ラオス

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ラオス人民民主共和国
ファイル:Laos2.png
ラオスの国旗 ラオスの国章
国旗 (国章)
国の標語 : ສັນຕິພາບ ເອກະລາດ ປະຊາທິປະໄຕ ເອກະພາບ ວັດທະນາຖາວອນ
(ラーオ語: 平和、独立、民主主義、統一、繁栄)
国歌 : ペーン・サート・ラーオ
ラオスの位置
公用語 ラーオ語
首都 ヴィエンチャン
最大の都市 ヴィエンチャン
政府
大統領 チュンマリー・サイニャソーン
首相 ブアソーン・ブッパーヴァン
面積
総計 236,800km²79位
水面積率 2.5%
人口
総計(2008年 6,320,000人(101位
人口密度 26人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 45兆7,114億[1]キープ(キップ)
GDPMER
合計(2008年 52億[1]ドル(142位
GDPPPP
合計(2008年 137億[1]ドル(129位
1人当り 2,204[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1949年7月19日
通貨 キープ(キップ)(LAK
時間帯 UTC (+7)(DST: なし)
ccTLD LA
国際電話番号 856

ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジア内陸国中華人民共和国ミャンマーベトナムカンボジアタイと国境を接する。

目次

[編集] 国名

正式名称は、ラーオ語で、(ラテン文字転写 : Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao、読み : サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)。

サーターラナラットが「共和国」、パサーティパタイが「民主主義」、パサーソンが「人民」、ラーオが「ラーオ族」を意味する。

公式の英語表記は、Lao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。通称は Laos (ラウス、または、ラオス)。

日本語表記は、ラオス人民民主共和国。通称は、ラオス。漢字表記は老檛で、と略す。ただし、ラオス系華僑の間では伝統的に「寮」と略している。ヴィエンチャン市内には中国語学校の名門「寮都学校」があり、また、日寮、寮華などの略称を冠する団体、企業はラオス国内外を問わず多数存在する。

[編集] 歴史

詳細は「ラオスの歴史」を参照

ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者があらわれた時代に始まる。王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国が建国され、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。しかし、18世紀には、3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、ラオスの3国はタイの支配下にあったが、ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、1893年にフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入された。第二次世界大戦中に日本に占領された後(日本支配下の1945年4月8日に独立宣言している)、1949年フランス連合内のラオス王国として名目上独立。その後1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦が長期にわたり続いた。1973年、アメリカがベトナムから撤退、1974年三派連合によるラオス民族連合政府が成立したが、1975年南ベトナムサイゴンが陥落すると、12月連合政府が王政の廃止を宣言、ラオス人民民主共和国を樹立した。

1977年12月、在ラオス日本大使館杉江清一書記官夫妻殺害事件が発生。犯行動機など不明な点が多く、政治的犯行を示唆する発表がラオス国営放送から成された[2]

2007年6月、アメリカに亡命したミャオ族の元王国軍将軍とアメリカ軍退役少佐によるクーデター計画が発覚。関係者はアメリカ司法当局により局外中立違反で逮捕された。

[編集] 政治

マルクス・レーニン主義を掲げるラオス人民革命党による一党独裁体制。憲法で、ラオスは「人民民主主義国家」と規定されている。

国家元首は、大統領。人民議会で選出され、任期は5年。職務の補佐・代行のために副大統領がいる。

行政府の長は、首相。大統領に指名され、人民議会で承認を受ける。任期は5年。副首相が、3人。

唯一の合法政党は、ラオス人民革命党。政府の政策決定は、9人で構成される政治局と、49人で構成される中央委員会において、党によって決定される。特に重要な政策に関しては、さらに大臣の会議で審議される。

立法府は、一院制の人民議会。109議席で、民選、任期5年。議席数は、1992年選挙では85、1997年選挙では99、2002年選挙では109と増やされてきた。

2006年4月30日投票の第6期国民議会(一院制、任期5年)選挙の結果選出された国会議員115人のうち114人は人民革命党の党員で、非党員は1人。新大統領は軍出身のチュンマリー・サイニャソーン(前大統領はカムタイ・シーパンドン)、新首相は、ブアソーン・ブッパーヴァンに決まった。


[編集] 軍事

国防の中心はラオス人民軍が担う。他には民兵組織がある。2006年の国防予算は1,330万ドル。徴兵制で陸軍25,600人、空軍3,500人から成る。車輌・航空機等の装備は旧ソ連製のものを多く保有している[3]。歴史的にベトナム人民軍と関係が深いが、近年は中国人民解放軍との交流が活発化してきている。


[編集] 地方行政区分

ラオスの行政区分

詳細は「ラオスの地方行政区画」を参照

首都ヴィエンチャン市を含む、広域ヴィエンチャン行政区であるヴィエンチャン都(ナコーンルアン・ヴィエンチャン/Prefecture)と16県(クウェーン/Province)から構成される。更に、以前はサイソムブーン特別区(ケートピセート・サイソムブーン、現在のロンサーン郡とホム郡)が治安上の理由から首相府の直轄下に設けられていたが、現在は廃止されている。

ヴィエンチャン都と県の下には100前後の村(バーン)から成る郡(ムアン)がある。ムアンにはラオス語で「郡」の他に「街」という意味もあり、日本の市町村に相当するものだと考えられる。ヴィエンチャン都を除き、全ての県には県庁所在地となる郡があり、そこが県都とされている。

県都とされる郡の名称は「ポンサーリー郡」や「ルアンナムター郡」のように県の名前と合致する場合、「サイ郡」や「サマッキーサイ郡」のように県の名前とは全く異なる場合があるが、ラオス人の多くは他県のことであれば県の名称=県都(チャンパーサック県など一部例外はあるものの)であり、一般人で県都の名称を全て正確に覚えている人は少ない。

[編集] 北部

  1. ウドムサイ県
  2. サイニャブーリー県
  3. シエンクワーン県
  4. フアパン県
  5. ボーケーオ県
  6. ポンサーリー県
  7. ルアンナムター県
  8. ルアンパバーン県

[編集] 中部

  1. ヴィエンチャン県(ヴィエンチャン県は、ウィエンカム県と改称する決定がラオス国民議会で決議された。)
  2. ヴィエンチャン都
  3. カムムアン県
  4. サワンナケート県
  5. サイソムブーン特別区(現在では特別区は廃止され、旧特別区の郡はそれぞれ近隣の県に吸収合併されている)
  6. ボーリカムサイ県

[編集] 南部

  1. アッタプー県
  2. サーラワン県
  3. セーコーン県
  4. チャンパーサック県


[編集] 地理

スペースシャトルから撮られたラオスの国土(2002年1月)

ラオスは、その国土の多くが山岳で占められており、隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが、最近急激な森林破壊が問題となっている。プー・ビアと呼ばれる山が、2,817 mの高度を持つ国内最高峰である。一方でメコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川のほとんどは、タイとの国境としても利用されている。

ラオスの気候はモンスーンの影響で明瞭な雨期と乾期があり、大まかに言って5月から11月にかけては雨期、乾期がその後4月まで続く。ラオスの首都はヴィエンチャンで、主要都市にルアンパバーンサワンナケートパークセー(パクセー)などがある。

[編集] 経済

1975年12月にラオス人民民主共和国が樹立され、急速な社会主義化を行ったものの、タイからの国境封鎖や、1975年1976年の旱魃などにより、激しいインフレと農産物・日用品の不足を引き起こし、1979年には社会主義建設のスピードが緩和された。

1983年に再び社会主義化を目指すが、ソ連ペレストロイカの動きと呼応して1986年には市場原理の導入、対外経済開放を基本とする新経済メカニズムが導入された。

この間、ソ連やベトナムを中心とする東側諸国からの多大な援助に依存する経済構造であった。そのため、1989年から1991年にかけて東欧諸国で起こった共産政権の瓦解は、ラオスにとっても危機であった。この時期に価格の自由化を行ったことによって、激しいインフレと通貨キープが大幅に下落するなど経済は混乱した。

政府はIMFのアドバイスのもと、経済引き締め政策を実施した。また、西側先進国との関係を改善し、国際機関や西側先進国からの援助が増大した結果、1992年には経済が安定した。

1997年7月に隣国タイで始まったアジア通貨危機はラオスにも大きな影響を与え、キープは対ドルだけでなく、対バーツでも大幅に減価した。

1997年ルアンパバーンの旧市街が、2001年にはチャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群がそれぞれ世界遺産に公式登録されたほか、政府が1999年から2000年にかけてをラオス観光年として観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。

観光のほか、国土の約半分を占める森林から得られる木材、ナムグム・ダムを始めとする水力発電の隣国タイへの売電、対外援助などが主な外貨源となっている。この中でも特に水力発電によってラオスは東南アジアのバッテリーと呼ばれている。

2007年現在、主要産業は農業であり、人口の78%が従事しGDPの41%を占める。

[編集] 鉱業

ラオスの鉱業資源は未開発な段階にある。例えば、肥料の原料などに利用できるカリ岩塩の大規模な鉱床が発見されており、面積は30平方kmに及ぶ。スズ鉱床の埋蔵量は100億トンに及ぶと見積もられている。アンチモン、イオウ、金、タングステン、鉄、銅、鉛、マグネシウム、マンガンの鉱床も発見されている。

しかしながら、険しい山脈が縦横に広がる国土、未整備な交通インフラなどのため、2003年時点では、石炭(29万トン)、スズ(300トン)、塩(5000トン)に留まっている。唯一開発が進んでいるのは宝石であり、1991年にはサファイアの生産量が3万5000カラットに達した。

[編集] 国民

ラオスにおける人口統計の推移

住民のほとんどはラーオ族であり、そこに少数民族が連なる。しかしラオス政府はラオス国籍を持つ者を一様にラオス人として定義しているため、公式には少数民族は存在しない。

ラオス政府の定義するラオス人は住む地域の高度によって、低地ラーオ族(ラーオルム、国民の約7割)、丘陵地ラーオ族(ラーオトゥン、国民の約2割)、高地ラーオ族(ラーオスーン、国民の約1割)に分けられる。

言語はラオ語が公用語である。その他、フランス語、英語、各民族語が使われている。 ラオ語タイ語は同一言語に属する個別の地域変種の関係にあるが、ラオスではタイからの影響力を遮断するため、ラオス語の独立性を強調する傾向にある。

宗教は上座部仏教が60%、アニミズムやその他の宗教が40%であるが、しばしば仏教とアニミズムが混同されて信仰されていることがある。その他ラオス南部ではキリスト教も信仰されている。

[編集] 文化

[編集] 世界遺産

詳細はラオスの世界遺産を参照

ラオス国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産がある。

[編集] 祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考

[編集] メディア

ラオスの新聞は、英語新聞『ヴィエンチャン・タイムズ』 (Vientiane Times) 及びフランス語新聞『ル・レノヴァテュール』 (Le Rénovateur) を含め全て政府機関発行である。更に、公認通信社カオサン・パテート・ラオ (Khaosan Pathet Lao、Lao News Agency) が同名の英仏語版新聞を発行している。主なラオ語新聞としては『パサション』 (Pasaxon)、『ヴィエンチャン・マイ』 (Vientiane Mai Newspaper) がある。

ラオスではラオス国営ラジオ(Lao National Radio、LNR) の放送が中波短波FMにて行われている。テレビはラオス国営テレビ(Lao National Television、LNTV)が2つのチャンネルで放送されている。またタイからのテレビ放送を視聴している人も多い。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/085/0020/08510130020001c.html
  3. ^ International Institute for Strategic Studies(IISS),The Military Balance 2008

[編集] 外部リンク

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