マツダ・コスモ
マツダ・コスモは、1967年(昭和42年)5月から1996年(平成8年)にかけて、マツダが生産・発売していた乗用車である。
1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までモデルネームが中断したが、1975年(昭和50年)に復活。1990年(平成2年)からはユーノス・コスモとして作られた。1996年(平成8年)の生産終了以降、コスモの名は途絶えている。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 初代・コスモスポーツ(1967年 - 1972年)
| マツダ・コスモスポーツ(初代) | |
|---|---|
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前期型
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| 製造国 | |
| 販売期間 | 1967年 - 1972年 |
| 乗車定員 | 2人 |
| ボディタイプ | 2ドア ノッチバッククーペ |
| 駆動方式 | FR |
| ホイールベース | 2,200mm |
| 車両重量 | 940kg |
| -自動車のスペック表- | |
コスモスポーツは、1967年5月に2シータークーペモデルとして発売された。世界初の実用・量産ロータリーエンジンの搭載車であった。
なお、世界で初めて市販されたロータリーエンジン搭載車は、正確には旧NSUヴァンケル社(現・アウディ)が1964年に発売したリアエンジン車のヴァンケルスパイダーである。これに搭載されたロータリーエンジンは、ロータリーエンジン特有の多くの課題が未解決のままであり、いわば「見切り発売」であった。またそのロータリーエンジンは、単一ローターのエンジンであった。これらに対し、コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それらの課題を克服して量産に耐えうるものであった。このため10A型エンジンは、世界初の実用・量産ロータリーエンジンである。また、10A型エンジンは、多気筒(マルチローター)ロータリーエンジンとしても世界初の市販車用エンジンであった。
ロータリーエンジンの特性は、それまで各種のロータリーピストンエンジン理論において証明されていた。しかし、100年以上の理論的蓄積にもかかわらずロータリーエンジンは量産されるには至っていなかった。このため、10A型エンジンの搭載車であるコスモスポーツは、ロータリーエンジンを量産車のエンジンとして最初に搭載した記念すべき存在といえる。
1968年8月には、東洋工業は、mazda110Sの名でコスモスポーツを擁してニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦した。このレースは、生産車のスピードと耐久性が競われる文字通りのマラソンレースで、ポルシェ・ランチア・BMW・SAAB・オペル・シムカ・ダットサンなどと激戦を展開した。結果は、完走を果たすのみならずポルシェ・ランチアに次ぐ総合4位(順位は84時間後の走行距離で決められる)入賞となった。参加59台中、完走はわずか26台であった。
コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それ以降ファミリアロータリークーペ、サバンナRX-3などに搭載された。10A型エンジンは5枚のハウジング構成から出来ており、開発目的が量産規模の小さいスポーツカー搭載用である為、エンジンは0813 13 101cの2台のローターハウジング迄含み全て総アルミニウム合金であった。コスモスポーツ以後の量産モデルでは、サイドハウジング(F・インターミディエイト・R)が鋳鉄に変更されている。コスモスポーツの10A型エンジンは炭素鋼が溶射されており高価かつ手の込んだものであるのに対し、10A型エンジンより後のエンジンでは、特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工したものが採用され、量産化・低コスト化が図られている。また、加工法もコスモスポーツの砂型鋳造に対し金型鋳造とされ、大量生産された。
コスモスポーツは、前期型(L10A型)が1967年に343台販売されたのを皮切りに、1972年までに後期型(L10B型)の最終販売車までの累計で1176台が販売された。コスモスポーツは後進のロータリーエンジン搭載車の礎となったモデルである。1975年のコスモAPの登場まで、後期型(L10B型)の販売終了によって一旦コスモの名が途絶えることとなった。
発売までのロータリーエンジン開発経緯は、ロータリーエンジンを参照。
[編集] プロトタイプ
1963年10月26日から11月10日に開催された、第10回全日本自動車ショーに、マツダロータリーエンジンとして、400cc×1ローター(35ps)と400cc×2ローター(70ps)の2種類の試作エンジンが出展された。その時の、イラストの中にコスモスポーツが描かれていた。実車の公開はなかったが、その時初めてコスモスポーツが公に公表された[出典 1]。
翌1964年の9月26日から10月9日に開催された、第11回全日本自動車ショーに、初めて実車(プロトタイプ)が出展された。搭載されたエンジンは、400cc×2ローター(70ps,6000rpm)だった。この時、当時の松田恒次社長が自らコスモスポーツのハンドルを握って広島から到着、帰路には各販売会社、メインバンクの住友銀行、池田勇人首相などを訪問したというエピソードも残っている。
1965年10月29日から11月1日に開催された、第12回全日本自動車ショーにもコスモスポーツが出展された。このときの展示は最終生産型として展示され、その時に、全国各地のマツダディーラーに委託して実用化テストを行う事を発表した(その時は詳細を公表せず)[出典 2]。
1966年10月26日から11月8日に開催された、第13回全日本自動車ショーにも続けてコスモスポーツが展示された。実用化テストに基づきさらなる改良が加えられ、1967年春発売予定、価格未定とアナウンスされた[出典 3]。
市販までに、テストは各地のディーラーに委託されたコスモスポーツ60台により、1年の期間を費やして実施され、その間、試作車による10万kmに及ぶ連続耐久テストを含み、総距離300万kmにも達する走行テストが行われた。
[編集] 前期型
コスモスポーツの前期型L10Aには、10A型ロータリーエンジン(491cc×2)が搭載された。9.4の高圧縮比とツインプラグによって110ps/7000rpm・13.3kg/3500rpmを発生した。車重は940kgと比較的軽量であった。
エンジン以外の基本レイアウトは、この時代常識的であったフロントエンジン・リアドライブであるが、当時の日本製乗用車としては相当に高度なスペックが奢られていた。サスペンションは、フロントがウィッシュボーン・コイルの独立懸架、リアは独立懸架こそ断念されたが、バネ下重量の軽減を図り、ド・ディオンアクスルをリーフスプリングで吊る形式が採用された。ステアリングにはクイックなラック&ピニオン形式を採用している。トランスミッションは4速フルシンクロで、ブレーキは前輪がダンロップ型ディスク、後輪はアルフィン・ドラムであった。なお油圧系統は前後独立のタンデム式となっており、どちらかが故障した場合に備えた安全性の高いものとなっていた。
ロータリーエンジンは極力低く、そして後方に配され、のちのマツダのアイデンティティーともなるフロント・ミッドシップの発想が既に生かされていた。重量物であるバッテリーも前期型ではトランクに、後期型では室内の助手席後部に箱で蓋があり、回すツマミ式の開閉のタイプだった。
[編集] ボディ
ロータリーエンジン搭載用に専用設計されたボディはセミモノコック方式であった。ボディは開口部以外には継ぎ目がなく、ハンドメイドのスペシャルカー然としていた。全ての開口部は来たるべき高速時代を見越して、車両進行方向に対し後ろ開きとされた。デザインにあたっては革新的なロータリーエンジンにふさわしい、大胆かつ斬新なスタイルが望まれた。開発当初、当時の社長である松田恒次から「売り出すつもりのないイメージカーだ」といわれたからこそ、この思い切ったスタイリングが生まれたともいわれる。
全高は1165mmと低かった。「軽量コンパクトなロータリーエンジンでなければ成しえないデザインを」という、学芸大卒業のマツダ初のデザイナー小林平治の意図はその低さに結実し、伸びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央を走るプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来的なイメージをさらに強調している。ボンネット・フードの小ささ、低さはロータリーエンジンの小ささを暗示する。また、バンパーを境に上下に分けたテールライトも特徴的である。ただし、全長に比してリアオーバーハングが大きいスタイルのため、機動性の面では不利なものとなり、「スポーツ」の名とは裏腹に、むしろグランドツーリングカーとしての性格が強くなった。
[編集] 内装
アルミニウムのダッシュパネルは黒で統一艶消し塗装で、無反射ガラスの7連メーター(時計・燃料計・電流計・速度計・回転計・油温計・水温計の順)が整然と並ぶ。フルパッド室内は体の通気性を考慮してあたる部分のみを白と黒の千鳥格子柄のウールを使用している。前期型L10Aにはヘッドレストがない。前後に調節可能な3本スポークのウッドステアリング(一部、1970年〜1971年車:ナルディ社製Φ380ステアリング)が標準となっている。車内は真っ赤な絨毯で、シフトノブは自然に手を下ろした位置で操作できるショートストロークとなっている。クラリオン製オートラジオ、トグルスイッチの上下に作動させるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度調整、ホーン音質切替え(市街地用・高速用)、2スピードワイパー(途中で切っても自動的に原点復帰するタイプ。高速時の浮き上がりを防止するフィンも付いていた)、さらにマップ・足元(ドア開閉連動)・グローブボックス・トランクの各ライトなども標準で装備されていた。ドアは二段チェッカーであり、スマートに乗り降りできるように考えられていた。座席の後ろには手荷物を置くためのスペースが設けられ、固定用ベルトも装備されていた。リアガラスには非常に曲率の大きなものが用いられ、室内の開放感を高めた(現行RX-8およびRX-7のリアガラスは、このオマージュとされる)。助手席側サンバイザー裏面には鏡、足元にはフットレスト、前方のグローブボックス脇にはアシストグリップも装備された。
[編集] 販売価格
価格は148万円で、同じような性格の車で比較すると117クーペの172万円ほどではないが、フェアレディ2000の88万円、スカイライン2000GT-Bの94万円と比べるとはるかに高価であった。
[編集] 走行性能
ロータリーエンジンの走りは、レシプロエンジンとはまさに異次元的な感覚をもたらした。当時、ほとんどのレシプロエンジン搭載の国産車は4000rpmを過ぎたあたりから騒音・振動がひどくなり、100km/hを超える高速走行では会話すら困難となり、怒鳴りあうようにしなければならぬこともままあった。しかし、ロータリーエンジンはレッドゾーンの7000rpmまで静粛かつスムーズに吹けあがった。
カーグラフィック誌によるマツダ製ロータリーエンジン車の燃費テスト結果を以下に示す。
- コスモスポーツ (L10A):8.3km/L(試験距離:公道998km、サーキット108km、1967年9月号)
- カペラロータリークーペGS:7.07km/L(試験距離:4300.6km、1970年10月号)
- サバンナRX-7リミテッド (SA22C):7.68km/L(試験距離:1555km、1978年6月号)
- サバンナRX-7 GT-X (FC3S):5.0km/L(試験距離:1007km、1985年12月号)
- アンフィニRX-7 type R (FD3S):5.2km/L(試験距離:970km、1992年2月号)
各年代の道路事情・テスト条件の相違などから一概に結論付けられないが、以上の車の中で燃費性能でトップの値を記録している。
[編集] 後期型
1968年7月には早くもマイナーチェンジ(L10AからL10Bに形式変更)が行われ、ラジエーターグリル形状の変更、ブレーキ冷却口の新設、ホイールベース・全長・トレッドの拡大、トランスミッション5速化、前後ブレーキへのハイドロマスターが装着された。ラジアルタイヤ標準化(155HR15)、ポートタイミングの変更にともなう吸入効率向上によるパワーアップ(110ps/13.3kg→128ps/14.2kg)等を施された。この結果、最高速は185km/h→200km/h、0-400m加速も16.3秒→15.8秒となった。
マイナーチェンジによって、当時としては高級品であったヂーゼル機器製のエアコンがオプションで装着可能となった。このヂーゼル機器製クーラーの価格は40万円を超えたという。ユニットは座席後ろの手荷物スペースに置かれたため、冷風は後方から吹き出す形であった。コスモスポーツ専用設計のクーラーであったため効きは悪くなかったが、発熱量の多いロータリーのためオーバーヒート気味となることもままあった。当時の取扱説明書にも「クーラ装着車はクーラ作動時、シフトをTOPおよびO・Tにし、エンジン回転1500rpm以下の低回転でノロノロ運転している場合オーバ・ヒート気味になることがありますので、このような場合はシフトを2速か3速にして運転してください。」(原文)との記載がある。
また室内のウォッシャー・ワイパー・ディマー・ウィンカーの4スイッチが、1本のコンビネーション・レバーにまとめられた。3点式シートベルト、調整可能なヘッドレスト後期より装備された。パーキング(エンジン始動時自動消灯)や非常灯も装備された。
この後期型(L10B)の価格は158万円であった。なお、車両形式名はL10Bとなり、エンジンの排気量は変わらず形式も10A型のままであったが、エンジンの仕様はポートやキャブレター、マフラーなど数回変更された。
[編集] その他
石原慎太郎が参議院議員として初登院の際に、国会に乗りつけたことでも知られている。 もともと石原家は広島出身である。マツダがNSU社との契約を結ぶ際の架け橋となったとされる。 (マツダ→石原家→吉田総理(日)→アデナウアー首相(独)→NSU)
1967年には、調布 - 八王子間が開通した中央自動車道に高速パトロールカーとして警視庁第八方面交通機動隊に配備された。
コスモスポーツの発売に合わせ、東洋工業は、1967年6月1日の新聞各紙に「世界の注目をあつめてロータリーエンジン搭載車いよいよ登場!」と題する全面広告を出した。その広告は全面であることを生かし、世界初のエンジンであること、耐久力、革新性、スムーズさ、カーデザイン、保証制度、装備、発表会の告知等を訴えるものであった。その翌日の6月2日、今度はトヨタ自動車が2000GTの全面広告を出した。このことから、当時のトヨタのマツダ・ロータリーに対する対抗意識が垣間見えるようである。
1967年6月6日〜11日の間、東京都中央区日本橋の高島屋で、コスモスポーツ発表会が開催された。コスモスポーツ1号車を出品し、展示会・撮影会・試乗会といった内容だった。
[編集] 2代目・コスモAP/コスモL(1975年 - 1981年)
| マツダ・コスモ(2代目) | |
|---|---|
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コスモAP
コスモL
(写真は欧州向けのマツダ・121) |
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| 販売期間 | 1975年 - 1981年 |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 2ドア ノッチバッククーペ 3ドア ファストバッククーペ |
| 駆動方式 | FR |
| ホイールベース | 2,510mm |
| 車両重量 | 1,220kg |
| -自動車のスペック表- | |
[編集] コスモAP
コスモスポーツ製造中止より3年後の1975年にコスモAPとして復活した。
APとはアンチ ポリューション・公害対策の意味である。オイルショック後にマツダが初めて発表したモデルで、コスモスポーツと路線の異なるスペシャルティカーとなった背景には、北米市場の要求があった。当時は、折からの自動車排出ガス規制の影響によって、スポーツモデルが次々と消えていこうとしている時期であり、その中で登場したパワフルなコスモAPは一際目立つ存在となった。内装、装備に至っても高級感と豪華さを押し出したものとなり、発売直後から高い人気を誇った。
エンジンは135PSの13B、125PSの12A、レシプロの2000、1800の4タイプのバリエーションがあった。前期型は丸型4灯のヘッドランプとL字型のテールランプ、縦基調のラジエーターグリルと、マツダ独自の空力理論[補足 1]に基づくエンジンフード先端の処理が特徴であった。1979年のマイナーチェンジでは、異型角形2灯のヘッドランプと格子調のグリルへと変更され、雰囲気が一変した。
コスモの登場により、各社のスポーツモデル開発に火がつき、様々な人気車が生まれた。
輸出名はロータリーエンジン搭載車が「マツダ・RX-5」、レシプロエンジン搭載車が「マツダ・121」であった。
[編集] コスモL
コスモAPから遅れること2年、1977年にバリエーションモデルとして追加された。”L”はランドウトップの頭文字で、高級馬車であるランドーレットの屋根形式に由来する名前である。最大の特徴は、その名のとおりランドウトップにある。コスモAPではファストバックであったが、コスモLではノッチバック + ハーフレザーのトップ(車両の屋根)となっていた。これも北米市場からの強い要求によるもので、マスタングをはじめトヨタのカローラおよびセリカなども2種類のバックスタイルのクーペボディをそろえている。
ランドウトップのコスモLはリアシートの頭上高に余裕があり、居住性が良いことと、クオーターウインドウ(オペラウィンドウと呼称していた)が小さく、プライバシーが守れることで、コスモAPとの性能、装備の違いは無くとも、やや高い年齢層に向けた高級モデルとしての位置づけであった。
1979年マイナーチェンジ。APと同様に異型角形2灯のヘッドランプと格子調のグリルへと変更。
市場での評価とは別に、工場内での評価は全く異なるものがあった。ファストバック車両の場合は、プレスした車体パネルを溶接する際、Cピラーの溶接部分が表に出てしまうので、通常は半田で表面を埋めてなだらかに仕上げる工程があった。ランドウトップでは、この工程を省略できたので鉛公害も発生せず、その意味で高い評価を得ることになった。
[編集] 3代目・コスモ(1981年 - 1990年)
| マツダ・コスモ(3代目) | |
|---|---|
| 販売期間 | 1981年 - 1990年 |
| 乗車定員 | 5人 |
| ボディタイプ | 2/4ドア ハードトップ 4ドア ノッチバックセダン |
| 駆動方式 | FR |
| 全長 | 4,640mm |
| 全幅 | 1,690mm |
| 全高 | 1,340mm |
| ホイールベース | 2,615mm |
| 車両重量 | 1,135kg |
| -自動車のスペック表- | |
1981年に登場した、3代目コスモは4代目ルーチェと姉妹車になった。ボディバリエーションは3種類を揃えたが、それぞれの登場時期は複雑で、まずは9月に2ドア・ハードトップが先行発売され、同年10月1日に4ドア・ハードトップ、2週間後の10月16日に4ドア・セダンとロータリーエンジン搭載車がそれぞれ時期をずらして発売された。空力に配慮されたデザインが特徴であり、ハードトップは4灯式のリトラクタブル・ヘッドライトを持つ。中でも2ドアのCd値は当時としては世界トップクラスの0.32を記録していた。エンジンは当初、従来型と同じMA型4気筒2Lレシプロエンジン(EGIおよびキャブレター仕様)のみが先行発売されたが、2200ccディーゼルエンジン(セダンのみ)、12A型ロータリーエンジン(573cc×2)も10月16日の4ドア・セダンと同時に追加された。
12A型ロータリーエンジンは新たに6PI(シックス ピー アイ)と名付けられた、6ポート・インダクションを採用、これは従来1ローターあたりプライマリーポート、セカンダリーポートと吸気ポートを2つ設けていたものを、新たにセカンダリーポートをメインポート、補助ポートと分割し、1ローター毎3ポート(2ローターで計6ポート)としていた。これにより燃費や出力の向上を謳っていた。
1982年10月、12A型ロータリー・ターボ車を発売(ルーチェとともに世界初)。耐久性の関係から6PIの採用は見送られた。「全域・全速ターボ」と名付けられたこのエンジンは、1982年当時の国産車の中ではトップクラスの性能を誇り、1980年代に行われる高性能戦争へ先鞭をつけた。
インテリアでは、デジタルながら面積変化で情報を伝えるスピードメーター、サテライトスイッチの影響が見られるメーターナセル両端に配したエアコン、灯火類、ワイパーなどのスイッチ、カセットテープを見せるデザインの正立型カーオーディオ、シートバックの中折れ機構などに特徴がある。
自動車ジャーナリストの三本和彦は、1982年9月にコスモ・ロータリー・ターボを自動車ジャーナリスト3人で茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市)の日本自動車研究所において、谷田部24時間耐久テストを行った。高速耐久トライアルとしては2000GTによるものが有名であるが、6時間時点での2000GTの新国際記録210.42km/hを上回っている(最終的に2000GTは、72時間で平均206.02km/h)。
1983年10月、マイナーチェンジ。個性的なデザインからかルーチェともども販売が芳しくなく、4ドア・ハードトップのフロントマスクを一般的な固定式ヘッドライトへと変更する。同時に4ドア系に13B型ロータリー・スーパーインジェクション(SI)車を設定する。なお、2ドア・ハードトップは従来のリトラクタブル・ヘッドライトを継承した。
1984年9月、2ドア・ハードトップをマイナーチェンジ。「GT」以外の改良を行い、4ドア同様の固定式ヘッドライトに替えられる。
1985年5月、モデル末期のグレード整理とテコ入れとして、レシプロエンジン車に「ジェンティール」シリーズを投入。
ルーチェは1986年にモデルチェンジされたが、コスモはハードトップのみが残り1990年まで継続製造された。
[編集] 4代目・ユーノスコスモ(1990年 - 1996年)
| マツダ・ユーノスコスモ | |
|---|---|
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2005年2月撮影 ユーノスコスモ用3ローターエンジン、マツダミュージアム
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| 販売期間 | 1990年 – 1996年 |
| 乗車定員 | 4人 |
| ボディタイプ | 2ドア ノッチバッククーペ |
| エンジン | 1,3 L 2ローター 13B-REW型 2,0 L 3ローター 20B-REW型 |
| 最高出力 | 230 ps(2ローター) 280 ps(3ローター) |
| 最大トルク | 30.0 kgm(2ローター) 41.0 kgm(3ローター) |
| 変速機 | 4速AT |
| 駆動方式 | FR |
| サスペンション | 前:ダブルウィッシュボーン 後:マルチリンク |
| 全長 | 4,815 mm |
| 全幅 | 1,795 mm |
| 全高 | 1,305 mm |
| ホイールベース | 2,750 mm |
| 車両重量 | 1,490-1,640 kg |
| -自動車のスペック表- | |
1990年4月、ユーノスコスモは量産車初の3ローターのロータリーエンジンを搭載した自動車として登場した。キャッチコピーは『クーペ・ダイナミズム』。ボディは2ドアクーペのみ。当時、マツダは販売チャンネルのディビジョン(多チャンネル化。GMでいうシボレーやポンティアック、ビュイック、キャデラックのような展開)にはマツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマがあり、この車はユーノスブランドのフラグシップであった。なお、この車に使用されたユーノスのエンブレムは初代・コスモスポーツのようなローターを象ったものであった。耳目を集めた世界で初めての「CCS」と呼ばれるGPSカーナビ(三菱電機と共同開発)を20Bエンジン車に標準搭載していた。また、高級クーペらしく内装にも相応の拘りがあり、イタリアで誂えたウッドパネルをインパネに装着していた。そのウッドパネルも全面に貼るようなことはせず、効果的に配しており、品よくまとめられていた。さらに、フルオートエアコンの操作は、カーナビディスプレイを兼ねるタッチパネルでのみ操作が可能という、当時としては珍しい方式であったが、以降各高級車を中心に普及する。なお、カーナビが標準装備されない場合は、普通の液晶付きフルオートエアコン操作パネルが付く。エンジンは13B-REWと20B-REWの2種が設定された。いずれもシーケンシャルツインターボである。これは、日本車としては初の採用であった。なお、20Bは3ローター車である。タイプはTYPE-ECCS・TYPE-E・TYPE-S(前期・中期型)・TYPE-SX(後期型のみ)。1996年まで生産された。プラットフォームはマツダ・JCプラットフォームを採用している。
マツダエンジニアの夢であったV12エンジン並の滑らかを持つ、と言われる3ローターエンジンである20Bは非常に高出力で、当初333馬力で設計されていたが、当時の通産省の行政指導により(後に2ローターである13B-REWも280馬力を達成する)、280馬力の自主規制枠内に収める事が必要でデチューンされ市販された。ターボへの排圧を低くし最高出力を抑える為13B に比べ排気ポートが狭く塞がれている。
エキセントリックシャフトや後部のローターの冷却性に難があった。シーケンシャルツインターボは、RX-7(FD3S型)に搭載されているそれとは相違し、プライマリー側とセカンダリー側で異なったサイズのタービンが採用されたが、これがエンジントラブルの原因のひとつとなっている。また1500回転以下では充分な圧縮が得られないロータリーエンジン特有の構造故、燃費は低回転のアイドリングではセルシオ(UCF10型)を上回る燃料消費だった為、渋滞の続く市街地ではリッターあたり1~3km台と非常に悪いものとなっている。20B-REW搭載車のマフラーは高回転域で経路が変更される可変排気機能が採用されており、4本のマフラーが回転により開口ポート数が変化した。外観では13B-REW搭載車のテールパイプが2本出しであるのに対し、20B-REW搭載車のそれは4本出しとなっており、容易に区別が付く。
ターボ過給された3ローターエンジンの大トルクに耐えられる、乗用車向けMT用クラッチが当時は開発されなかったため、AT車のみである。 複雑な負圧制御を行っておりバキュームチューブの更新が欠かせない。
税法上3ローター車は3500CC以下区分に該当する。 1991年には、ハードサスペンションやBBSのホイールを装着した特別仕様車、TYPE-SXが登場した。 当初の企画にはサンルーフが設定されており、電気系ヒューズにも専用回路が存在するが、先進的な液晶タイプのものを採用が予定されていたものの、ノイズ処理や耐久性などの問題をクリアできておらず、販売の低迷でコスモ自体の採算が見込めなくなったため、断念された。
[編集] 補足
[編集] 出典
[編集] 参考文献
- 『日本のショーカー1 1954~1969年』(二玄社) ISBN 4-544-91032-3
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| マツダ車種年表 1960年代~1980年代 1990年代以降 -> | ||||||||||||||||||||||||||||||
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| 種類 | 1960年代 | 1970年代 | 1980年代 | |||||||||||||||||||||||||||
| 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
| 軽乗用車 | キャロル360 | シャンテ | ||||||||||||||||||||||||||||
| コンパクト | キャロル600 | フェスティバ | ||||||||||||||||||||||||||||
| ファミリア | ファミリア | ファミリア | ファミリア | ファミリア/レーザー | ファミリア/レーザー | |||||||||||||||||||||||||
| グランドファミリア/サバンナ | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ミドル | カペラ | カペラ | カペラ | カペラ/テルスター | カペラ/テルスター | |||||||||||||||||||||||||
| ルーチェ | ルーチェ | ペルソナ | ||||||||||||||||||||||||||||
| ラージ | ルーチェ(レガート) | ルーチェ | ルーチェ | |||||||||||||||||||||||||||
| コスモ | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ロードペーサー | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ワゴン | サバンナスポーツワゴン | カペラカーゴ | ||||||||||||||||||||||||||||
| ミニバン | ボンゴワゴン | ボンゴワゴン/ボンゴブローニイワゴン/スペクトロン | ||||||||||||||||||||||||||||
| クーペ オープン |
R360クーペ | |||||||||||||||||||||||||||||
| ファミリアロータリークーペ | エチュード | |||||||||||||||||||||||||||||
| サバンナクーペ | カペラC2 | |||||||||||||||||||||||||||||
| ルーチェロータリークーペ | RX-7 | RX-7 | ||||||||||||||||||||||||||||
| コスモスポーツ | コスモAP/コスモL | コスモ | ||||||||||||||||||||||||||||
| 商用車 | ファミリア | ファミリアバン/トラック | ファミリアバン | ファミリアバン | ||||||||||||||||||||||||||
| グランドファミリアバン | カペラカーゴ | |||||||||||||||||||||||||||||
| ボンゴ | ボンゴ | ボンゴ | ||||||||||||||||||||||||||||
| ボンゴブローニイ | ||||||||||||||||||||||||||||||
| B360 | ポーター | |||||||||||||||||||||||||||||
| ポーターキャブ | ||||||||||||||||||||||||||||||
| タイタン | タイタン | タイタン | ||||||||||||||||||||||||||||
| 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |