高賀神社

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高賀神社
Kouka jinja2009-1.jpg
所在地 岐阜県関市洞戸高賀
位置 北緯35度39分1.35秒
東経136度51分14.25秒
主祭神 天之御中主尊ほか23柱(本文参照)
社格 郷社
創建 養老年間
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高賀神社(こうかじんじゃ)は、岐阜県関市(旧洞戸村)にある神社である。別名、高賀山大本神宮。標高1,224mの高賀山の山麓にあり、高賀山を囲む高賀六社の一社。旧社格は郷社。

平安時代から室町時代にかけて、白山信仰の影響を受け、本地垂迹説により十一面観音(白山比咩神)、大日如来を本地仏として信仰された。さらには、牛頭天王信仰、虚空蔵菩薩信仰がされていた。

目次

[編集] 祭神

23柱を祀る。


[編集] 歴史

社伝によれば、創建は奈良時代養老年間という(養老元年という説もある)。言い伝えによれば、霊亀年間、高賀の地には光を放つ魔物住み着いたという。これを聞いた朝廷は使者を派遣し、この山の麓に21柱の神々をまつり、退魔の祈祷を行なったという。すると魔物は姿を消したという。その後、この山は「秀でて高き故まためでたい」という意味で「高賀山」、神社を「高賀山大本神宮大行事神社」と名付けたという。

平安時代天暦年間、この地に妖怪さるとらへびが住み付き、村人に危害を加えているのを聞いた朝廷は、藤原高光をこの地に遣わせ、妖怪を退治したという。この時、高賀山大本神宮大行事神社を再建し、七昼夜妖怪退治の祈願をしたという。その後、高賀山麓の六ヶ所に神社(高賀六社)を建立したとされている。この妖怪退治は承平3年の説もあるが、藤原高光の生誕年との矛盾があり、疑問視されている。

詳しい時期は不明であるが、鎌倉時代以前、高賀神社の境内に蓮華峯寺が建立される。高賀神社と蓮華峯寺を合わせて、「西高賀山 蓮華峯寺」と称していたという。

1517年永正14年)、火災により焼失するが、江戸時代に再建される。

1869年明治2年)、神仏分離令による廃仏毀釈の影響で蓮華峯寺は廃寺となる。僧侶の手で一部の仏像は持ち出され、高賀神社から約1.5km離れた観音堂に納められる。これが現在の蓮華峯寺である。

[編集] 高賀六社

高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む6つの神社。かつては六社めぐりという、この六つの社を尾根伝いに一日で歩いて巡る苦行が存在した。

[編集] 円空のゆかりの地

江戸時代前期の天台宗僧侶、円空は全国行脚の中で、数回、高賀神社を訪れ修業を行なっているという。確実なのは1671年寛文11年)、1684年貞享元年)、1692年元禄5年)の3回である。円空はまた、最晩年をこの地で過ごしたと伝えられ、円空仏の最後の作と言われている歓喜天像ほか、多数の仏像が高賀神社に奉納されている(後述)。

[編集] 文化財

[編集] 円空仏

円空が晩年すごしたのが地であることから、高賀神社は円空仏を多数所蔵しており、高賀神社伝来円空作仏像群として岐阜県指定文化財となっている。大半は1995年(平成7年)に開館した洞戸円空記念館に保管されている。

[編集] 円空仏以外

高賀信仰資料として、岐阜県指定文化財に一括指定されている。宝物館(所蔵庫)に保管されている。

[編集] 交通機関

[編集] 参考文献

  • 岐阜県博物館、1982、『高賀山の信仰 - 鬼と行者と円空と』、岐阜県博物館資料刊行会(特別展図録)
  • 洞戸村史編集委員会編集、1988-1997、『洞戸村史』、洞戸村

[編集] 雑記

  • シドニーオリンピックの女子マラソンにおいて、金メダルに輝いた高橋尚子選手が給水に利用した「高賀の森水」は、高賀神社の宮水である「ふくべの霊水」である。ふくべの霊水とは1996年平成8年)、高賀神社参道わきに掘られた井戸の水であり、その水を商品化したものが高賀の森水である。

[編集] 外部リンク

  • 岐阜県博物館公式サイト - トップページから「岐阜県の地域情報」をたどり、「高賀神社」をキーワードに検索すると、解説つき写真を閲覧できる。
  • 高賀癒しの郷 - NPO法人洞戸村ふるさと塾による、高賀地域の自然・文化・歴史の解説と写真。
  • 洞戸エリア - 関市の観光情報。円空仏のデジタルアーカイブあり。
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