ピンキー青木

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ピンキー青木
ピンキー青木(2008年)
ピンキー青木(2008年
基本情報
出生名 青木悟
出生 1961年4月16日(51歳)
血液型 A型
学歴 多摩美術大学卒業
出身地 日本の旗 日本愛知県豊橋市
ジャンル ガレージ・パンク
サイケデリック・ロック
職業 ロックンローラー
担当楽器 ボーカルギターブルースハープ
活動期間 1977年-現在
レーベル プレイメイト・レコーズ
ウルトラヴァイヴ
ミディ(配給)ビクターエンタテインメント
VIVID SOUND
インソムニアレコード
事務所 インソムニアレコード
共同作業者 ザ・ファントムギフト
ザ・クレイジー・ラヴ・マシーン
公式サイト ピンキー青木オフィシャルMySpace

ピンキー青木(ぴんきーあおき、本名:青木悟、1961年4月16日 - )は、日本ミュージシャン歌手ザ・ファントムギフトのリードヴォーカルを務めていたことで知られる。大の愛猫家である。

目次

[編集] 経歴

[編集] 幼少時代

1974年THE DOORSの1st.アルバム「ハートに火をつけて(Light my fire)」を聴きロックンロールが単なるショー・ビジネスではなく総合芸術、つまり当時の洋楽、ポップス、歌謡曲とは一線をかくした表現手段だと知り、強烈な感銘を受ける。

1977年愛知県立豊橋東高等学校入学。現・映画監督、園子温らとアマチュアロックバンド結成。当時のレパートリーはストラングラーズ頭脳警察のコピーが目立つ。アルチュール・ランボーボードレール中原中也小林秀雄太宰治ジャックスなどに多大な影響を受ける。

[編集] ザ・ファントムギフト時代

1982年福生市米軍横田基地にて、リード・ギターとしてバンド参加。

1983年暮れ:ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)を結成。ヴォーカルの他、作詞作曲も担当した。ネオGSブームの牽引役として、後世のバンドに多方面に渡り多大な影響を及ぼす。尚、ピンキー青木及びザ・ファントムギフトに感銘を受けたミュージシャン及び音楽評論家として、以下が代表的である。

  • 草野マサムネ(スピッツ)いわく、「80年代後半、僕は田舎から上京したてのビートパンク少年(照)だったから、ファントムギフトは聴かず嫌いで、ちょっと遅れてハマったんですよ。ポップなのにどこか異形で、発酵食品のような癖になる音楽。早く聴いときゃ良かったと後悔したもんです。今夜はこれ聴きながら部屋で一人で体揺すろうと思います。」[1]
  • 馬場育三(Dragon Ash)いわく、「若さゆえ過ちは、時として美しい。愛と憎しみの果て、全てを許せる旋律と祈りが鳴り響く日々の中僕は魔法のタンバリンを叩くのです。」
  • 大貫憲章(音楽評論家)いわく、「いうまでもなくファントムギフトはまさにKINGと言うに相応しい存在で、オリジナルGSを十分に知る僕にも納得のいくレトロフューチャーで、パノラマチックな独自の世界を見せてくれた。このアルバムからもそういうオーラが滲み出ているのをあなたも体感するのだ。」[1]

1986年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。在学中、太宰治研究者である奥野健男の薫陶を受ける。

1989年ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)脱退。

[編集] THE CRAZY LOVE MACHINE時代

1990年:現Dragon Ash馬場育三らとPinky & The Crazy Love Machine(後にTHE CRAZY LOVE MACHINEと改名)結成、1991年VIVID SOUNDよりアルバム『PINKY & THE CRAZY LOVE MACHINE』(SIMA-D-903)をリリース。

パンタ(頭脳警察)いわく、「ピンキーこと青木君とは古い付き合いになるが、当時、ネオGSの仕掛け人、先駆けとしての彼にはとても興味を覚えた物だ。その彼がニューグループとして戻ってきた。驚く無かれ、そのサウンドは黒のポップス、赤の叫び、群棲の激しい雄たけびの中のジャックスといったものだった。彼にとってはまだまだ新しい試みは尽きないのかもしれないが、とりあえず、その変身ぶりは、俺を驚愕のCHAOSの中へ招待してくれた!」[2]

[編集] ソロ活動

ピンキー青木

1992年:Pink Boxよりソロ・アルバム『Pinky/Punk Alone』リリース。

1995年:自らのレーベル「Psych Up Records」設立。

1996年:米国カリフォルニア州サン・フランシスコにて海外では初のライヴ・コンサートに出演。バックのメンバーはThe MummiesのDrums:Russell Quan、 The Phantom SurfersのBass:Michael Lucas。

1997年:米国カリフォルニア州Palo Alto出身のガール・ロック・グループThe Donnasの日本コンサート・ツアー企画、興行を主催。まだ、本国では無名だったThe Donnasの存在を世界に先駆け日本でブレイクさせる。後にアトランティック・レコードよりメジャーデビュー。

2000年:メキシコ人メンバーを含むガレージ・パンク・バンド=LA MONSTER VIOLENTAのリード・シンガーとして"Jenny The Deceiver" "Rock`n'Roll Bitch" "Che! CHe! Che!"3 tracks 7"EP(アナログ)をリリース。

2004年:米ボストン(brighton)移住。現地にて音楽活動を開始。しかし、病気療養のため、2006年帰国。

2007年:1991-2007年までの未発表音源集、馬場育三(Bass)、長谷川陽平(Guitar,pre.SANULLIM)、藤掛正隆(Drums)在籍時代のTHE CRAZY LOVE MACHINEの未発表曲、Pinky Aoki & K.N.R.S.Pinky Aoki & FIRE ENGINELA MONSTER VIOLENTAの未発表曲、未発表テイクも含むソロアルバム『Unknown Goldmine』リリース。パンタ(頭脳警察)、Baki(GASTANKMOSQUITO SPIRAL)、秋山勝彦(元P-MODEL)がゲスト参加。

[編集] 関連事項

[編集] 脚注

  1. ^ a b 『ザ・ファントムギフトの奇跡』(CDSOL-1085)の帯より
  2. ^ 『PINKY & THE CRAZY LOVE MACHINE』(SIMA-D-903)より

[編集] 外部リンク


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