南稚内駅

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南稚内駅
駅舎(2005年5月)
みなみわっかない
Minami-Wakkanai
W78 抜海 (11.7 km)
(2.7 km) 稚内 W80
地図
所在地 北海道稚内市大黒1丁目8-1
北緯45度23分53.5秒 東経141度40分58.8秒 / 北緯45.398194度 東経141.683000度 / 45.398194; 141.683000座標: 北緯45度23分53.5秒 東経141度40分58.8秒 / 北緯45.398194度 東経141.683000度 / 45.398194; 141.683000
駅番号 W79
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 256.7 km(旭川起点)
電報略号 ミナ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
[* 1]41人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1922年大正11年)11月1日[1]
備考 社員配置駅
みどりの窓口
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南稚内駅
みなみわっかない
Minami-Wakkanai
宇遠内 (2.1* km)
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 148.9 km(音威子府起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1922年大正11年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)4月30日[1]
備考 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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南稚内駅(みなみわっかないえき)は、北海道稚内市大黒(だいこく)1丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。事務管理コードは▲121850[2][3]駅番号W79

特急「宗谷」「サロベツ」を含む全列車が停車し、第二次世界大戦後から天北線が廃止されるまでの間は日本最北の接続駅でもあった[注釈 1]

歴史[編集]

初代稚内駅として建設中の様子
初代稚内駅の構内の様子
1977年の南稚内駅と周囲約700 m範囲。左が稚内方面。国鉄形配線の2面3線と外側に2本の副本線、駅舎横名寄方面に貨物ホームと2本の引込み線を持つ。左上に稚内機関区の扇形庫が見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

当初、旭川駅から浜頓別経由で北上してきた宗谷線(2代)[4]終点として、稚内駅(初代)という名前で1922年大正11年)11月1日に開業した[5]。この駅は現駅からは約1kmほど北の、稚内港郵便局のあるあたりであった。駅は頭端式で建設され、駅構内には機関庫や客車の留置設備なども設けられた。

1923年(大正12年)5月1日に、稚内と当時日本領であった南樺太とを結ぶ稚泊連絡船が開設されたが[5]、この時点で稚泊連絡船の発着する桟橋(北防波堤)までは駅から2kmほど離れており、その間を旅客は徒歩、貨物は荷車で連絡しなければならなかった。

1924年(大正13年)6月25日には、当駅から分岐し兜沼へ向かう天塩北線が開業し[5]1926年(大正15年)9月25日には音威子府から幌延経由の天塩線(3代)として全通した[6]。その後、1930年(昭和5年)4月1日付で、幌延経由が宗谷本線(2代)、浜頓別経由が北見線(のちの天北線)となった[6]

1928年(昭和3年)12月26日には宗谷本線が当駅から桟橋に近い稚内港駅まで延伸されたが[6]、当駅は頭端駅であったためにそのまま延伸できず、駅手前から分岐させる形で稚内港まで延長された。このため稚内駅に到着した列車は一旦本線上まで退行し、進路を変更して前進していくことになった。稚内 - 稚内港間は1.5 マイルと設定されていたが、1930年(昭和5年)4月1日のメートル法移行時に、単純にkmに換算した2.4kmにするのではなく1.2kmとした。これは移転などによるものではなく、当初設定のマイルを修正したものであると考えられている。1939年(昭和14年)2月1日には当駅が南稚内駅へ改称され、従来の稚内港駅が稚内駅(2代)となった[6]

1928年(昭和3年)には当駅が現在地点へ移転することが決まり、1952年(昭和27年)11月6日付けで移転した。このときに、南稚内駅以南の各駅との間は、南に移転した分として営業キロが1km短縮されたが、南稚内と稚内間の営業キロはそれよりも長い1.5km増加して2.7kmとなった。これは実キロ(2.5km)よりも長く、廃止されたスイッチバックの往復分を誤って加算したのではないかとの推測があるが、現在に至るまで稚内までの営業キロは2.7kmのままである。移転後の駅舎は当初はバラック建ての建物であったが、翌年に木造モルタル造りの駅舎が完成している。

1971年(昭和46年)12月、国道40号のバイパス新設に伴う南稚内駅 - 稚内駅間の高架化事業(全長1.1km)に着手した。総事業費5億円を投入し、1975年(昭和50年)11月、高架0.7kmと盛土0.4kmが完成して開通し、踏切3カ所を解消した[7]

年表[編集]

  • 1922年大正11年)11月1日鉄道省宗谷本線(のちの天北線)鬼志別 - 当駅間延伸開業にともない稚内駅(初代)として開業する(一般駅[8]。稚内機関庫が設置される。
  • 1924年(大正13年)6月25日:天塩北線(後の天塩線を経て現在の宗谷本線の前身)の兜沼 - 当駅間が開業する[5]
  • 1928年昭和3年)12月26日:当駅 - 稚内港駅(現在の稚内駅)間の延伸開業に伴い、途中駅となる[6]
  • 1930年(昭和5年)4月1日:路線呼称を変更。幌延駅経由の天塩線を宗谷本線に編入し、従来の浜頓別駅経由の宗谷本線は北見線(音威子府駅 - 浜頓別駅 -南稚内駅)となる[6]。メートル法施行時に、稚内港との営業距離を1.5マイルから1.2kmに修正する。
  • 1939年(昭和14年)2月1日南稚内駅に改称する[6]
  • 1949年(昭和24年)6月1日公共企業体である日本国有鉄道に移管。
  • 1950年(昭和25年)2月1日:名寄客貨車区稚内支区が設置される。
  • 1951年(昭和26年)8月1日:小口扱い貨物の取り扱いを開始[9]
  • 1952年(昭和27年)11月6日:駅舎が移転し、稚内市街地から宗谷本線・北見線の分岐点近くまで約1 km移動する[6]。これに伴い、抜海との距離は12.7kmから11.7kmに、声問との距離は8.1kmから7.1kmに、稚内との距離は1.2kmから2.7kmに変更される。
  • 1953年(昭和28年):木造モルタル造りの駅舎が完成する。
  • 1961年(昭和36年)4月1日:路線呼称が変更され、北見線が天北線となる。
  • 1975年(昭和50年)11月:南稚内駅 - 稚内駅間の高架工事(全長1.1km)が完成する[10][7]
  • 1978年(昭和53年)3月:駅舎増改築工事完了。現在の外観となる[* 2]
  • 1983年(昭和58年)4月1日:貨物取扱を廃止する[11]
  • 1985年(昭和60年)3月14日荷物取扱を廃止する[11]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[11][12]
  • 1989年平成元年)5月1日:天北線が廃止される[11][12]
  • 1991年(平成3年)11月13日:宗谷北線運輸営業所発足。稚内運転所・稚内工務所を統合し、当駅所属となる。
  • 2004年(平成16年)3月13日:稚内駅の管理下となる。当駅所属の運転士を宗谷北線運輸営業所に統合する。
  • 2005年(平成17年):南稚内駅長が廃止される。のちに稚内管理駅の業務が移管され、南稚内駅長が復活している。
  • 2016年(平成28年)4月1日:当駅所属の工務社員(旧稚内工務所)を名寄保線所稚内保線管理室として分離する。

駅構造[編集]

単式ホーム島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する交換駅。ホーム間の移動は跨線橋を使う。列車は基本的に駅舎側ホームの1番線に入り、島式ホーム内側の2番線は回送列車を含む列車行き違いがある時のみ使用される。2010年以降、当駅から終点の稚内駅線路終端まで棒線化されたため[13]転てつ器出発信号機場内信号機を設置する駅としては日本最北端となった。稚内方にある遠方信号機は稚内駅が棒線化された際に設置された。また、島式ホーム外側の3番線は乗降部が崩され保線車両の留置線となっている。

駅長配置の社員配置駅。出札・改札業務は日中のみだが、入換作業などがあるため輸送担当社員は終日配置されている。みどりの窓口指定席券売機(クレジットカード専用)[14]が設置されている。また、近距離区間の自動券売機も設置されている。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1・2 宗谷本線 上り 名寄旭川方面
下り 稚内方面
  • 2番線は行き違い時のみ使用

かつての配線[編集]

前述のように当初は、現在地点よりも1kmほど北に所在していた頭端駅であった。以下に1924年(大正13年)2月5日時点での配線図を示す。この時点では、浜頓別駅経由の後に天北線となる路線が宗谷本線であり、現在の宗谷本線である幌延駅経由の路線は未開通であった。幌延経由の路線の第一歩となる、天塩北線の稚内 - 兜沼間が開業したのは1924年6月25日のことであるが、この配線図では既に兜沼への線路も描かれている。

稚内駅1924年2月5日時点配線図
稚内駅1924年2月5日時点配線図
凡例
出典:[15]


1928年(昭和3年)12月26日に稚内港駅まで延長されると、この駅は頭端駅であったためスイッチバック構造となった。稚内駅に到着した列車は、一旦本線上へ退行した後に再び前進して稚内港駅への線路へ進んでいた。南稚内駅へ改称された後の1941年(昭和16年)3月時点の配線図を示す。

南稚内駅1941年2月時点配線図
南稚内駅1941年2月時点配線図
凡例
出典:[16]


1952年(昭和27年)11月6日付けで南へ1kmほど移転してスイッチバックを解消した。これにより駅は現在地となった。1975年3月時点での配線図を示す。この時点では側線がまだ多数残存しているが、その後の貨物輸送の廃止などに伴い多くは撤去されている。

南稚内駅1975年3月時点配線図
南稚内駅1975年3月時点配線図
凡例
出典:[17]


旧・稚内機関区[編集]

1977年の稚内機関区と周囲約700m範囲。左上が稚内方面。扇型車庫と転車台。左上は稚内客貨車区。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

当駅と稚内駅の間にある車庫は稚内駅・幌延駅発着の車両を格納する車庫となっているが、かつては「稚内機関区」として利用されていた。現在は特急列車の折り返しのための清掃および整備作業を行っている。この車庫は当駅から入線する形となっており、稚内駅到着後に一旦、当駅まで回送運転する。そのため当駅には終日運転扱いの駅員が配置されている。

旧・稚内機関区には車両や運転士も配置されていたが、1986年11月ダイヤ改正で「稚内運転区」に改称され(後に「稚内運転所」に改称)、救援車オエ61形67号[注釈 2])以外の車両の配置はなくなった。稚内運転区では天北線が廃線となった1989年に廃止された「稚内車掌区」の業務を引き継ぎ車掌業務も行っていたが、宗谷北線運輸営業所(名寄)発足後に車掌は「宗谷北線運輸営業所南稚内駅」の所属となったのち、1993年3月に普通列車のワンマン化のため車掌業務は廃止された(現在、特急列車の車掌業務は旭川車掌所が担当)。稚内運転所が南稚内駅に統合された際に運転士も「宗谷北線運輸営業所南稚内駅」所属となったのち、2004年3月改正で合理化のため宗谷北線運輸営業所に統合された。

利用状況[編集]

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「稚内市統計書」を基とする値については窓口乗車券発売人員のみの値であり、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1935年(昭和10年) 37,713 (103.0) [* 3]
1949年(昭和24年) 111,023 (304.1)
1968年(昭和43年) 292,215 (800.6) [* 2]
1970年(昭和45年) 229,663 (629.2)
1975年(昭和50年) 208,439 (569.5)
1980年(昭和55年) 151,685 (415.6)
1985年(昭和60年) 102,409 (280.6)
1990年(平成02年) 62,226 (170.5) 前年度で天北線廃止
1991年(平成03年) 51,381 (140.4)
1992年(平成04年) 63,510 (174.0) 乗降人員430人[18]
1993年(平成05年) 67,525 (185.0)
1994年(平成06年) 68,270 (187.0)
1995年(平成07年) 67,580 (184.6)
1996年(平成08年) 62,771 (172.0)
2005年(平成17年) 44,500 (121.9) [* 4]
2006年(平成18年) 43,800 (120.0)
2007年(平成19年) 43,800 (119.7) [* 5]
2008年(平成20年) 45,300 (124.1)
2009年(平成21年) 43,800 (120.0)
2010年(平成22年) 43,800 (120.0)
2011年(平成23年) 40,520 (110.7) [* 6] 乗降人員222人[19]
2012年(平成24年) 37,230 (102.0) 乗降人員204人[19]
2013年(平成25年) 31,040 (85.0) 乗降人員170人[19]
2014年(平成26年) 29,600 (81.1) 乗降人員162人[19]
2015年(平成27年) 31,300 (85.5) 10名以上 [* 6][JR北 1] 乗降人員170人[19]
2016年(平成28年) 30,300 (83.0) 97.4 [* 7][JR北 2] 乗降人員166人[19]
2017年(平成29年) 27,700 (75.9) 83.4 [* 7][JR北 3] 乗降人員152人[19]
2018年(平成30年) 25,200 (69.0) 75.2 [* 7][JR北 4] 乗降人員138人[19]
2019年(令和元年) 23,400 (63.9) 67.8 [* 7][JR北 5]
2020年(令和02年) 14,200 (38.9) 60.6 [* 8][JR北 6]
2021年(令和03年) 15,000 (41.1) 50.4 [* 1][JR北 7]
2022年(令和04年) 46.6 [JR北 8]

駅周辺[編集]

かつては稚内市の郊外だったが、市街地の南・東地区への拡大と人口の移動に伴い、駅周辺も市街地の一部となった。大型商業施設(西條百貨店など)や郊外型の商業施設、ホテル、ファストフード店などが多数立ち並んでおり、チェーン店で日本最北のものも多い。

交通[編集]

公共施設など[編集]

  • 宗谷合同庁舎
  • 稚内警察署
  • 旭川地方裁判所稚内支部
  • 稚内地方合同庁舎
    • 稚内開発建設部
    • 稚内税務署
    • 旭川地方検察庁稚内支部
    • 稚内税関支署
    • 旭川地方法務局稚内支局
    • 稚内労働基準監督署
    • 旭川保護観察所稚内駐在官事務所
  • 北海道立稚内水産試験場
  • ホクレン稚内支所
  • 北宗谷農業協同組合稚内支所
  • 稚内南郵便局
  • 稚内信用金庫南支店
  • 市立稚内こまどり病院

文教施設[編集]

主な商業施設[編集]

宿泊施設[編集]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
普通
抜海駅 (W78) - 南稚内駅 (W79) - 稚内駅 (W80)

かつて存在した路線[編集]

北海道旅客鉄道(JR北海道)
天北線
宇遠内駅 - 南稚内駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現在は網走駅石北本線釧網本線)が該当。
  2. ^ 1990年6月7日に廃車。現在は豊富駅で保存されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c 石野 1998, p. 907.
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  4. ^ 宗谷線の線路敷設の歩み”. 1998年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月29日閲覧。
  5. ^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 14頁
  6. ^ a b c d e f g h 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 15頁
  7. ^ a b 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、720頁。doi:10.11501/9490970https://doi.org/10.11501/94909702022年8月11日閲覧 
  8. ^ 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955191/2. 
  9. ^ “運輸省告示 第214号”. 官報 (大蔵省印刷局) (5863). (1946-07-31). doi:10.11501/2962374. https://dl.ndl.go.jp/pid/2962374/1/9. 
  10. ^ 稚内のあゆみ(歴史)”. 稚内市. 2021‐05‐11閲覧。
  11. ^ a b c d 石野 1998, p. 903.
  12. ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 17頁
  13. ^ 『週刊JR全駅・全車両基地 No.60 稚内駅 北見駅 丸瀬布駅ほか77駅』朝日新聞出版、2013年10月13日、4-10頁。 
  14. ^ 指定席券売機/話せる券売機|駅・鉄道・旅行|JR北海道- Hokkaido Railway Company”. 北海道旅客鉄道. 2024年2月1日閲覧。
  15. ^ 三宅 2005, p. 144
  16. ^ 三宅 2005, pp. 150–151
  17. ^ 三宅 2005, p. 152
  18. ^ 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、151頁。ISBN 978-4093951012 
  19. ^ a b c d e f g h 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧

JR北海道[編集]

  1. ^ 極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  2. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区). 北海道旅客鉄道 (2017年12月8日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
  3. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年7月2日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
  4. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  5. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  7. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
  8. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。

稚内市資料[編集]

  1. ^ a b 第10章 交通”. 令和4年版稚内市統計書. 稚内市 (2023年3月). 2023年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月23日閲覧。
  2. ^ a b 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、726頁。 
  3. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729https://doi.org/10.11501/34487292022年8月11日閲覧 
  4. ^ 運輸・通信・観光(データ)”. 平成22年版稚内市統計書. 稚内市 (2010年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
  5. ^ 第10章 交通”. 平成24年版稚内市統計書. 稚内市 (2012年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
  6. ^ a b 第10章 交通”. 平成28年版稚内市統計書. 稚内市 (2016年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
  7. ^ a b c d 第10章 交通”. 令和2年版稚内市統計書. 稚内市 (2020年). 2021年4月30日閲覧。
  8. ^ 第10章 交通”. 令和3年版稚内市統計書. 稚内市 (2021年). 2022年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月30日閲覧。

参考文献[編集]

  • 三宅俊彦「稚内、南稚内駅の歴史研究」『鉄道ピクトリアル』第828巻、電気車研究会、2010年1月、86-95頁。 
  • 三宅俊彦「稚内駅3代記 -さいはての国鉄駅、その歴史の変遷-」『トワイライトゾーンマニュアル』第14巻、ネコパブリッシング、142-160頁、2005年12月。 (RMモデルズ臨時増刊号)
  • 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。 
  • 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]