鬼崎裕司

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鬼﨑 裕司
埼玉西武ライオンズ #4
20120310 Yuhji Onizaki ,infielder of the Saitama Seibu Lions, at Seibu Dome.JPG
2012年3月10日、西武ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 1983年4月7日(31歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2008年4月5日
年俸 2,700万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手内野手)。

市民球団かずさマジックに1期生として在籍した鬼崎智史は3歳年上の実兄。

経歴[編集]

高校・大学時代[編集]

1990年兄の影響を受けて[要出典]。野球を始める。1999年佐賀県立佐賀工業高等学校へ進学し、遊撃手に転向。高校時代は甲子園出場はなかった。2002年関東学院大学経済学部へ進学すると、春からベンチ入り。秋からレギュラーをつかんだ。

2003年の全日本大学野球選手権大会に出場するなど大舞台の経験を積むと、2005年には春季リーグでMVPを獲得し、巧守のドラフト候補として名前が挙がった。しかしこの時点では指名されず、富士重工業へ入社した。

富士重工業時代[編集]

夏には1番・遊撃手のレギュラーを獲得。第77回都市対抗野球大会1回戦(対日産自動車戦)では敗戦したものの2安打を放つ。そして秋の第33回社会人野球日本選手権大会では全試合で1番・遊撃手としてチームの16年ぶり2度目の優勝に貢献、大会優秀選手(遊撃手部門)を獲得した。

2007年、2年続けて第78回都市対抗野球大会、第34回社会人野球日本選手権大会に出場した。同年11月19日のドラフト会議において、東京ヤクルトスワローズから3巡目で指名され、推定契約金7000万円・年俸1200万円で契約し、入団。背番号は46

ヤクルト時代[編集]

ヤクルト時代(2010年4月3日、明治神宮野球場)

2008年はオープン戦で結果を残すことができず、2月25日に早々と降格が決定。結局開幕一軍入りは果たせなかったが、教育リーグを経て4月4日に川島慶三と入れ替えで、初めて昇格した。4月5日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)でプロ初出場。9月27日に開幕したハワイ・ウィンターリーグでは高井雄平とともに派遣され、ワイキキ・ビーチボーイズに所属した。

2009年も開幕を二軍で迎え、ファームでも打率.241・3本塁打・37打点に終わったが、9月19日に昇格。23日に初先発出場すると、プロ初安打と初打点を含む4打数3安打2打点の活躍でヒーローインタビューを受けた。その後も起用され、最終的に15試合の出場ながら打率.356・2本塁打・8打点で、球団初のクライマックス・シリーズ出場に貢献した。同年10月3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)プロ初本塁打を放った・

2010年は開幕一軍入りを果たす[1]。4月3日の対横浜戦で一軍で初めて三塁手としての出場。出場試合数、打席数ともヤクルト在籍時では最多だった。オフの2011年1月23日に入籍した[2]

2011年5月24日小野寺力との交換トレードで埼玉西武ライオンズへ移籍することが発表された[3]。背番号は56[4]

西武時代[編集]

8月4日の対楽天戦で移籍後初出場。西武での出場は2試合で終わる。

2012年、開幕一軍入りを果たす[5]。4月8日の対ソフトバンク戦で一軍で初めて二塁の守備についた[2]。9月22日の対日本ハム戦、1点差を追う8回に無死一二塁でホセ・オーティズの代打で登場し、2ストライクと追い込まれた状況で送りバントを決め、その後チームが逆転したということから移籍後初のお立ち台に上がり、試合後に「根性でバントした」と話した[6]

2013年、チームの遊撃手として開幕戦以降数試合は二年目の永江恭平が、その後4,5月は主に新人の金子侑司が先発出場を重ねたが、自身は主に7月からシーズン終了まで先発出場を重ね、最終的に自己最多の105試合に出場した。オフに背番号が4に変更された[7]

2014年4月5日の対オリックス戦で一軍では初めて一塁手としての出場。同月9日のソフトバンク戦で右すねに自打球を当て打撲し11日登録を抹消されると[8]、8月22日まで一軍での出場が無かった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2008 ヤクルト 3 4 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2009 15 50 45 5 16 2 0 2 24 8 0 0 1 0 4 2 0 3 0 .356 .408 .533 .941
2010 60 96 87 9 17 3 0 1 23 5 0 1 3 0 5 0 0 25 0 .195 .239 .264 .503
2011 8 10 9 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .000 .100 .000 .100
西武 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
'11計 10 13 12 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .000 .071 .000 .071
2012 56 22 17 4 2 0 1 0 4 0 0 0 3 0 2 0 0 4 0 .118 .211 .235 .446
2013 105 301 271 29 72 7 3 2 91 24 6 2 13 2 12 0 3 73 4 .266 .302 .336 .638
2014 37 96 85 10 19 5 0 0 24 5 1 0 3 0 8 0 0 29 1 .224 .290 .282 .573
通算:7年 287 582 521 60 126 17 4 5 166 42 7 3 23 2 32 2 3 143 5 .242 .289 .319 .608
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 - - - 2 2 1 0 0 1.000
2009 - - - 14 24 58 2 6 .976
2010 - - 2 0 2 0 0 1.000 53 32 81 5 15 .958
2011 - - 5 0 0 0 0 1.000 4 1 8 2 2 .818
2012 - 30 20 23 1 4 .977 12 1 5 0 1 1.000 11 2 8 1 1 .909
2013 - 38 33 39 1 8 .986 20 6 7 0 0 1.000 84 99 195 2 41 .993
2014 4 29 1 0 3 1.000 1 0 2 0 0 1.000 2 2 1 0 0 1.000 34 53 74 2 20 .984
通算 4 29 1 0 3 1.000 69 53 64 2 12 .983 41 9 15 0 1 1.000 202 213 425 14 85 .979
  • 2014年度シーズン終了時


記録[編集]

背番号[編集]

  • 46 (2008年 - 2011年5月23日)
  • 56 (2011年5月25日 - 2013年)[9]
  • 4 (2014年 - )

脚注[編集]

  1. ^ [1] スポニチ Sponichi Annex
  2. ^ 鬼崎選手、入籍! 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  3. ^ トレードのお知らせ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  4. ^ 江草仁貴投手、鬼崎裕司選手入団会見 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  5. ^ 2012年 開幕登録選手発表! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  6. ^ いまだノーヒット男がお立ち台!西武 4点差逆転0・5差 スポニチ Sponichi Annex 2012年9月23日掲載
  7. ^ 来季背番号変更のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  8. ^ 西武 鬼崎が登録外れる スポニチ Sponichi Annex 2014年4月11日掲載
  9. ^ この56は、5月24日に阪神へのトレードが発表された黒瀬春樹が付けていた背番号だが、鬼崎の西武支配下選手登録公示が5月24日(同日、ヤクルト支配下選手登録抹消も公示)であるのに対し、黒瀬の西武支配下選手登録抹消公示はその翌日の5月25日(同日、阪神支配下選手登録も公示)である。このため、5月24日時点での背番号56は黒瀬と鬼崎で重複している状態となった。西武での鬼崎の背番号が発表されたのは5月25日だが、実際にどのような扱いとなっていたのかは不明である。

関連項目[編集]