北村謙
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北村 謙(きたむら けん、1951年4月22日 - )は、京都府京都市生まれのフォークシンガー、ラジオパーソナリティ。常に、第一線で活躍している数少ない京都フォークの要である。
[編集] 来歴・人物
音楽との結びつきは強く、小学校5年のときの京都市少年合唱団から始まる。中学3年のときに、姉に連れられて行ったAFLコンサートで、ザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河を聞き、衝撃を受ける。
アマチュアバンド活動を経て、1970年、井芹まこと・城田純二と共に高石友也とバックステップカントリーバンドに、ベースで参加する。活動期間は、わずか1ヶ月ほどだった。
1971年~1973年、はしだのりひことエンドレスに参加。代表曲は『嫁ぐ日』『時は魔法使い』。 エンドレス活動中に病気によりはしだよりレイオフを言い渡されるが、完治を待たずにエンドレスは解散し、京都に帰ってきてからばっくすばにぃを結成、ビクターからシングルレコード『私の朝』『しあわせ京都』をリリース。
1976年になり、「日本列島ズバリリクエスト」、「朝からハッピーきたむらけん」など数本のレギュラー番組が、KBS京都(現 京都放送)ではじまり、本格的なDJ活動を開始する。1977年、MBS毎日放送でMBSヤングタウンの火曜日を担当。
1978年、ばっくすばにぃから岸本はやとが脱退。新たに3人のメンバーを加えて活動を再開。ビクターから『夢追い岬』をリリース。1980年に、ばっくすばにぃは解散。ソロ活動に入る。この頃にはアニメのテーマソングなども手がける。レコード化されたものは『僕は三輪車ライダー』『どびびぃーんセレナーデ』など。
1981年8月23日、円山野外音楽堂で『きたむらけんー夏にさようなら』のコンサートを行う。音楽・DJ等の活動を一時休止する。前述の『どびびぃーんセレナーデ』は活動休止中の1983年にリリースされたものである。
1984年、上岡龍太郎劇団の公演『夢かけ地蔵』の音楽監督を担当する。1985年7月17日、NFD(なつかしのフォークソング同窓会)コンサートをプロデュース、開催に至る。
長い活動休止期間の後、1993年、少年倶楽部を結成。当初は、北村謙、五十川清、宮崎勝之の3人であったが、1994年に三好寛昭、森巧美、福井秀彦が加入。(福井秀彦は、1995年に脱退)アルバムは『元気』『少年倶楽部』『DO YOUB REMEMBER』を発売。
1995年になり、KBS京都のラジオ番組『朝からハッピーING』『京都大好きラジオ』『ふれあい広場530』を担当する。
2001年、50歳になるのを期に、念願のナッシュビルでのレコーディングを開始する。バイロン・バーライン、ビル・キース、ブライアン・サットンらを招きソロアルバム『桜の島の風の中にいる』を制作。同時に、ソロ活動『banjoひとり旅』を開始。各地で精力的なライブ活動を行う。また、渡邊裕子の二十弦箏とのユニットも始め、好評を得る。
2003年、京都上七軒歌舞練場で『北村謙一座旗揚げ公演』を開催。座員は桂九雀・中村正公・中村多恵子・渡邉裕子 他。また、2004年には娘の北村菜々子と共に創った『こんばんはヨーカイです』が、第9回世界妖怪会議(滋賀県八日市市=現在は東近江市)の公式キャンペーンソングとなる。
2005年、自身が作曲の『楽しやなぁ』が、桂枝雀 (2代目)一門の出囃子に採用される。
2007年 4月、KBS京都テレビで『北村謙のハッピー大人塾』が始まる。オープニング曲には「今もずっと」、エンディング曲には「悠久」が採用される。どちらも自身のオリジナル曲である。
2008年 1月、かねてから執筆中であった『KEN`s style melodic clawhammer Banjo』 -日本初のクロウハンマースタイルのバンジョーの教則本ーが完成。
バンジョーといえば、ブルーグラスやデキシーランド・ジャズで用いられることが多く 賑やかでうるさい楽器という印象が強かったが、それを覆したのがクロウハンマースタイルを基本とした北村 謙の奏法である、と言えるだろう。 演奏者というだけでなくヴォーカリストとしても、ジャンルにとらわれないレパートリーの数々には懐の深さを感じる。
現在 2001年から始めたソロライブ活動『banjoひとり旅』を各地で続けている。時には単独で、時には多様なゲストを迎え、その表現の幅を拡げている。北村 謙の奏法が、他の楽器とのコラボレートにより様々な表情に変わる。正にバンジョーの可能性を追求していると言えるだろう。
上記の通り、シンガーソングライターとして、クロウハンマーバンジョープレイヤーとしての活躍は 枚挙に暇がない。
なお、音楽・ラジオ・テレビの活動だけではなく、落語や料理にも造詣が深い。
[編集] 『どびびぃーんセレナーデ』に関する特記事項
山本正之が作詞・作曲した本楽曲はタイムボカンシリーズ第7作『イタダキマン』のエンディングテーマ曲だが、音楽担当として同シリーズを支えてきた山本が同作のフジテレビのプロデューサーであった岡正と軋轢を起こした末、マンネリを口実にオープニングテーマを外されたことに激怒したことから、本楽曲を自分では歌わず、自分とよく似た声の歌手を探し出した結果、活動休止中だった北村に歌わせたものである。北村の声があまりにも山本に似ていたので、山本が歌っていると思いこんだ人も少なからずいた。

