シェベーク・ジェルジ

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シェベーク・ジェルジ(1991年)

シェベーク・ジェルジ(Sebők György [ˈʃebøːkˌɟørɟ], 1922年11月2日 - 1999年11月14日)は、ハンガリー出身のピアノ奏者。日本ではジョルジ・シェベックと表記されることも多い。

生涯[編集]

ハンガリーはセゲドの生まれ。11歳でソロ・リサイタルを開き、14歳でベートーヴェンピアノ協奏曲第1番フリッチャイ・フェレンツと共演するなど、神童振りを発揮した。

16歳のときにリスト・フェエンツ音楽大学に入学してコダーイ・ゾルターンヴェイネル・レオーらの薫陶を受け、卒業後は欧米やロシアなどで演奏活動をはじめ、シュタルケル・ヤーノシュらともたびたび共演を重ねた。

1949年からはブダペストのバルトーク・ベーラ音楽高等学校のピアノ科教諭に就任するも、1956年ハンガリー動乱の影響でパリに亡命を余儀なくされた。このとき、シュタルケルの援助によってブルーミントンインディアナ大学の教授となった。また、ベルリン高等音楽院や桐朋学園大学などにも招かれてマスター・クラスを開き、後進の指導に熱心に当たった。

ブルーミントンにて没。

脚注[編集]