本当の幸せは奥様よりも早くこの世を去る事です、女性の本当の幸せとはご主人様が亡くなったその後に静かに後を追う事です、そしたら葬式は一日で済むのです」
- 「クヨクヨ生きる事はありません、人間の死亡率は100%です」
- 「綺麗事を並べてみようが、大金持ちになろうが、大きな家に住もうが、人間なんて所詮、おしめで始まりおしめで終わる、だからおしめえ(お終い)だ」
[編集] テレビCM
何れも本人出演。
- ユニデン「ハイビジョン対応液晶ワイドテレビ」
- はごろもフーズ「ぱぱっとライス」(きみまろ自身の似顔絵が付いた杓文字のアニメと声の出演)
- キッコーマン「Pearl Soy Milk」(同社がアメリカで販売している豆乳のCM。アメリカ国内の日本語チャンネルで放送)
- パナソニック「ルミックスTZ3・TZ5」(2007年3月16日 - 、長山藍子と共演)
- UHA味覚糖「マルチビタミンのど飴」
- フジ日本精糖「キープ・フラワー」(2009年4月 - ???)
- KDDI/沖縄セルラー電話「au by KDDI 簡単ケータイシリーズ」(2009年8月 - )
- スカパー!「時代劇特集」
- 森永製菓「甘酒 芸能人甘酒クラブ巡業中 ライブ編」(小野真弓、ダンディ坂野と共演)
ナレーション
- 映画『武士の家計簿』予告編
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- きみまろ ねぇ、聞いてんの!~中高年悲哀物語~…(1993年・「狩屋きみまろ」名義)
- きみまろの「やってられなぁーい!?」(2004年・「綾小路きみまろ Featuring マリア」名義)
- きみまろトランス(2005年)
[編集] アルバム
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛を込めて…(2003年)160万枚[16]
- ゴールドディスクミリオン認定。
- 交通安全漫談(2004年)
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第2集! ガンバッテいただきたいの…(2006年)60万枚[16]
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第3集! 知らない人に笑われ続けて35年(2008年)
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第0集!すべてはここから始まった(2010年元日)※ゴールドディスク認定
- 綾小路きみまろ 爆笑スーパーライブ第4集!~拝啓 中高年&予備軍の皆様へ~(2010年10/24)
[編集] ビデオソフト
[編集] その他
[編集] 書籍
- 有効期限の切れた亭主・賞味期限の切れた女房(2002年)2003年に文庫本化
- きみまろ流(2003年)2005年に『こんな女房に誰がした? きみまろ人生劇場』と改題され文庫本化
- きみまろ!―爆笑毒舌「ネタ帳」150連発!(2004年)
- こんな夫婦に誰がした? 謹んでお慶び申し上げます(2005年)2007年に文庫本化
- 妻の口 一度貼りたい ガムテープ(2007年)
- 一つ覚えて三つ忘れる中高年(2008年)
- 私は名もない毛もない きみまろと申します(2008年)
- あの顔その顔この顔で謹んでお慶び申し上げます(2008年)
2007年11月現在、単行本47万部・文庫本94万部、総計141万部を販売[16]
[編集] 脚注
- ^ a b きみまろどっとこむ(綾小路きみまろ公式ウェブサイト)
- ^ 日本司会芸能協会 理事役員 日本司会芸能協会
- ^ 当時のきみまろのファッションは赤毛のカツラに白の背広、そして日の丸マークの扇子。又、きみまろは当時、最後に赤毛のカツラを外すというオチで締めくくっていた(但し、本人の性格に配慮して素の状態は頭に白い布を巻いていた)。
- ^ 尚、戦時中に生まれた腹違いの兄も居たが、きみまろが生まれる数年前の1945年に肺炎の為生後半年で夭折、父の前妻も同じく病の為25歳の若さで逝去している。それ故、きみまろは父が前妻と死別して再婚した後に一番初めに生まれた子供という事になる。母親も再婚で、前夫とは病気の為に死別している。
- ^ 父は日中戦争の時徴兵され、向かった戦地が中国だった。馬の種付けの仕事の他、一時期福岡県の小倉で兵器工場に勤務していた事があった。馬の種付けだけでは生活が成り立たない為、農業も同時に兼ねていた。
- ^ だが、販促葉書を配る事でマネージャーから「販促葉書を配るのは止めて欲しい」と諭された事もあった。
- ^ 2004年発行の自身の著書「きみまろ!―爆笑毒舌『ネタ帳』150連発!」より判明。掛け布団どころか、畳ですらも台無しにしてしまう程可也重症だったとの事で、本人もこの体験をした事を自身の原点だと述べている。
- ^ 農作業の様子は自身の著書でその写真を掲載した事がある。
- ^ 漢字表記だと読み間違えられる事が多い為、現在の芸名に改名した経緯がある。
- ^ きみまろが耕している作物は、当初は大根、葱、南瓜等を作っていたが、猿に作物を持っていかれたり食われたりする等の被害に遭った事から、茄子、ピーマン、唐辛子、獅子唐辛子に切り替えた経緯がある。そうした事で猿の被害を食い止める事が出来たという。
- ^ 書く時の文章は縦書きが殆どで、横書きするのは外国語以外一切無い。
- ^ ランダムプレイ防止の為、最後迄聴いて欲しいと言う意図があった為と思われる。
- ^ 第1集のCDの発売は2002年ではあるが、実質的な発表時期は2001年。
- ^ 例・第1集(2002年)では不況・狂牛病・高齢化社会の事を反映したフレーズ、第2集(2006年)に於ける奈良騒音傷害事件、第3集(2008年)に於ける団塊世代の大量退職(所謂2007年問題)や地球温暖化で北極の氷が溶け出して将来的に日本は水浸しになる危険の事を語ったフレーズ等。
- ^ 2005年当時のライブ音源より。
- ^ a b c d e きみまろ新ネタに自信「賞味期限なし」 ― スポニチ Sponichi Annex スポニチ演芸館 2007年11月02日
[編集] 関連項目
- 毒舌
- お笑いタレント
- 日本お笑い史
- ピストン西沢 - DJ。きみまろトランスのリミックスを手がけた。
- 綾小路家
- 鹿児島県出身の人物一覧
- 森進一 - きみまろ自身が専属司会者を務めた
- 小林幸子-同上
- 伍代夏子-同上
- ビートたけし-きみまろと芸風が似ているタレント
- 上岡龍太郎-同上
- 毒蝮三太夫-同上
- やしきたかじん-同上
- 荒木経惟-自身の著書の対談コーナーで登場
[編集] 外部リンク
- きみまろどっとこむ(綾小路きみまろ公式ウェブサイト)
- きみまろトランス
- (社)落語協会 プロフィール
- テイチクエンタテインメント