ルーヴル美術館

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世界測地系48°51′41″N, 2°20′6″E

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パリのセーヌ河岸
フランス

ルーブル美術館
ルーブル美術館
英名 Paris, Banks of the Seine
仏名 Paris, rives de la Seine
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(ⅰ),(ⅱ),(ⅳ)
登録年 1991年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ルーヴル美術館の位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  
フィリップ2世時代に建造された要塞の一部
シャルル5世時代のルーヴル。『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より

ルーヴル美術館(ルーヴルびじゅつかん、Musée du Louvre)は、パリにあるフランスの国立博物館である。

メトロポリタン美術館アメリカ合衆国ニューヨーク)などと並んで世界最大級の美術館の1つであるとともに、アシュモリアン美術館1683年)や、ドレスデン美術館1744年)、バチカン美術館1784年)と並んで、ヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられる。世界遺産パリのセーヌ河岸に包括登録されている。初代館長はナポレオンの外交官であったヴィヴァン・ドゥノン

世界的に有名な絵画・彫刻を多数所蔵している。

目次

[編集] 沿革

[編集] 概要

ルーヴル美術館は、パリの中心部、セーヌ川の右岸に位置し、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。その起源は12世紀末に建造の始まったパリの街を守護するための要塞であり、時代の変遷とともにフランス王家の宮殿、そして美術館へと変貌を遂げてきた。

[編集] 中世のルーヴル

ルーヴル (louvre) の語源については、サクソン語で「要塞」を意味するleovarとも、ラテン語で狼狩りを意味するluparaとも言うが、定かでない。

セーヌ川の中洲であるシテ島は、中世においてもパリの中心地であった。都市の防衛という面で、街の中心を流れるセーヌ川自体が防御の弱点となっていた。そこで、カペー朝第7代の王・フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト、在位1180 - 1223)は、シテ島のわずかに下流のセーヌ右岸に城砦を築くことを命じた。1190年のことである。円筒形で、径約15メートルのドンジョン(主塔、天守)の周囲に方形の城壁(約78×72メートル)を巡らした要塞は、20年余の歳月を要して完成した。この城壁は、現代のルーヴルのシュリー翼の位置にあたり、シュリー翼の中庭(クール・カレ)の南西側4分の1の面積に相当する。当時のルーヴルは宮殿ではなく、まさに要塞であり、建物の大部分が武器庫、兵士の宿舎及び牢獄にあてられていた。パリ市の防衛のために建造されたルーヴル城であったが、この城が英国など外国からの攻撃にさらされることは、結局なかった。

当時のルーヴルの遺構は、後のナポレオン3世の時代、1866年にも発掘調査が行われているが、本格的・学術的な発掘調査が行われたのは1984年から1986年のことである。この時に発掘されたドンジョンや城壁の一部は、そのままの形でシュリー翼の地下に保存され、一般に公開されている。

14世紀に入ると、ルーヴルの城塞としての意味合いは次第に薄れ、時の国王シャルル5世(在位1364 - 1380)は、レーモン・デュ・タンブルに命じてルーヴル城を改修し、「要塞」のイメージが強かったルーヴルを、規模は従来のままで、華やかな「城館」(シャトー)へと造り替えた。

[編集] ルネサンス期以降

フランソワ1世(クルーエ筆)
ル・ヴォー(作者不詳)

その後もこの建物は歴代のフランス王によって拡大と改築が続けられていった。その中でルーヴルをルネサンス様式の壮麗な宮殿に改築しようとしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンとしても知られるフランソワ1世(在位1515-1547)である。フランソワ1世は1528年、ルーヴル城のドンジョン(主塔)を取り壊した。1546年には建築家ピエール・レスコに命じて、旧城を取り壊し、新たな宮殿を建築する工事を開始したが、その翌年フランソワ1世が没したため、仕事は息子のアンリ2世(在位1547-1559)に引き継がれた。しかし、方形の城郭のうち、宮殿に改築されたのは西側と南側のみで、残りの部分にはいまだに中世の城壁が残されていた。アンリ2世の死後、その妃カトリーヌ・ド・メディシスは、ルーヴルの西約500メートルのところに新たな宮殿の建築を始めさせた。かつて瓦(テュイル)製造工房があったことから、テュイルリー宮殿と呼ばれるこの宮殿は、フィリベール・ドロルムの設計で、1563年から建築が開始され、完成には約1世紀を要した。

ヴァロア王朝の終焉後、ブルボン王朝の初代の王であるアンリ4世(在位1589-1610)は、旧ルーヴル城の部分を4倍の面積に広げ(現代のシュリー翼に相当)、セーヌ河に沿ってルーヴルと西のテュイルリー宮殿を直接結ぶ、長大な回廊(今日「グランド・ギャルリ」として知られる)を建設させた。グランド・ギャルリの建設やクール・カレ(方形中庭)の拡張を含む「グラン・デッサン」(大計画)はアンリ4世の時代に開始されたが、造営は次のルイ13世(在位1610 - 1643年)の時代にも引き継がれた。

太陽王ルイ14世(在位1643 - 1715年)もさらなる拡張計画を進め、1657年からは建築家ルイ・ル・ヴォーが中心となって、クール・カレ(方形中庭)の拡張、ならびにルーヴルとテュイルリー宮殿を結ぶ建物の工事が進められた。しかし、1678年にルイ14世がパリを離れ、ヴェルサイユ宮殿に滞在するようになってからルーヴルの工事は中断し、建物は王宮としての役割を果たさなくなった。

ルーヴルは、すでにアンリ4世の時代から芸術家や職人の住居やアトリエとして利用されていたが、この時代になると、さまざまな人々が宮殿内に住み着き、宮殿は荒廃していた。こうした中、1789年から始まったフランス革命のさなかにルーヴルを美術館とすることが決まり、1793年8月10日、「諸芸術の中央美術館」として正式に開館した。ただし、この時点での公開は限定的で、一般の人々への公開は1801年からとされている。

1871年にはパリ・コミューンの暴徒らが押し寄せ、テュイルリー宮殿が炎上した。炎上後の宮殿はかろうじて外観をとどめていたが、結局取り壊された。テュイルリー宮殿は、現・ルーヴルの西端に南北方向に建っていたが、その後は再建されていない。

[編集] 現代

1985年から1989年にかけて、ミッテラン政権下の「グラン・ルーヴル・プロジェ」(大ルーヴル計画)により大改築が行われた。主に地下部分に増築を行い、大蔵省等ルーヴル宮殿内にあった政府機関を移転して新たなギャラリーとするとともに、イオ・ミン・ペイ設計による、ガラスのピラミッドを中庭においてメインエントランスとし、その直下にインフォメーション・カウンターと各ギャラリー・店舗・食堂へのアクセス可能な大ホール(ナポレオン・ホール)を有する、近代的な美術館の面も持ち合わせるようになった。なお、美術館に直結する地下街にはやはりイオ・ミン・ペイの設計になる逆ピラミッドが設置されている。

2010年、フランス北部のランス(Lens)に分館が開館予定である。 設計は日本人による設計事務所SANAA妹島和世西沢立衛)とアメリカのイムレー・カルバート(Imrey-Culbert)社が手掛ける。また、アラブ首長国連邦アブダビにも分館の建設計画があり、2012年開館予定である。

[編集] 展示室の構成

平面図


展示館は、東端のクール・カレ(方形中庭、Cour Carrée)を囲むシュリー翼 (Aile Sully)、その南西からセーヌ川沿いに西へと伸びるドゥノン翼 (Aile Denon)、シュリー翼の北西からリヴォリ通りに沿って西へと伸びるリシュリュー翼 (Aile Richelieu) に分けられる。各建物は半地下 (entresol)、1階 (rez-de-chaussée)、2階 (1er étage)、3階 (2e étage) の4層に分かれる。なお、日本語とフランス語では階数の数え方が異なり、日本語の「1階」「2階」「3階」をフランス語ではそれぞれ「地階」「1階」「2階」と表現する(以下の説明文中の「1階」「2階」等は日本語式の「1階」「2階」を指す)。美術館への入口は、セーヌ川沿いのライオン門入口 (Entrée Porte de Lions)、地下ショッピング街に直結したカルーゼル入口 (Entrée Galerie du Carrousel) もあるが、メインの入口は、中庭のガラスのピラミッドの入口 (Pyramide entrée principale) である。ガラスのピラミッド下のナポレオン広場には、各言語版の館内案内図が常備されたインフォメーション・カウンターや入場券売場があり、ここからシュリー、ドゥノン、リシュリューの各翼や、レストラン、カフェテリア、ミュージアム・ショップへと向かうことができる。

シュリー翼の位置は、中世にルーヴル城が建設されたところで、地下には中世の要塞の遺構が保存され、1・2階にはエジプト、古代ギリシア、古代オリエントの美術、3階にはフランス絵画が展示されている。

ドゥノン翼は、長大なグランド・ギャルリ(大ギャラリー)を含む建物で、半地下と1階にはギリシア、エトルリア、ローマ美術と中世ヨーロッパの彫刻を展示し、2階の大ギャラリーはイタリア絵画を中心とする絵画の展示場となっている。

リシュリュー翼は、1981年以降の大ルーヴル計画によって拡充された部分で、フランス彫刻、工芸品、北方絵画(ドイツ、フランドル、オランダなど)の展示場にあてられている。2階の工芸品展示室では、ナポレオン3世の居室の室内装飾も展示の一環となっている。

[編集] 部門別の収蔵品

収蔵品は、古代エジプト美術、ヘレニズム彫刻やギリシア盛期のローマン・コピーを含む古代ローマ彫刻、古代オリエント美術、中世ルネサンスバロックロココなど各時代のヨーロッパ諸国の絵画などの充実した収蔵品で知られる。なお、近代(19世紀後半-20世紀前半)の作品は国立オルセー美術館、現代の作品はポンピドゥー・センターに収蔵されている。

展示は、古代オリエント部門、古代エジプト部門、古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門、絵画部門、彫刻部門、工芸部門、イスラム美術部門、グラフィック・アート部門に分かれ、この他に中世のルーヴル城の遺構を保存した展示と、ルーヴル宮の歴史に関する展示がある。2000年からはアフリカ、アジア、オセアニア、アメリカの民族美術の展示も行われているが、この分野の展示品はケ・ブランリ美術館の所蔵品である。

[編集] 古代オリエント部門

展示場は、リシュリュー翼1階西側の1 - 9室、それに続くシュリー翼1階北側の10 - 21室、及び、10室の南に続くA - D室である。この部門は、キリスト教発祥の地であり、西洋文明の故郷でもある中近東、具体的にはレバント(今日のシリアヨルダンイスラエルパレスチナ自治区レバノンキプロスなどを含む地中海東岸地域)、メソポタミアイランなどの地域の古典美術を対象とし、シュメール文明、アッカド帝国、バビロニア王国、アッシリア帝国、アケメネス朝ペルシャなど、西暦紀元以前数千年にわたりこの地に栄えた諸文明の遺産がみられる。

ポール=エミール・ポッタは1843年、メソポタミアのコルサバードにある、アッシリア帝国・サルゴン2世の宮殿跡を発掘し、宮殿を護っていた巨大な有翼人面牡牛像などの遺宝をもたらした。これがもとになって1847年にアッシリア美術館ができ、1881年にはルーヴルの一部門となった。4室は「コルサバードの中庭」と称され、前述の有翼人面牡牛像などの巨大彫刻群が並べられている。このほか、3室にある『ハンムラビ法典』、12室にある『スーサの玉座の間の柱頭』なども著名である。

[編集] 古代エジプト部門

フランスでは、1798年のナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征以来、同地への関心が高まり、ジャン=フランソワ・シャンポリオンヒエログリフを解読したことにより、さらに人々の興味をひくようになった。ルーヴルには早くも1826年にはエジプト部門が設けられ、カイロ博物館やメトロポリタン美術館と並ぶ、世界最大級のエジプト美術のコレクションを誇る。

展示場はシュリー翼1階、南側から東側の1 - 19室、その上、2階の20 - 30室を主とし、ローマ支配下の美術、コプト美術はこれと別にドゥノン翼半地下に展示室がある。シュリー翼半地下の「中世のルーヴル」の展示室から南側の階段を上がると、第1室で、大スフィンクス像が鑑賞者を迎える。シュリー翼1階は神殿、葬送美術、生活文化などのテーマ別展示、同2階は時代別展示となっている。22室の『書記座像』などが名高い。

[編集] 古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門

古代ギリシア古代ローマの文化はルネサンス期以降の西洋において常に古典して尊重されてきた。一方、エトルリアは、西暦紀元以前、帝政ローマ成立以前のイタリア半島中部に栄えた都市国家群であり、ギリシアとは異なる独自の文化が育まれた。ルーヴルには新石器時代から、6世紀のローマ帝国末期までの美術品が豊富に収蔵されている。作品は石造彫刻が主となるが、他に、陶器、ブロンズ製品なども豊富に有する。古代ギリシアの絵画作品は地上からほとんど失われているが、豊富に現存する陶器の上絵によって、その片鱗が窺える。ヘレニズム期に属する『ミロのヴィーナス』『サモトラケのニケ』はいずれもルーヴルを代表する著名作品である。

ナポレオンは、戦利品であるローマ教皇コレクションの美術品を1797年のトレンティーノ条約に基づいて翌年パリに運び、1800年にはルーヴルの1階に「古代美術館」を開設した。これが古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門の起源である。ただし、ナポレオンの敗北後の1815年、神聖同盟によって戦利品の大部分はローマに返還された。

展示室は主に1階と2階であり、シュリー翼の南西部及びドゥノン翼の東端という、ルーヴルの中でももっとも早く宮殿化された部分に位置している。重量の大きい彫刻類は主に1階にあり、2階は陶器、テラコッタ、工芸品が主である。

以下は関連展示室の概要である。

  • 1 - 3室(ドゥノン翼半地下)古典期以前のギリシア美術(2009年現在閉室中)
  • A室(ドゥノン翼1階)「調馬の間」(Salle du manège) と称する広大な部屋で、フランス王家、リシュリュー、マザラン、ボルゲーゼ、アルバーニなど各家コレクションのギリシア、ローマ古典彫刻がある。
  • B室(ドゥノン翼1階)「ダリュのギャラリー」(Galerie Daru) と称され、ローマ教皇、ボルゲーゼ家、カンパーナ家コレクションのギリシア、ローマの古典彫刻がある。
  • 4 - 16室(ドゥノン翼1階及びシュリー翼1階南側)古典期以降のギリシア美術(2009年現在、大部分が閉室中)。5室は「マルスのロトンダ」。『ミロのヴィーナス』は12室にある。
  • 17室(シュリー翼1階西側)「カリアティードの間」と称する。ルーヴルの展示室の中でももっとも古く、アンリ2世の時代に整備されたもので、部屋の北側には巨大なカリアティード(女像柱)4体がある。ギリシア彫刻のローマ時代の模作を展示。
  • 18 - 20室(ドゥノン翼1階)エトルリア美術。
  • 21 - 30室(ドゥノン翼1階)ローマ美術。
  • 31室(ドゥノン翼1階)ギリシア、ローマ彫刻のある大ホール(2009年現在閉室中)
  • 32室(シュリー翼2階)ブロンズ彫刻を展示。
  • 33室(シュリー翼2階)「アンリ2世の間」。銀器を展示。この室の天井画はジョルジュ・ブラックの作。
  • 34室(シュリー翼2階)古代ガラスを展示。
  • 35 - 38室(シュリー翼2階)ギリシアの陶器及びテラコッタを展示。
  • 39 - 44室(シュリー翼2階)「カンパーナ・ギャラリー」。ギリシア陶器を展示。
  • 45 - 47室(シュリー翼2階)(2009年現在閉室中)

なお、『サモトラケのニケ』は、B室(ダリュのギャラリー)の東側の階段ホールにある。

[編集] イスラム美術部門

ルーヴルは世界でも有数のイスラム美術のコレクションを有する。この部門はかつては古代オリエント部門に包含されていたが、2004年に独立の部門となった。ウマイヤ朝アッバース朝ファーティマ朝セルジューク朝マムルーク朝ムガル帝国など、時代的には7世紀から19世紀、スペインからインドに至る広大な地域に興亡したイスラム王朝が生んだ陶器、ガラス器、金属工芸、象牙細工などの遺産が展示されている。

なお、展示はかつてはリシュリュー翼東側の半地下で行われていたが、2009年現在閉鎖中であり、ドゥノン翼の「ヴィスコンティの中庭」に新展示室群が2011年頃開設される予定である。

[編集] 絵画部門(フランス)

絵画のコレクションはフランソワ1世の時代、フォンテーヌブロー宮殿に絵画室を設けたことに始まり、ルイ14世の時代に飛躍的に増大した。王室所有の宮殿等、各所に分散して保管されていた絵画をルーヴル宮に集めて公開しようという計画はルイ15世の時代にもあったが、財政難で実現せず、ルーヴルが美術館として開館したのは、ブルボン王朝崩壊後の1793年である。ナポレオンの時代、イタリア遠征等によって国外からもたらされた大量の美術品は、ナポレオンの失脚、王制復古とともに1815年にはその大部分が元の国へ返還されたが、19世紀以降もルーヴルの絵画コレクションは増大を続け、自国フランスのみならず、イタリア絵画、北方絵画にも名品が多く、これらの外国絵画にも多くの展示スペースがさかれている。

リシュリュー翼3階の全室、シュリー翼3階のほぼ全室、ドゥノン翼2階の大部分が絵画の展示にあてられている。フランス絵画はリシュリュー翼3階の1室 - 18室、これに続くシュリー翼3階の19室 - 73室に時代・流派順に展示されるほか、ドゥノン翼の75室 - 77室にもある。リシュリュー翼3階の第1室には、フランス絵画史の最初のページを飾る、14世紀の『ジャン2世善良王の肖像』がただ1点展示されている。2室から18室までは国際ゴシック様式、フーケクルーエらを経て、17世紀の巨匠プッサンに至る絵画が展示されている。リシュリュー翼から、隣接するシュリー翼3階北西角の19室へ移り、同翼の北〜東〜南にかけて17・18・19世紀のフランス絵画が展示される。展示は、ロココ絵画、新古典主義ドラクロワアングルらを経て、西側の73室のコローの展示で終わる。ただし、20 - 23室および41・42・44・45室はグラフィック・アート部門の展示室である。ダヴィッドの『ナポレオンの戴冠式』、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』『サルダナパロスの死』、ジェリコーの『メデューズ号の筏』などの大作はドゥノン翼の75室 - 77室にある。

シュリー翼3階南西の奥まったところにある68室は「コローの浴室」と称し、コローがマント(パリ西郊)のロベール邸の浴室に描いた装飾画(1842年)が移設されている。73室の先(北側)にあるA・B・C室は寄贈コレクション専用室で、A室はカルロス・デ・ベイステギ (Carlos de Beistegui) の寄贈品、B室はルイ・ド・クロイ大公妃 (Princesse Louis de Croÿ, née Eugénie de l'Espine) より寄贈された、その父オスカール・ド・レピーヌ伯 (Oscar de l'Espine) のコレクション、C室にはエレーヌならびにヴィクトール・リヨンの (Hélène et Victor Lyon) の寄贈品が展示されている。これらの室にはフランス以外の絵画もあり、C室には19世紀前半までを対象とするルーヴル美術館としては例外的に、印象派の作品も展示されている。

[編集] 絵画部門(イタリア)

13世紀のチマブーエからルネサンス期を経て18世紀までのイタリア絵画は、ドゥノン翼2階に展示されている。展示は『サモトラケのニケ』像の脇の第1室にあるボッティチェッリフレスコ画から始まり、セーヌ川沿いに延びるグランド・ギャルリを経て、25室に至る。『モナ・リザ』はグランド・ギャルリの途中を北に折れた8室にあり、同じ部屋には巨大な『カナの婚礼』(ヴェロネーゼ)が掛けられている。。ルーヴルの数ある絵画作品の中でも『モナ・リザ』だけは別格扱いで、絵の傍らには常に館職員が見張りに立っており、鑑賞者は一定の距離以上は絵に近づけないようになっている。9・10・11室は素描・版画などの企画展示室である。

[編集] 絵画部門(北方)

初期ネーデルラントオランダフランドルドイツなどのいわゆる北方絵画はリシュリュー翼3階にある。フランス絵画の第3室を過ぎると順路が左右に分かれており、右に行くとフランス絵画、左に行くと北方絵画である。北方絵画の展示は4室から始まり、39室までで、オランダ・フランドル絵画の黄金時代であった17世紀までの作品が中心となっている。これらの展示室群の西側には、途中から分かれてA室 - F室の6室があり、18 - 19世紀の作品およびスイス、スカンディナヴィア、ロシアなどの絵画が展示されている。ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の連作は、以前はドゥノン翼にあったが、こちらの18室に移動している。

[編集] 絵画部門(イギリス・スペイン)

スペイン絵画はドゥノン翼2階、グランド・ギャルリーを抜けた先の26室を主として、その脇の27 - 31室の小部屋があてられている。イギリス絵画はシュリー翼南西角の74室があてられていたが、2009年現在、同室は臨時にギリシャ美術の展示室となっており、イギリス絵画はドゥノン翼2階、スペイン絵画の部屋を抜けてさらに先の32室にある。そのさらに奥の33室はグラフィック・アートの特別展示室である。

[編集] 彫刻部門

古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシア・エトルリア・ローマの彫刻作品は、それぞれの部門において展示されている。ルーヴルの「彫刻」部門の収蔵品は、フランスを中心とするヨーロッパの彫刻作品である。1871年、プティ=ゾーギュスタン修道院にあったフランス国立記念物博物館が閉鎖され、同館のコレクションがルーヴルに移管された。その後、1892年に工芸部門から彫刻部門が独立し、今日に至っている。フランス彫刻は主にリシュリュー翼1階にあり、中世のロマネスク美術から19世紀に至るフランス彫刻の流れをたどることができる。リシュリュー翼にはガラスの天井をもつ2つの中庭(マルリーの中庭、ピュジェの中庭)があり、ここにも大作が展示されている。展示室は、西側のマルリーの中庭を囲む1 - 19室、東側のピュジェの中庭を囲む21 - 33室、これらの中間の半地下にある20室とA室からなる。

フランス以外のヨーロッパの彫刻はドゥノン翼の1階と半地下にある。ドゥノン翼半地下の1 - 3室には11世紀から15世紀のイタリア・スペイン彫刻があり、同じフロアのA - C室には12世紀から16世紀の北ヨーロッパ彫刻がある。これらの真上のドゥノン翼1階の4室は16世紀から19世紀のイタリア彫刻、その西側で所在のわかりにくいD - E室には17世紀から19世紀の北ヨーロッパ彫刻がある。

[編集] 工芸部門

この部門の展示品は、フランス語ではオブジェ・ダール (Objets d'art) 、日本語では通常「工芸」の語をあてる。時代的にはローマ帝国時代から19世紀まで、内容的には「彫刻」に分類されているもの以外の小彫像、象牙細工、エマイユ、メダル、陶器、タペストリー、宝飾品、家具などがここに含まれる。コレクションにはフランス国王の宝物室にあった品や、サン=ドニ王立修道院に収められていた、「レガリア」と称するフランス国王戴冠式の用具なども含まれる。リシュリュー翼にある、ナポレオン3世のアパルトマンもこの部門の展示室とされている。展示室はリシュリュー翼2階の全部と、シュリー翼2階の北側があてられている。リシュリュー翼2階に1 - 33室と67 - 96室、シュリー翼2階に34 - 65室があり、他にドゥノン翼2階東端の「アポロンのギャラリー」(66室)も工芸部門の展示室である。

[編集] グラフィック・アート部門

パステル、素描、水彩、版画、彩色写本などの作品がこの部門に属する。保存上の観点から、パステル以外の作品は常設展示はないが、企画展示の折に公開されることがある。これらの作品はシュリー翼3階(フランス絵画室)の20 - 23室及び41・42・44・45室、グランド・ギャルリ脇の9・10・11室、グランド・ギャルリ西奥の33室などが展示場所にあてられている。

[編集] 著名な作品

クラウン・ジュエル


[編集] その他

  • 不定期な休みがあるので注意する必要がある。展示室によって週1回~2回の休みが曜日で決められている。
  • 団体見学の場合、正面入口ではなく、地下の駐車場からの入場が可能。そのため、すぐに入場することが出来る場合がある。
  • フランス革命で散逸したため、宝飾品についてはほとんど残っていない。
  • オーディトリウムを備え、クラシック音楽を中心とした演奏会が行われている。
  • エジプト文化に傾倒していた当時の大統領フランソワ・ミッテランの指示により、西洋で不吉な数字とされる「666」に因んでピラミッドに666枚のガラス板が使われたと「ダ・ヴィンチ・コード」に書かれているが、実際はそれ以上使われている(「日経エンタテインメント!」)。
  • 日本の美術館と大きく違う点として、写真撮影ができたりイーゼルを立てて模写する事もできるので世界中から画家美術家イラストレーターアーティストを目指す人たちが独学の為に集る。パリの小・中学生が美術の授業の一環として館内で模写していることもある。
Panoramic sight of the Louvre in 2006
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Panoramic sight of the Louvre in 2006

[編集] アクセス

Metro-M.png メトロ1,7号線パレ・ロワイヤル-ミュゼ・デュ・ルーヴル駅(Palais Royal-Musée du Louvre)下車

[編集] 参考文献

  • ジュヌヴィエーヴ・ブレスク著、高階秀爾監修、遠藤ゆかり訳『ルーヴル美術館の歴史』(知の再発見双書115)、創元社、2004
  • Louvre:Les 300 Chefs-d'Oeuvre (texte:Frédéric Morvan), Éditions Hazan, Paris, 2006(参照したのは日本語版『ルーヴル代表作品300点』)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ