鴨長明
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鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。
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経歴[編集]
賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している[1]。
逸話[編集]
琴や琵琶などの管絃の名手であり、『十訓抄』には「念仏のひまひまには糸竹のすさみを思ひすてざりけるこそ、すきのほどいとやさしけれ(=経を読む合間にも琴や琵琶を演奏することをやめなかったのは、風流であり優美である)」と書かれている。また、長明が出家し遁世したきっかけとなったのも、『文机談』には琵琶の師の亡くなったあとに、演奏することを許されていない曲を演奏したことが知られてしまったためとある。