龍ノ口法難

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龍ノ口法難(たつのくちほうなん、龍ノ口の法難)は、『立正安国論』を著して鎌倉幕府に呈上した日蓮を捕らえ、龍ノ口刑場で斬首しようとした事件。日蓮四大法難の一つ。

概要[編集]

文永8年9月12日(ユリウス暦1271年10月17日)、鎌倉幕府は、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行、翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしたが、(「種々御振舞御書」によると)江ノ島方より光の玉がやってきて、光の衝撃で振り下ろした刀が折れ、首を刎ねることができなかったという。 刑場跡地には、現在、寂光山龍口寺が存在している。

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関連項目[編集]