ノート:日本の首都

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宮城の変遷節の表について[編集]

表題の通り、宮城の変遷節の表について、今回独自研究テンプレートを付与いたしました。定義しやすい「皇居#歴代の皇宮」の表に対して、この「日本の首都#宮城の変遷」では「宮城」という曖昧な言葉でもって表が作られており定義が不明瞭です。2014年10月に出典の明記テンプレートを付しましたが、現在の内容は応神天皇・雄略天皇・清寧天皇など採択根拠の不明な宮の列記で、独自研究と判断せざるを得ないため独自研究テンプレートを追加で付与いたしました。しかるべき出典を明示し、しかるべき判断基準を記した凡例が付されたならばテンプレートを外して頂いて構いません。個人的には「皇居#歴代の皇宮」との棲み分けとして「宮」の表を皇居で、「京」の表を本項で掲載すれば良いと思いますが、その考えは2014年10月に差し戻しを受けたのでこれ以上の私見は差し控えます。--Saigen Jiro会話2015年1月28日 (水) 13:56 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

日本の首都」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月6日 (金) 00:08 (UTC)[返信]

遷都と奠都[編集]

  • 遷都と奠都が似たようなものだという独自研究の開陳を延々おこなっている方がおられますが、このような異常な行為は止めて頂くようおねがいいたします。遷と奠はことなる語義をもつ全く別の語です。それを「おなじみたいなものだ」と感じているのはあなただけです。--大和屋敷会話2017年11月12日 (日) 23:19 (UTC)[返信]
  • では、平安奠都千百年紀念祭(1895年)が「平安京に都が遷されてから1100年目を記念して催された祭典。明治維新で衰え近代的復興途上にあった京都の発展のために計画されたもの。これに合わせて内国勧業博覧会も開催。」とされている理由を教えてください。なぜ「遷都」されたのに「奠都」記念祭なんですか?関西に都合が悪いからってお好み焼きでやったようになんでもかんでも消さないでください。--Midomido hys会話2017年11月14日 (火) 10:57 (UTC)[返信]
  • 地方自治体の外郭組織(の従業員)により作成され、監修や査読を受けていることの確認できないHP内の記述は信頼できる情報源とはいえませんよ。まともなソースを「探してください」。--大和屋敷会話2017年11月15日 (水) 03:32 (UTC)[返信]
コメント 「平安奠都」は他の事典類でも見かける用語ですが、 例えば『大辞林 第三版』では「奠都」は「都を定めること」で「遷都」は「都を他の地へうつすこと」であり、全く別の用語です。平安京は「奠都」にも相当するし「遷都」にも相当するが、東京は「奠都」には相当するが「遷都」には相当しない、というだけのことかと思います。「平安奠都」と「平安遷都」という表現があるから両者は同じ用法だ、という解釈を加えるのであればその解釈の出典提示が必要であり、京都観光Naviのページではそのような解釈説明はないので出典にはなっていないと思います。以上コメントまで。--Saigen Jiro会話2017年11月15日 (水) 04:42 (UTC)[返信]
  • 事実1:当該イベントの名称が「平安奠都千百年紀念祭」である
  • 事実2:当該イベントの説明として「平安京に都が遷されてから1100年目を記念して催された祭典」とするものもある
  • 結論X:「奠都」「遷都」は同じような意味を持つ
  • Midomido hysさんの論法はこのような感じですが、事実1の時点で破綻しかかっています。当該イベントの名称としては「平安奠都千百年紀念祭」ではなく「平安遷都千百年紀念祭」の方が正しいのでは?Googleでの単純検索では36件と96件。国による平安神宮の重文指定(2010年12月)では詳細解説として「平安神宮の建築は、明治二八年、平安遷都千百年紀念祭、ならびに第四回内国勧業博覧会が開催されるにあたり、紀念殿建築と称する会場施設として平安宮大極殿院を模して計画された」(強調は引用者による)とされています。京都市のウェブコンテンツでも、京都市歴史資料館情報提供システム 「フィールドミュージアム京都」都市史30 平安遷都千百年紀念祭のように「遷都」としているものがあります。
  • また、Saigen Jiroさんが指摘されているように、事実1と事実2から結論Xを導く過程には解釈が必要であり、この解釈を担保する信頼できる出典が別途必要です。--Claw of Slime (talk) 2017年11月16日 (木) 03:01 (UTC)[返信]

2018年6月30日 (土) 06:10版について[編集]

  • 引用元を確認しましたが、すべて「宮」の設置に関する文献であり、これを「首都」の設置に関する議論の引用元とするのは不適切です。他の信頼できる情報源から投稿して頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2018年6月30日 (土) 07:25 (UTC)[返信]

大和屋敷氏による「日本の首都」記事の削除について[編集]

引用元を確認しましたが、すべて「宮」の設置に関する文献であり、これを「首都」の設置に関する議論の引用元とするのは不適切です。他の信頼できる情報源から投稿して頂くようお願いいたします。--大和屋敷(会話) 2018年6月30日 (土) 07:25 (UTC)


この度、大和屋敷氏により当方の「日本の首都」に執筆した記事を削除されました。この件について幾つか書いてみたいと思います。


まず大和屋敷氏は本当に引用元を確認されましたか?本当に「すべて「宮」の設置に関する文献」でしたか?

出典中、以下の12の論文には関連キーワード(索引語)が示されていますが、書き出してみると

市大樹「黎明期の日本古代木簡」...日本最古級の木簡, 法隆寺金堂釈迦三尊像台座の墨書銘, 百済木簡

村元健一「難波宮の立地環境」...難波宮; 立地環境

高橋誠一「古代飛鳥の国際性と文化交渉-広域的都市計画と要塞化-」...飛鳥「京」、藤原京、古代朝鮮式山城、大和三山、石の文化、古代朝

若井敏明「白雉四年の政変について 」...孝徳天皇 、中大兄皇子、 東国国司 、鐘櫃の制、 難波宮

舘野和己「宮都の廃絶とその後」...宮都の廃絶; 都城; 遷都; 遷宮; 古代都城廃絶後の変遷過程

吉水眞彦「近江大津宮をめぐる諸問題」...近江大津宮, 崇福寺跡, 大津廃寺, 港湾施設, 陸上・湖上交通の要衝

舘野和己「日本古代の複都制」...複都制

林部均「藤原京の条坊施工年代再論」...藤原京, 条坊制都城, 条坊施工, 「新益京」, 大宝律令

舘野和己「日本都城の環境と思想」...日本古代都城; 環境; 思想; 神祗思想

積山洋「複都制下の難波京」...複都制; 難波宮; 条坊制; 中国都城; 里坊

松浦茂樹「古代の宮都の移転と河川--長岡京,平安京への遷都を中心に」...河川;歴史;京都府;治山・治水

となり、キーワードから「宮」に関する論文といえるのは村元健一氏(難波宮)、若井敏明氏(難波宮)、舘野和己氏の「宮都の廃絶とその後」(宮都の廃絶、遷宮)、吉水眞彦氏(近江大津宮】、積山洋氏(難波宮)の論文の5つ。「宮」に関する論文と言えるものは半分もありません。

もう一度書きますが、大和屋敷氏は本当に引用元を確認されましたか?引用元を確認していないのに確認したと言っていませんか?


今回の当方の記事では「首都」と京師、京、都、を同じ意味として使いました。wikipediaで「」を調べるみると、

『京(きょう、けい、みやこ) 京師、都、首都。都市としての「京」については、都城を参照のこと。異体字に「亰」がある。』

とあり、京、京師、都、首都は同じ意味であることがわかります。「京」、「京師」、「都」に関する文献を日本の首都の議論に引用するのは不適切ではないわけです。「首都」の語が出てこないからと言って首都に関する記事ではないとは言えないのです。「京」、「京師」、「都」に関する論文から「「首都」の設置に関する議論」を書くことは問題ないと考えます。「初修京師」は初めて首都を設置したと読むのは間違っておらず、「京」を首都と理解するのも妥当なのです。


また、今回の記事では木簡研究、古代政治史の文献などがこれに当たりますが、そもそもwikipediaでは「首都(仮にAとします)」に関する議論に、「A」に関係しない「宮(仮にBとします)」に関する文献を使用してはいけないことになっているのでしょうか。「A」に関係しない文献に「A」に関係する事柄が記されていることはあるので、「A」に関する事柄が記されているのなら「B」に関する文献を使用しても構わないと思うのですが。この件に関してwikipedia内で該当しそうな項目を探してみましたが、見つけられませんでした。


最後に疑問に思ったことがあります。大和屋敷氏は当方の記事を独自研究として削除しましたが、以前から独自研究が指摘されている「宮城の変遷」の項目を削除しないのはなぜでしょうか。独自研究、出典の不足を指摘されている記事を差し戻してまで掲載する意味はどこにあるのか。たいへん不思議です。

以上。

(--Fp67fp68会話2018年7月7日 (土) 09:54 (UTC)Fp67fp68[返信]

  • 【京や宮のことしか書いてない情報源】を引用元にし、辞書の定義「京とは首都のこと」という定義を援用し、【首都と置換・変換して】記述することは情報源の合成(独自研究)になります。【京や宮に関する情報を周辺情報として紹介する】ことは禁止されていませんので、「京や宮の情報」として紹介することが適切な執筆方法になります。尤も「記事主題に無関係な情報」として削除すべきではないかという観点はありえると考えます。--大和屋敷会話) 2018年7月7日 (土) 11:33 (UTC)たとえば日本の首都#宮城の変遷の項目名が「日本の首都の変遷」などとタイトルされてあれば、これは情報源の合成あるいは独自研究となりますので修正すべき、と言えるわけです。--大和屋敷会話2018年7月7日 (土) 11:36 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

一度の首都移転を別項にする必要がないと思いますので、東京奠都をこちらに統合したく思います。--Ujiphippo会話2022年12月31日 (土) 03:19 (UTC)[返信]

反対 明治期に京都から東京へ首都が移転したことは、歴史的に大きな出来事であり、記事として意味のあるものと考えます。双方に相当の分量があること、相互にリンクしてあることから、現状維持が適切であると考えます。--RCA会話2022年12月31日 (土) 11:33 (UTC)[返信]
反対 RCAさんとまったく同感です。「一度」の出来事であっても、歴史的に重大な出来事は単独の記事とする価値は十分にあるものと考えます。Nisiguti会話2023年1月1日 (日) 04:00 (UTC)[返信]
反対 東京奠都は歴史的記事であり、「日本の首都」の話題の一側面です。現状のように項目名の1つとして設置し、詳細は東京奠都にリンク付けする構造が適切です。そもそも2つの記事とも内容がかなりの分量であり、統合してしまうと可読性に著しい問題が生じます。--大和屋敷会話2023年1月5日 (木) 10:13 (UTC)[返信]