ウェールズ

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ウェールズWales; Cymru/"k@mrI/,カムリ)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国イギリス)を構成する国のひとつである。ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡 東にはイングランド、西と北はアイリッシュ海が存在する。

Tywysogaeth Cymru
ウェールズ国旗
(詳細)
国のモットー "Cymru am Byth"
ウェールズ語, 「ウェールズよ、永遠なれ」)
公用語 英語 ウェールズ語
共通語 英語
首都 カーディフ
首相 ロードリ・モーガン
領域
 - 合計:
- 水面積率:
イギリス構成国中第3位
20,761 km2
xx%
人口
 - 合計 (1996年):
 - 人口密度:
イギリス構成国中第3位
2,921,100
141人/km2
通貨 UKポンド (£)
時間帯 UTC
国歌 Hen Wlad Fy Nhadau

(Land of My Fathers

我が父祖の土地)

目次

[編集] 歴史

詳細はウェールズの歴史を参照。

カーディフ城
カーディフ城

ウェールズのケルト系住民はローマ帝国の支配を受けたが、アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかった。イギリスのアーサー王伝説はアングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされる。中世にはケルト系小部族国家が群立し、やがてグウィネッズ、ポウィス、デヒューバースなどの地方王権が形成された。11世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなかった。実態としては、リズラン法典に従うマナー家臣団による統治であり、オックスフォード条項以降のコモンロー支配によって、事実上、ウェールズはイングランド王家に追従した。薔薇戦争クロムウェルによる独裁の際には、ウェールズはその政争の争奪の舞台になった。この点で、1536年の法律によってウェールズが保護されたことは、イングランドおよびウェールズの歴史を紐解く上で重要な画期になった。

しかし外来者に対しては頑強な抵抗を示し、1066年イングランドを征服したノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は、ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはならなかった。しかし、1282年ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗ったグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズエドワード1世 (イングランド王)に敗れ、イングランドの支配下に置かれた。エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えたが、ウェールズ人は決してイングランド人に同化されなかった。このような過程を経てウェールズはイングランド王国に征服されその統治を受けたが、このことが逆にウェールズ人の民族意識を強め、またこの地に殖民した異民族のほとんどがウェールズ人化されたという。なおかつ、ウェールズ人の長弓(ロングボウ)隊はイングランド王の軍勢の強力な戦力として名をはせ、後世のチューダー朝の家系に至っては、ウェールズ人のウェールズ大公の血統から出てイングランドの王家に収まり、さらにこの王朝の家臣団ではウェールズ人が重要な地位を占めた。政治的には勢力を失ったが、ウェールズ人としてのアイデンティティ21世紀になった現在でも非常に強いと言われている。

[編集] 政治

ウェールズは13世紀公国(Principality)を形成したが、ウェールズ公国は同じ世紀の末にイングランドに併合された。以来、次期イングランド王(後世にはグレートブリテン王)となるべき最年長の王子(王太子)が、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales, ウェールズ大公)として戴冠するのが慣わしとなっている。

1536年の合同法以来長らく、ウェールズは単一の国「イングランド王国」あるいはイングランド・ウェールズの一部として扱われ、連合王国の中でもスコットランド北アイルランドとは事情が異なった。イギリスの国旗にウェールズの国旗だけが含まれていないのはそういう事情がある。

1997年ウェールズ議会設置に関する住民投票が行われ、議会設置が決定した。1999年には、第1回議員選挙が行われた。定数は60名。限定的ではあるが、立法権も持つ。

[編集] 行政区画

ウェールズの地方行政は1996年4月1日以降、22の単一行政体(ユニタリー)に分かれており、その内訳は9州(county)、3市(city)*、10州区(county borough)† となる。行政体間の関係は対等であり、上下の関係はない。

括弧内はウェールズ語

  1. メイサー・ティビル (Merthyr Tudful) †
  2. ケアフィリー (Caerffili) †
  3. ブラエナウ・グエント
  4. トルヴァエン (Tor-faen) †
  5. モンマスシャー (Sir Fynwy)
  6. ニューポート (Casnewydd) *
  7. カーディフ (Caerdydd) *
  8. ベール・オブ・グラモーガン (Bro Morgannwg) †
  9. ブリジェンド (Pen-y-bont ar Ogwr) †
  10. ロンザ・カノン・タフ (Rhondda Cynon Tâf) †
  11. ニース・ポート・タルボット (Castell-nedd Port Talbot) †
  12. スウォンジ (Abertawe) *
  13. カーマーゼンシャー (Sir Gaerfyrddin)
  14. ケレディジョン (Sir Ceredigion)
  15. ポーイス
  16. レクサム (Wrecsam) †
  17. フリントシャー (Sir y Fflint)
  18. デンビーシャー (Sir Ddinbych)
  19. コンウィ
  20. グウィネズ
  21. アングルシー (Ynys Môn)
  22. ペンブルックシャー (Sir Benfro)

[編集] 交通

[編集] 道路

ウェールズの南部ではM4高速道路が海岸沿いにカーディフニューポートスウォンジなどの都市を繋ぎ、イングランドロンドンまで続いている。M4高速道路のセヴァーン橋から終点までのウェールズ側の部分はウェールズ議会(Welsh Assembly Government)の管轄である。同様に北部ではA55道路がホーリーヘッドバンガーコンウィなどを結んで海岸沿いにイングランドチェスターへと通じている。同じくホーリーヘッドからは古くアイルランドロンドンを結ぶ街道として作られたA5道路がバンガーから山間部を抜け、イングランドシュルーズベリーなどを経てロンドンへと向かっている。ウェールズの南北を結ぶ主要な道路としてはカーディフスランディドノを繋ぐA470道路がある。

[編集] 空港

カーディフ国際空港はウェールズで唯一の大規模な空港であり、カーディフの市街の中心から南東12マイルのベール・オブ・グラモーガンに位置する。イギリス国内およびヨーロッパのいくつかの都市を結んでいる。

[編集] 鉄道

ウェールズの鉄道はカーディフ中央駅をネットワークの中心として、国中に広がっている。ウェールズ議会が鉄道網の監督をしている。旅客鉄道会社としてはウェールズ全域を運行するアリーヴァ・トレインズ・ウェールズの他、ヴァージン・トレインズが北部からロンドンへ、ファースト・グレート・ウェスタンブリストルロンドン方面)、クロスカントリー・トレインズ(旧セントラル・トレインズの(カーディフ-バーミンガムノッティンガム)が南部に乗り入れている。

[編集] 経済

ウェールズは18世紀に工業が発達し、埋蔵されていた石炭粘板岩を産出した。19世紀後半から鉱業金属工学はウェールズの経済において主要なものになり、ウェールズの南部と東北の工業地域の景観と社会は変化した。その後、石炭から精油への「エネルギー革命」で石炭産業は衰退し、南部を中心に立地した各種重工業がウェールズ経済を支えた。

1970年代にウェールズは伝統的な重工業から軽工業あるいはサービス業へと大きく転換することになった。外国企業の誘致に成功したが、新しい産業の多くは本質的に分工場としての役割であり、流れ作業で熟練を必要としないものであった。ウェールズは人口などの経済的な絶対量は低く、またカーディフはイギリスの他の都市リーズマンチェスターブリストルや小国の首都であるダブリンコペンハーゲンヘルシンキなどよりも小さく、ウェールズには大都市と呼べる街が無い。にもかかわらず金融研究開発の分野を発展させ、付加価値の高い雇用を生み出した。

イギリスのほかの地域と比べて、ウェールズの人口当たりの経済的な成果は低い。2002年ではイギリス平均の80%、EU25カ国平均の90%であった。ただし、生活に必要なコストが地域によって異なることに注意が必要である。イギリスの地域と実際の生活水準の差は大きくない。

2002年のウェールズのGDPは260億ポンド(480億ドル)、一人当たり12,651ポンド(19,546ドル)である。2006年の時点で失業率は5.7%で、イギリス全体の平均より高いがEUの平均よりは低い値である。

ウェールズの大部分の土壌は貧しく耕作には適さないため、農業の中心は伝統的に牧畜である。独特な文化と同様にウェールズの景観は多くの観光客を惹きつけている。観光は田園地域の経済において特に重要な位置づけであり、3箇所が国立公園として保護されている。

[編集] 教育

詳細はイギリスの教育を参照。

[編集] 文化

ウェールズはケルト文化の伝統を残している。その一つであるといわれる赤い竜は、ウェールズのシンボルとなり、ウェールズの国旗イギリスの国旗には含まれていない)にもなっている。スポーツなどでは、その国民性、民族性を示す「ドラゴン=ハート(精神)の国」として知られている。

[編集] スポーツ

詳細はウェールズのスポーツを参照。

ウェールズで最も人気のあるスポーツはサッカーラグビーである。イギリスを構成する4つの国はFIFAワールドカップラグビー・ワールドカップコモンウェルスゲームズのような世界大会には各自の代表が参加している。しかし、オリンピックにはイギリスとして参加している。北部ではサッカーの方が好まれるが、ウェールズにおいてラグビーは国としてのアイデンティティーの一部である。ラグビーはウェールズラグビー協会、サッカーは世界で3番目に古いウェールズサッカー協会が管轄している。

ラグビーウェールズ代表として参加する大会として、シックス・ネイションズラグビー・ワールドカップがある。クラブチームはアイルランドスコットランドのチームと併せて行うリーグ戦のケルティックリーグと、EDFエナジーカップ、ヨーロッパのハイネケンカップの試合がある。

ウェールズにはスヌーカーの世界クラスのプレイヤー、テリー・グリフィスマーク・ウィリアムズマシュー・スティーブンスがいる。スヌーカーのアマチュア選手のレベルも高い。また、でこぼこしている地形がラリー走行に向いており、世界ラリー選手権の最終戦の開催地でもある。アイスホッケーカーディフ・デビルズはかつてイギリス全体で活躍した。ボクシングではスーパーミドル級WBA/WBC/WBO世界チャンピオン、ジョー・カルザゲはウェールズとイタリアのハーフである。エンゾ・マカリネリクルーザー級WBO/WBU世界チャンピオンである。

F1では二人のドライバーを輩出している。一人は1967年のイギリスグランプリで1位のジム・クラークに4周遅れの9位に入ったアラン・リーズ。もう一人は1974年から1977年の間に3位に2度、ポールポジションを1度獲得したトム・プライスである。世界ラリー選手権では、1996年のドライバーズチャンピオンであるコリン・マクレーコ・ドライバーを勤めたニッキー・グリストと、2003年のドライバーズチャンピオンであるペター・ソルベルグのコ・ドライバーを勤めたフィル・ミルズがいる。

[編集] 音楽

ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズシャルロット・チャーチメリー・ホプキンキャサリン・ジェンキンスアレッド・ジョーンズボニー・タイラーなどのソロミュージシャンが有名である。

バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズステレオフォニックスフィーダースーパー・ファーリー・アニマルズロストプロフェッツフューネラル・フォー・ア・フレンドなどが有名である。

ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭アイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。

[編集] 自然

森林や湖、丘陵、海岸などの豊かな自然が残っている。面積の約20パーセントが国立公園に指定されている。

[編集] 著名人

:Category:ウェールズの人物も参照。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
その他