マルクス・アントニウス

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マルクス・アントニウス(ラテン語:Marcus Antonius, 紀元前83年1月14日? - 紀元前30年8月1日)は共和政ローマ政治家軍人共和政ローマ末期に第二回三頭政治の一頭として権力を握ったが、その後初代ローマ皇帝アウグストゥスに敗北した。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』でもよく知られている。

目次

[編集] 生涯

[編集] カエサルの部下

アントニウスは紀元前83年頃にローマで生まれた。父・マルクス・アントニウス・クレティクスはプラエトル(法務官)等を歴任。母・ユリアはユリウス・カエサルの縁戚に当る家柄であった。 紀元前57年から騎兵隊長としてグナエウス・ポンペイウスの配下にあり、紀元前55年ファラオの座を追われていたプトレマイオス12世の復位の為にエジプトへ侵攻した。この時にアントニウスは当時18歳のクレオパトラ7世に魅了されたと、アッピアノスが『ローマ史』の中で記している。

その後、ガリア総督ガイウス・ユリウス・カエサルレガトゥス(総督代理)としてガリア戦争に従軍、紀元前52年アレシアの戦い紀元前51年コンミウス相手の戦いで活躍した。

紀元前49年、カエサルがルビコン川を渡った際には護民官の職にあった。ローマ内戦でカエサルがギリシアへ先行した際には、後続隊を率いて困難な情勢下で合流、紀元前48年のファルサルスの戦いで活躍した。

カエサルが東方へ遠征している間、イタリア本国での政務を託されたが、十分な働きが出来なかった。紀元前46年にカエサルが独裁官に就任した際には、マギステル・エクィトゥム(騎兵長官)に指名された。マルクス・トゥッリウス・キケロはアントニウスを「肉体が頑丈なだけが取り柄の無教養人で、酒に酔いしれ下品な娼婦と馬鹿騒ぎするしか能のない、剣闘士並みの男」と評した。

カエサル暗殺の年には、その同僚コンスル(執政官)であった(カエサルは終身独裁官とこの年の執政官を兼任)。暗殺後はその有力な後継者と目されていたが、カエサルは遺言状でカエサルの姪の息子オクタウィアヌスを後継者に指名した。オクタウィアヌスが元老院と結ぶと、アントニウスはガリアにいたカエサルの副官であったマルクス・アエミリウス・レピドゥスらと同盟しオクタウィアヌスに対抗した。

アントニウス(肖像)

[編集] 第2回三頭政治

当初は対立した両派であったが反共和派、反元老院で一致しアントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥスの三者による同盟が成立。その勢力によってローマの支配権を掌握した。三人は国家再建三人委員に就任しローマを支配した(第2回三頭政治)。このとき三人委員会によるプロスクリプティオで、アントニウスの長年の政敵であったキケロが殺害された。その後ギリシアに逃れていたマルクス・ユニウス・ブルートゥスガイウス・カッシウス・ロンギヌスら共和派をオクタウィアヌスと共にフィリッピの戦いで破り、カエサル暗殺者・共和派の息の根を止めた。

三頭政治はもともと権力争いの一時的な妥協として成立していたため、各人は同盟関係にありながらも自らの勢力強化に努めた。アントニウスはローマを離れ、共和派に組していた東方の保護国王らと会見し関係を強化した。このときプトレマイオス朝(エジプト)の女王クレオパトラ7世と出会った。

こうしたなか紀元前41年の冬にアントニウスの弟ルキウス・アントニウスと妻フルウィアはイタリアでオクタウィアヌスに反抗して蜂起した。この戦争にはオクタウィアヌスが勝利したが、ここで改めて三人の同盟の確認が行なわれた。アントニウスは死亡した妻フルウィアの後妻にオクタウィアヌスの姉オクタウィアを迎え、婚姻関係によって同盟は強化された。同時に三頭官はイタリア以外の帝国の領土を三分割し、東方はアントニウス、西方はオクタウィアヌス、アフリカはレピドゥスとそれぞれの勢力圏に分割した。

カエサルの果たせなかったパルティア征服という軍事上の成果を上げることで、競争者であるオクタウィアヌスを圧倒することを目論んだアントニウスは、紀元前36年にパルティアに遠征した。この遠征の後背地としてアントニウスは豊かなエジプトを欲し、女王クレオパトラとの仲を再び密接にしていた。しかしこの遠征は失敗しローマ軍団のシンボルである鷲旗もパルティアに奪われた(第2次パルティア戦争)。

[編集] オクタウィアヌスとの対決

パルティア遠征の失敗を取り戻そうと、今度はアルメニア王国へと遠征。そしてその凱旋式をローマではなくアレクサンドリアで挙行した。その際の狂気の沙汰ともいえる宣言、オクタウィアヌスが公開させた遺言状の内容、貞淑な妻オクタウィアへの一方的離縁など、ローマ人の神経を逆撫でする行為を連発してしまう。「エジプト女、しかも女王に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」といったイメージができた。

こうしたアントニウスの失策を見たオクタウィアヌスは、アントニウスとの対決を決断し、エジプトのクレオパトラに対する戦争のかたちで宣戦を布告した。オクタウィアヌスの軍とアントニウス指揮するエジプトなどとの連合軍はギリシアのアクティウム沖で激突。このアクティウムの海戦で敗北したアントニウスとクレオパトラはエジプトへ敗走した。

この敗戦により趨勢は決し、オクタウィアヌスはエジプトの首都アレクサンドリアへ軍を進めた。アントニウスはクレオパトラが自殺したとの報を聞き、自らも自刃した。クレオパトラ自殺は誤報であったので、アントニウスはクレオパトラの命で彼女のもとに連れて行かれ、彼女の腕の中で息絶えたとされる。

アントニウスとクレオパトラ

[編集] その後

アントニウスの死後、クレオパトラも後を追って自殺した。クレオパトラは生前にアントニウスと同じ墓に入れるよう遺言していたが、オクタウィアヌスはそれを認めた。 カエサリオンこそ殺されたが、アントニウスやクレオパトラの子供達はオクタウィアの下でアウグストゥスの親族扱いで養育され、クレオパトラ・セレネヌミディアユバ2世と結婚した。尚、カリグラクラウディウスネロといった皇帝はアントニウスの血筋を引いている。

[編集] アントニウスが登場する作品

[編集] 映画

[編集] ドラマ

[編集] 歴史書

  • 『英雄伝』(プルタルコス
  • ローマ人の物語IV ユリウス・カエサル ルビコン以前』(塩野七生
  • 『ローマ人の物語V ユリウス・カエサル ルビコン以後』(塩野七生)
  • 『クレオパトラ』(クリスティアン=ジョルジュ・シュエンツエル(北野徹訳))
  • 『クレオパトラ 古代エジプト最後の女王』(エディット・フラマリオン(高野優訳))

[編集] 戯曲

[編集] 舞台

[編集] 関連項目

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