ブレーメン
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| 紋章 | 地図 |
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| 基本情報 | |
| 連邦州: | ブレーメン州 |
| 郡: | 郡独立市 |
| 面積: | 325.42 km² |
| 人口: | 547,162人 (2006年1月31日現在) |
| 人口密度: | 1,682 人/km² |
| 失業率: | 13.6 % (2006年8月31日現在) |
| 標高: | 海抜 11.5 m (Markt) |
| 郵便番号: | 28001–28779 (旧 2800、2820) |
| 市外局番: | 0421 |
| 緯度経度: | 北緯 53度04分37秒 東経 08度48分32秒 |
| ナンバープレート: | HB |
| 自治体コード: | 04 0 11 000 |
| 市の構成: | 5 市区、23小市区 |
| 市庁舎の住所: | Am Markt 21 28195 Bremen |
| ウェブサイト: | www.bremen.de |
| E-Mail: | webmaster@bremen.de |
| 行政 | |
| 市長: | イェンス・ベールンゼン (Jens Böhrnsen) (SPD) |
ブレーメン (Bremen) は、ドイツ連邦共和国の北部のヴェーザー川の河畔にある都市。同川河口の北海沿岸の外港都市であるブレーマー・ハーフェン市とともに自由ハンザ都市ブレーメン(ブレーメン州)を構成する。1998年の人口は55万人。
目次 |
[編集] 概要
その起源は、 Breme もしくは Bremum と呼ばれる部族が、ヴェーゼル、もしくはヴェーザー (Weser) 川の右岸に定住したことに始まるとされる。この地は、ライン川からエルベ川、または北海から南ドイツに向かう交易の十字路に位置しているため、交易の要衝として重要視されていた。787年に、カール大帝はブレーメンに司教管区を設置したが、845年には大司教管区に格上げされ、 北ドイツ及び北欧へのキリスト教布教の拠点となった。
1358年にはハンザ同盟に加盟し、 経済のみならず政治的にも極めて重要な都市へと発展する。
ブレーメンは、共和制の自治都市としては、ドイツで最も古い歴史を持つ。神聖ローマ帝国時代においても、ブレーメンは帝国自由都市の地位を確保していた。また、ドイツ史上有数の惨禍であった三十年戦争の際も、かつてのハンザ同盟の仲間であったハンブルク、リューベックと同盟を結び、独立を守りきることが出来た。しかし、その講和条約である1648年のヴェストファーレン条約では、スウェーデンに支配権が引き渡されており、事実上スウェーデンの宗主下にあったと言ってもよかった。ブレーメンとスウェーデンの解釈は共に異なっており、三十年戦争後しばらくその帰属を巡って紛議が行われたが決着は着かなかった。現在では、スウェーデンの宗主下に入っていたと言う解釈が一般的である(いわゆるレーエン体制)。しかし、この問題が解決しないうちに、1700年代に始まった大北方戦争の結果、ハノーファー選帝侯に引き渡される事となった(1721年、ストックホルム条約)。ブレーメンは、1866年までハノーファー王国の主権下にあったが、同年の独墺戦争後、プロイセン王国に併合された。
第二次世界大戦の際には、連合国軍の爆撃で壊滅的な被害を受け、街の69%が破壊されたといわれている。1945年4月13日から4月26日まで、ブレーメン周辺において、進撃してくる英軍第3師団と抵抗するドイツ軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、多くのブレーメン市民が避難民となった。しかし戦後、復元工事が行われ、昔の美しい街並みは見事に復元されている。
ブレーメンの音楽隊でも有名。旧市街の市庁舎横に音楽隊の像(ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)が立てられている。
[編集] 文化・観光
- マルクト広場に面して市庁舎、その前にローラント像が立っている。この二つは「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像」の名で世界遺産に登録されている。市庁舎は1405~1410年にゴシック様式で建築され、その約200年後の1609~1612年にルネッサンス様式のファサードが造られた。現在、地下のワイン貯蔵庫にはラーツケラー(レストラン)があり、数多くのワインを楽しめる。また、12使途にちなんで名付けられた、17~18世紀の12個の大きなワイン樽がある。ブレーメンの守り神であるローラント像は大聖堂に向かって建っており、手には公正をあらわす剣と、皇帝の鷹が描かれた盾を持っている。
- 広場の東側に二つの塔がある聖ペトリ大聖堂(13世紀)、市庁舎の隣にリープフラウエン教会(11世紀)がある。聖ペトリ大聖堂にはモーセ、ダビデ、ペトロ、パウロ、またカール大帝の彫刻が施されている。また、リープフラウエン教会はブレーメンで最も古い教会である。
- マルクト広場の南側に進むとベットヒャー通り(Böttcherstraße)という小道がある(広場に標識が出ている)。コーヒーで財を成したロゼリウスが、ゴシック様式とアール・ヌーヴォーを取り入れた通りを造ろうと、1923~1931年に地元の芸術家に託し造らせた通りである。この通りはシュノア地区と並んで、人気の観光名所の一つとなっている。
- ベットヒャー通りを抜けると、聖マルティン教会(Martinikirche)がある。レンガ造りのゴシック様式で1229年に建てられたが、第二次世界大戦で破壊されたため、1960年に再建された。
- マルクト広場の東にはシュノア(Schnoor)地区がある。この地区には17世紀から18世紀の街並みが残されている。小道に沿って数多くのカフェやレストラン、小物店が立ち並び、ヨーロッパ各地からの観光客が絶えない。
- 旧市街の南側、ヴェーザー川沿いにはシュラハテ(Schlachte)という中世の港がある。川沿いの道にはパブやバーが立ち並び、休日や夜間は地元民で賑わう。川を挟んで対岸の小島はTeerhofといい、閑静な住宅が立ち並ぶ。
- 毎年10月後半の約2週に渡り、フライマルクト(Freimarkt; Free Fair)が開催される。この祭りは1035年に始まっており、ドイツ最古の祭りである(ミュンヘンのオクトーバーフェストは1810年開始)。また、毎年期間中に400万人を超える人々が参加する、北ドイツ最大の祭典でもある。フライマルクト中はメイン会場となるブレーメン中央駅前のエキシビジョンセンターのみならず、マルクト広場やシュラハテにも店が立ち並び、大変な賑わいをみせる。オクトーバフェスト同様、ビール、アイス、軽食等の数多くのテントとともに、ジェットコースターや観覧車等のアミューズメント施設が立ち並ぶ。
[編集] スポーツ
ブンデスリーガ所属のプロサッカークラブ、ヴェルダー・ブレーメンが本拠地とする。ハンブルクを本拠とするハンブルガーSVとの試合はダービーのような盛り上がりを見せる。
[編集] 教育
ブレーメン大学(Universität Bremen)はブレーメン最大の大学である。他にもブレーメンには、ブレーメン芸術大学(Hochschule für Künste Bremen)、応用科学大学(University of Applied Sciences)、国際ブレーメン大学がある。ブレーメン大学では、126カ国23,500人が学び、働いており、またエリート大学プログラムと呼ばれたExcellence Initiative 2006を通じ、同大学はドイツの大学のトップテン内に名を連ねた。
[編集] 姉妹都市
[編集] 出身の有名人
- ヨアヒム・ネアンダー - 神学者
- カール・カルステンス - 政治家
- ルートヴィッヒ・クヴィデ - ノーベル平和賞受賞者
- ハインリヒ・オルバース - 天文学者・医学者・物理学者
- ハラルド・ゲンツマー - 作曲家
- パウラ・モーダーゾーン=ベッカー - 画家
- ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルト - デザイナー
- アドルフ・バスティアン - 民族学者
- ユルゲン・トリッティン - 政治家
- ジェームス・ラスト - 作曲家
- ベルト・トラウトマン - サッカー選手
- ハインリッヒ・フォッケ - フォッケウルフ設立者
[編集] ギャラリー
[編集] 外部リンク
- 公式
- ブレーメン市公式サイト (ドイツ語)(英語)
- ブレーメン市公式サイト - 日本語インフォメーション (日本語)
- 観光
- ブレーメン - ウィキトラベル
- ブレーメン観光局 (日本語)
- ドイツ政府観光局 - ブレーメン (日本語)
- フライマルクト公式サイト (英語)
