麗々亭柳橋 (3代目)

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三代目 麗々亭れいれいてい 柳橋りゅうきょう/初代 春錦亭しゅんきんてい 柳桜りゅうおう
本名 斉藤 文吉
生年月日 1818年3月24日
没年月日 (1884-06-08) 1884年6月8日(66歳没)
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代瀧川鯉かん
二代目麗々亭柳橋
名跡 1. 瀧川鯉之助
(1842年 - ?)
2. 昔々亭桃流
(時期不明)
3. 初代麗々亭鯉橋
(? - 1851年)
4. 三代目麗々亭柳橋
(1851年 - 1878年)
5. 麗々亭柳叟
(1878年 - 1883年)
6. 初代春錦亭柳桜
(1883年 - 1894年)
活動期間 1842年 - 1894年
家族 四代目麗々亭柳橋(長男)
二代目桃川如燕(次男)
五代目麗々亭柳橋(三男)
所属 柳派
落語睦連(1875年 - 1894年)

三代目麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、1826年3月24日 - 1894年6月8日)は、落語家である。本名∶斉藤 文吉柳派に所属。実の長男は落語家四代目麗々亭柳橋、次男は講談二代目桃川如燕、三男は落語家五代目麗々亭柳橋という芸人一家。

経歴[編集]

16歳で初代瀧川鯉かんに入門しは瀧川鯉之助その後、二代目麗々亭柳橋の門で昔々亭桃流、さらに二ツ目で初代麗々亭鯉橋を経て1851年三代目麗々亭柳橋襲名。

1875年初代三遊亭圓朝六代目桂文治などと共に「落語睦連」を結成し頭取に就任。

1878年6月に柳橋の名を長男に譲り自身を柳叟りゅうそうとしさらに晩年の1883年には高座に上がらず初代春錦亭柳桜と改名し隠居生活に入り、弟子に稽古をつけた。

芸風[編集]

人情噺(「白子屋政談」)や音曲噺を得意とした。

河竹黙阿弥の名作「梅雨小袖昔八丈髪結新三)」の原作「仇娘好八丈」の作者。

弟子[編集]

出典[編集]