鳥海巌

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鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年 - 2014年1月10日)は日本の実業家丸紅社長・会長や東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事、日本貿易会副会長等を務めた。旭日重光章ベネズエラ共和国オルデン・デ・リベルタドール勲章コメンダドール位、藍綬褒章受章。

人物[編集]

千葉県出身。千葉県立千葉高等学校一橋大学商学部卒業。1956年丸紅飯田入社。

物資畑を歩み、軽工品部、物資部、ジャカルタ支店などで勤務。1986年取締役大阪物資本部長、1988年取締役丸紅米国副社長(ニューヨーク)、1989年常務取締役丸紅米国社長兼北米支配人(ニューヨーク)、1990年専務取締役、1991年副社長を経て、1992年丸紅株式会社代表取締役社長、1999年丸紅株式会社代表取締役会長、2001年取締役会長、2002年相談役、2003年相談役退任、理事。

1970年代のジャカルタ支店時代に大きな案件をものにし、現地での丸紅の存在感を高めた[1]

1994年にポリープの見つかったの全面摘出手術のため入院[2]

社長時代にはインドネシアの石油化学プラント、チャンドラ・アスリへの参画を決定[3]。1993年には取締役会政治献金廃止を決定[4]。また組織改革、総人員の抑制、不動産事業の見直、不良資産の圧縮など、バブル崩壊の対策にもあたった[5]

1999年経済同友会副代表幹事、総理府対外経済協力審議会委員就任[6]。また行政改革推進本部輸入促進・市場アクセス改善・流通作業部会専門員、規制緩和検討委員会専門委員等も務めた[7]

大学同期の石原慎太郎東京都知事高原須美子経済企画庁長官高橋宏首都大学東京理事長と親しく、4家族で毎年旅行にいく仲であった[8]

1999年から2007年まで東京都教育委員会委員[9]。委員長職務代理者。東京都名誉都民選考委員会座長。 東京都教育委員会の教育施策連絡会では、都教委の指針に反して日の丸・君が代の強制に従わない教員を、癌細胞に例えて完全に排除するべきと発言した[10]

2002年に東京都の外郭団体で、東京国際フォーラムの運営を行っていた東京国際交流財団の経営顧問に就任。株式会社化に向けた準備にあたる[11]。2003年、JR東日本三菱地所サントリー電通東京電力NTT東日本東京ガスの7社による第三者割当増資により、完全民営化して誕生した株式会社東京国際フォーラムの代表取締役社長に就任。稼働率8割、黒字化を達成[12]。2006年東京都交響楽団理事長就任。東京商工会議所常任顧問、内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付参事官補佐、財団法人広島大学後援会理事、日本ミャンマー経済委員会委員長、経済同友会顧問。

2004年から2007年まで株式会社新銀行東京取締役[13]

2006年旭日重光章受章。

早寝早起きがモットーで、社長になるまでは千葉県鎌ヶ谷市の自宅から総武線で電車通勤していた[14]

2014年1月10日、東京都内の病院で死去した[15]。80歳没[15]

脚注[編集]

  1. ^ 2006/04/29, 日本経済新聞、2001/11/09, 日経産業新聞
  2. ^ 1995/04/13, 日本経済新聞
  3. ^ 2001/11/09, 日経産業新聞
  4. ^ 1996/11/14, 日経産業新聞
  5. ^ 2006/04/29, 日本経済新聞、1998/12/25, 日本経済新聞 
  6. ^ 1999/03/16, 日本経済新聞
  7. ^ 1996/11/14, 日経産業新聞
  8. ^ 1999/05/31, 日本経済新聞
  9. ^ 1999/09/01, 日経産業新聞
  10. ^ 奥村隆 (2004年4月9日). “卒業式・入学式の「日の丸・君が代」実施指針徹底を強調 一部の都教育委員 処分の正当性も”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 22. "企業の改革でも、わずかの少数派はあくまでも反対。これは徹底的につぶさないと禍根が残る。特に半世紀巣食ってきているガンだから、痕跡を残しておくわけにはいかない。必ずこれは増殖する" 
  11. ^ 2002/05/18, 日本経済新聞 
  12. ^ 2003/05/24, 日本経済新聞
  13. ^ 2004/06/29, 日本経済新聞、2007/06/02, 日本経済新聞
  14. ^ 1992/07/24, 日本経済新聞
  15. ^ a b “鳥海巌氏が死去 元丸紅社長”. 日本経済新聞. (2014年1月16日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1603Z_W4A110C1000000/ 2014年1月16日閲覧。