ペナン島

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世界測地系: 5°24′N, 100°14′E ペナン島 (Pulau Pinang, Penang, 檳島) は、マレー半島の西方、マラッカ海峡の海上に位置するである。対岸のマレー半島部分とともに、マレーシアペナン州の一部を構成している。

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[編集] 地理

北緯5度37分、東経100度31分に位置する。島の面積は285平方キロメートルで、東西12キロメートル、南北24キロメートルの広さをもっているが、全体に平地は少ない。島の最高峰は標高830メートルのペナン・ヒルである。

マレー半島側とは対岸のバターワースとのあいだに架橋された長さ12キロメートルのペナン・ブリッジによって結ばれているほか、フェリーが頻繁に往来している(所要時間は20分ほど)。マレーシアの首都クアラルンプールからは北西に約350キロメートル離れている。

2007年現在のペナン州の人口は約1,50万人、ペナン島の人口は約70万人程度で、そのうちジョージタウンの人口は約20万人である。住民には華人の割合が高いが、インド系タミル人マレー系などのコミュニティ海峡植民地時代から存続しており、島内にはイスラム教仏教観音信仰・タイやビルマの仏教など)、道教ヒンドゥー教カトリック英国国教会シーク教など、きわめて多様な宗教施設・寺院が集中している。

[編集] 歴史

東西貿易の十字路であるマラッカ海峡に位置する地の利を生かして、古くから交易船の寄港地として栄えた。

1786年クダー王国の支配下にあったペナン島はイギリスに割譲され、自由貿易港となった。ペナンは、シンガポールマラッカとともに「海峡植民地」の一角となり、関税を課していたバタヴィアなどを敬遠する交易船が頻繁に寄航するようになった。しかし、1832年に海峡植民地の拠点がペナンからシンガポールに移ると、海峡貿易の中心地の地位をシンガポールに譲ることになった。

1914年第一次世界大戦に際してはドイツ巡洋艦エムデン通商破壊活動の一環として奇襲し、大被害を与えた。

第二次世界大戦に際しては1941年日本軍によるマレー作戦の一環として占領され、以後はインド洋における日本海軍の重要な作戦拠点となった。またドイツ潜水艦Uボート)も通商破壊活動の基地とした。

[編集] 現在

ジョージタウンは、住宅デパートショッピングモールホテル病院官公庁など市民生活に必要な施設・設備が充実しており、また質の高い公共サービスも提供されている。

ペナン島は「東洋の真珠 (The Pearl of The Orient)」と呼ばれ、現在でもマレーシア随一の観光地である。かつては旧市街やペナン・ヒルが観光の目玉だったが、近年では、島の北部のパトゥ・フェリンギ、テルッ・バハンなどのビーチ沿いに高級リゾートホテルが立ち並び、日本人観光客の姿も多く見受けられる。

また政府主導によって長期滞在者の優遇措置がとられており(長期ビザ支給の規制緩和など)、欧米諸国や日本などからの定年退職者が「第二の人生」あるいは「楽園での余生」を楽しむために長期滞在している。

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