ニコライ堂

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世界測地系: 35.698035° N 139.765534° E

府主教座のあるニコライ堂東京都千代田区)。現在の姿は関東大震災による上部ドームと鐘楼の崩壊後、1929年に修復されたもの。

ニコライ堂(ニコライどう)は東京都千代田区神田駿河台にあるキリスト教正教会大聖堂。国の重要文化財に指定されている。

日本ハリストス正教会の本部である全日本の府主教座・東京大主教座聖堂であり、正式名称を東京復活大聖堂という。緑色の大きなドーム型屋根が特徴である。ニコライ堂の名は日本に正教会の教えをもたらしたロシア修道司祭(のち大主教聖ニコライにちなむ。

目次

[編集] 歴史

コンドルの設計による初代の神田ニコライ堂(1910年頃)

様式はビザンティン式で、聖ニコライの依頼によりロシア建築家ミハイル・シチュールポフが基本設計図を作成。お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが設計の一部を修正したうえで監督にあたり、1891年3月8日に竣工した。完成当初は近隣に高層建築が無く、かなり遠くからも見えたという。「新東京名所」に選ばれ[要出典]夏目漱石の「それから」(1909年)にも書かれた。

1923年(大正12年)9月1日関東大震災で上部のドームと鐘楼が倒壊したのち、コンドルを敬愛する建築家岡田信一郎によって修復され、1929年に復興した。この際、耐震上の理由から構造を補強したり、塔を低くするなど、外観が一部変更された。

かつては、関東大震災後より設置された大聖堂二階バルコニー部分にイコノスタシスを備えた小聖堂が設けられていたが、安全上の問題などにより移設され、現在は一階の左右(南北)両翼部分に小聖堂(南側=亜使徒聖ニコライ聖堂、北側=ラドネジの聖セルギイ聖堂)が設けられている。

1962年、国の重要文化財に指定された(指定名称は「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」)。

1992年より9年の歳月をかけて修復が行なわれた。現在では内陣のイコノスタシス、壁面などが美しさを取り戻している。

[編集] 設計監督者の系譜

[1]現在のニコライ堂のイコノスタシスの設計に関わったのは内井進であるが、内井進の父:モイセイ河村伊蔵は、1916年函館ハリストス正教会の再建時に設計監督にあたっており、豊橋ハリストス正教会の設計監督にもあたっていた。

内井進は建築を本業とし、金成ハリストス正教会と小田原ハリストス正教会の両聖堂の設計にも携わっている。

内井進の息子であるガウリイル内井昭蔵も、建築家であり正教のクリスチャンである。皇居吹上御苑の新御所、世田谷美術館浦添市美術館などを手がけた。著書『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』(丸善)は建築家としての視点と正教徒としての視点の両方から黄金の環キエフサンクトペテルブルクに存在する、主に正教会の聖堂を中心としてロシア建築を概観していくという珍しい書物である。埋葬式はニコライ堂で盛大に行われた。永眠のほぼ直前の時期に、ニコライ堂のイコノスタシスに新品のイコンを献納している。

[編集] その他の関連人物

[編集] 通称と正式名称

「ニコライ堂」の通称は、1970年に列聖され「亜使徒聖ニコライ」と日本正教会で呼ばれるニコライ・カサートキンに由来する。建立[2]された当初よりこの通称は広く巷間に流布していた。

ただしニコライ堂の正式名称「東京復活大聖堂」が指す通り、本聖堂はイイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)の復活を記念する聖堂であり、聖ニコライを記念する聖堂ではない[3]。ただし大聖堂内の一角には「亜使徒聖ニコライ聖堂」が設けられ、敷地内には「亜使徒聖ニコライ記念聖堂」が存在する。

[編集] 現況

[編集] 敷地

敷地内には神学校、信徒会館であるニコライ会館、伝道会などに使われる旧ニコライ学院、東京大主教(日本府主教を兼任)館、亜使徒聖ニコライ記念聖堂がある。

[編集] 教会生活・奉神礼(礼拝)

土曜日の夜には徹夜祷(実際に徹夜する訳ではなく、あくまで名称)、主日日曜日)の朝には聖体礼儀が行われる。ほか、五旬祭(ペンテコステ)降誕祭(クリスマス)、をはじめとする十二大祭などの祭日や、大斎などの斎日などに、伝統の定めるところに従って奉神礼礼拝)が行われている。日本正教会首座主教たる府主教の下にある主教座聖堂であることにより、巡回時等を除き、基本的に主日日曜日)には主教祈祷による大規模な聖体礼儀が行われている。

また、月曜と長期休講期間中を除いた毎朝・夕に、神学校生徒による奉神礼(礼拝)が大聖堂内の小聖堂で行われている(ただし諸行事等により行われない事もある)。

ほか、正教徒のための必要に応じた祈祷として、感謝祈祷、旅行の安全のための祈祷、病気平癒の祈祷、婚配式結婚式)、永眠者のためにパニヒダ埋葬式などが行われ、信徒の生活に密着したものとなっている。

[編集] 拝観

ヴィクトル・ヴァスネツォフ『神言(かみことば)と神の子』(トレチャコフ美術館蔵)
「神言(かみことば)」とはギリシャ語の"λόγος"(ロゴス)の日本正教会訳であり、ハリストスキリスト)のこと。少年のような姿であるが題名通りハリストスを描いたもの。周りに福音記者を表す4種の象徴が描き込まれている。ロシアの大聖堂フレスコ画のために準備された絵画であってニコライ堂にあるイコン実物の画像ではないが、同様の構図をとったイコンがニコライ堂内に掲げられている。

啓蒙所と呼ばれる聖堂内部の一部の地点までが未信徒にも見学可能である。2009年5月の時点で、平日午後1時から4時までに拝観のために聖堂が開かれている。

奉神礼が行われていない時間帯の拝観には、拝観維持費:ろうそく代として見学料300円が求められている(志納金)。聖堂内の撮影は婚配式結婚式)等の特別な際に信徒に許可されるほかは、厳禁となっている。

[編集] アクセス

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 出典:内井昭蔵『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』丸善 ISBN 978-4-621-03548-1 (6頁)
  2. ^ 建立…日本正教会では「けんりつ」と読む。用例としては「聖堂の建立」(せいどうのけんりつ)など。
  3. ^ 正教会の聖堂は(他教派にも同様の習慣を持つ教派は多数存在するが)、何らかの記念を伴っている。聖書中に記された出来事や、イイスス・ハリストスや、生神女、聖人などが記念される。
ウィキメディア・コモンズ

[編集] 参考文献

  • 府主教ダニイル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』正教時報社 - ニコライ堂ほか各地正教会で入手可能
  • 高井寿雄著『ギリシア正教入門』教文館、1977年

[編集] 外部リンク