大鳴門橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鳴門大橋 から転送)
国道28号標識
路線規格
路線名 国道28号神戸淡路鳴門自動車道
道路区分 第1種第2級
車線数 暫定4車線(設計上は6車線)
設計速度 100km/h
鳴門山から見た大鳴門橋。(2007年10月)
上空から見た橋。(2007年3月)
橋脚。渦潮への影響を最小限に抑えるためにユニークな多柱基礎構造を採用した。
橋の下層。将来的に新幹線が通せる構造になっている。
夜景

大鳴門橋(おおなるときょう)は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡両端を結ぶ吊り橋である。1985年6月8日に開通。

本州四国連絡高速道路が管理しており、本州と四国を結ぶ三つの本四架橋ルートの一つである神戸淡路鳴門自動車道として供用され、四国地方と近畿地方の交通の要になっている。

目次

[編集] 概要

橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)、下部は将来的に鉄道四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。ただし、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので、神戸からの鉄道が明石海峡大橋を経由して大鳴門橋に通じる可能性は消滅している。

取り付け道路が6車線分の半断面を使用して暫定4車線としているため、最高速度が70Km/hに制限されている(車線幅が一般道路並であるので、開通当初は60Km/hであった)。 地形上風が強く、速度規制(通常時70km/h、規制時40km/h)がよく行われる区間でもある。

淡路島南IC鳴門北IC間のキロ当たりの通行料金は普通車で約161.97円となっている。

淡路島 - 鳴門間はフェリー航路(日本初のフェリーであった)が廃止されたため、この橋以外に渡航ルートが無く、原動機付自転車小型自動二輪車ミニカーで淡路島 - 四国間を行き来することができない。歩行者については、淡路・徳島線鳴門・淡路エクスプレス号などのバスを使わなければならない。また、軽車両については、一部の路線・区間のみに限られるが輪行袋に詰めた自転車のみバスに積み込むことが可能である。

鳴門の渦潮と共にこの橋は徳島の代表的な建築物として県民から愛されていることには変わりがなく、地元ローカル番組のおはようとくしまではほぼ毎日この橋が映し出されている。

[編集] 鉄道部分の利用

先述のように、橋桁下部空間は鉄道を敷設しうる構造として建設されたが、明石海峡大橋は鉄道を通さない構造で建設されたため、明石海峡大橋を経由しての鉄道路線の可能性は消滅している。

代わりに、紀淡海峡に鉄道を通して和歌山から鳴門に至る[1]、もしくは明石海峡に鉄道トンネルを掘削することで、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられているものの、2000年4月、徳島県では橋の鉄道予定空間を利用して、鳴門の渦潮の見学施設である渦の道を建設。鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている。

鉄道建設・運輸施設整備支援機構は2007年度まで明石海峡にトンネルを掘るための地質調査を続けてきた[2]が、予算の有効利用の観点から見直しの議論が起き、2008年度は予算を執行していない。

大鳴門橋に新幹線を通すことについては以下の問題がある(「鉄道ファン」より)[要出典]

  • 瀬戸大橋でも発生した問題として、走行音の騒音問題がある。
  • また、吊り橋で高速走行を行うと、不安定になり脱線の危険もある。実際、瀬戸大橋に新幹線を通す場合の設計最高速度は160km/hとなっている。
  • 周囲が開けて風が通りやすい海上であり、強風にさらされやすい事から運休率も高くなると見られている。

また、着工後に、四国新幹線建設の見通しが不明確なことと建設費の圧縮を理由として、一度に1列車しか橋上を通過できない「単線載荷」への設計変更が1980年になされているため、仮に鉄道が敷設されても大鳴門橋の区間は実質的に単線運行となる。(参考:参議院建設委員会議事録1981年6月2日

[編集] 経緯

明石海峡と鳴門海峡に架橋し、淡路島を経由して鉄道で本州と四国を直結する構想は古くから存在しており[3]、 1953年には鉄道敷設法別表に二つの架橋区間が追加されている。その後、1969年の新全国総合開発計画での記載を経て1973年には大鳴門橋を含む本州四国連絡橋の工事基本計画が運輸大臣より指示され、3ルート同時着工がいったん決まったものの、その直後に起きたオイルショックに伴う総需要抑制政策の一環として工事は凍結されることになった。

1975年に、生活橋として最初に着工された大三島橋に続き、1976年に着工された。上記の通り元来は鉄道橋として構想されたものであったが、1973年の基本計画で鉄道道路併用橋とされた。1975年に着工が決定した際には「従来の方針で諸般の準備を進める」とされ、その規格によって建設されている。

  • 1970年昭和45年)7月 - 本州四国連絡橋公団設立。
  • 1973年(昭和48年)9月 - 本州四国連絡橋の工事に関する基本計画指示。
  • 1973年(昭和48年)11月20日 - 建設大臣より着工延期の指示が各自治体に出される。
  • 1975年(昭和50年)8月18日 - 関係省庁決定により、児島・坂出ルート(瀬戸大橋)以外で工事凍結を解除する橋の一つに選ばれる。
  • 1976年(昭和51年)7月2日 - 起工式が行われる。
  • 1977年(昭和52年)12月 - 橋脚の掘削作業開始。
  • 1979年(昭和54年)11月 - 鳴門側橋台アンカーフレーム立柱式。
  • 1980年(昭和55年)7月 - 鳴門側主塔立柱式。
  • 1981年(昭和56年)3月 - 淡路側主塔閉合式。
  • 1981年(昭和56年)6月 - ケーブル架設工事の安全祈願祭が行われる。
  • 1981年(昭和56年)8月 - パイロットロープ渡海。
  • 1982年(昭和57年)6月 - 主ケーブルの張り渡し作業が完了。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 橋げた工事開始。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 橋げたがドッキング。
  • 1985年(昭和60年)4月 - 大鳴門橋架橋記念館「エディ」が会館。
  • 1985年(昭和60年)5月 - 85鳴門ピア・ウォークで17200人が大鳴門橋上を歩いて渡る。
  • 1985年(昭和60年)6月8日 - 大鳴門橋が開通、開通祝賀式が行われる。
  • 1985年(昭和60年)9月 - 開通からの総通行台数が100万台を突破。
  • 2000年平成12年)4月 - 鉄道空間を利用した施設「徳島県立渦の道」がオープン。
  • 2005年(平成17年)6月 - 開通20周年記念「大鳴門橋管理路ウォーク」が開催される。

[編集] 利用状況

[編集] 通行台数

大鳴門橋の2004年度の年間通行台数は約6,827,500台、1日当りの平均通行台数は18,705台(2004年度)となっている。これは本四3ルートの各橋の中では明石海峡大橋に次いで2番目に多い通行台数である。ちなみに橋の開通した1985年の1日当りの平均通行台数は7,853台だった。神戸淡路鳴門自動車道の全通、高松自動車道の鳴門延伸などで通行量は今もなお増え続けているが、本州四国連絡高速道路が当初予測した通行量の78%に留っており、今後の四国横断自動車道の南進に期待が寄せられているところである。徳島県知事の飯泉嘉門も、現状では県内の高速道路と直結していないため本四架橋の恩恵はほとんど受けていないという見解を明らかにしている。参考外部リンク

[編集] 利用目的

主には本州 - 四国間を移動するための利用が大半であるが、淡路島南部(南あわじ市洲本市)から徳島市鳴門市へ買い物や通院等に行くため、徳島県から淡路島へ観光等に行くためにも少なからず利用されている。また、大阪方面から高速バスも多く運転されている。

[編集] 脚注

  1. ^ 太平洋新国土軸構想の一環として関係県などが推進活動を行っている[1][2]
  2. ^ 機構による予算執行公示文書の例:平成17年度鉄道建設本部大阪支社における発注の見通しの公表について
  3. ^ 高知新聞連載企画「結ぶ」第2部11回1999年

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ