黒塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
黒塚古墳
Kuroduka kofun01s3872.jpg
黒塚古墳
位置 北緯34度33分35.73秒
東経135度50分35.21秒
所在地 奈良県天理市柳本町
形状 前方後円墳
規模 全長130m、高さ11m
築造年代 3世紀末~4世紀前半
出土品 三角縁神獣鏡など
史跡指定 平成13年(2001年)国指定
テンプレートを表示
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成昭和54年度撮影画像)
周濠に架かる橋

黒塚古墳(くろつかこふん、くろづかこふん)は、奈良県天理市柳本町にある前期(3世紀末頃)前方後円墳。33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名。

概要[編集]

本古墳は、奈良盆地の東南部に位置する大和古墳群に属し、台地の縁辺部に立地している。最初に発掘調査が行われたのは1961年(昭和36年)の事前調査であり、後世に城郭として利用されたことがこの時分かった。また、1989年(平成元年)、周囲の池の護岸工事の事前調査が行われている。1997年(平成9年)から翌年にかけて学術調査が奈良県立橿原考古学研究所によって行われ、規模と墳形が明らかになった。

墳形・形状[編集]

全長約130メートルの前方後円墳で、後円部径約72メートル、高さ約11メートル、前方部長さ約48メートル、高さや6メートル、後円部3段、前方部2段で前方部と後円部の落差が大きい。前方部正面にわずかな弧状のふくらみが見られ撥形であることが分かる。これらは、前期古墳の特徴である。周濠を持っている。葺石埴輪は確認されていない。

発掘調査とその後[編集]

1997年平成9年)から翌年にかけて奈良県立橿原考古学研究所が行った第3次発掘調査で、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見された。

棺内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡と両側に1・1をおき、棺外に東壁側15面、西壁側17面の三角縁神獣鏡を内側に向けて木棺と壁のわずかな間に立てられていた。三角縁神獣鏡のこの扱いにより、この鏡が葬式用に作成されたもので価値のあるものでは無い(つまり小林行雄による大和政権の配布説を否定)との見解を補強したとの解釈もある。鏡の他に刀剣類や鉄鏃・小札(こざね)・用途不明の鉄製品などが配置してあった。玉類や腕装飾品類は出ていない。

後円部の埋葬施設は竪穴式石室で、内法長約8.3メートル、北小口幅0.9メートル、高さ約1.7メートルで、二上山麓の春日山芝山の板石を持ち送りに積んで合掌造状の天井を作り出している。石室内では、粘土棺床が設けられ、断面半円形の全長1メートル以上の刳抜式木が納められている。木棺には中央部の長さ2.8メートルの範囲のみ水銀を施し、両端はベンガラ赤色で塗られていた模様である。水銀朱のところに安置されていたものと考えられている。なおこの縦穴石室は、ほぼ真北を向いており、被葬者の頭も真北に向けられていたことは推定できる。この真北は単なる偶然ではなく、ヤマト王権の中に被葬者の頭を真北に向けて埋葬する風習があったらしいと考えられている。


古墳は天理市によって整備が行われ、柳本公園となっているほか、古墳に隣接して竪穴式石室の実物大模型などを展示する「天理市立黒塚古墳展示館」が設けられている。平成13年(2001年1月29日国の史跡に指定された。

戦国時代には古墳に柳本城を築城、江戸時代織田家が城跡に柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁とした。

周辺情報[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]