高田城址公園

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高田城址公園
高田公園(当時の名称)と関川(1975年度撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
分類 都市公園(総合公園)
所在地
面積 48.1 ha
前身 高田公園
運営者 上越市
駐車場 約530台
備考 2020年4月1日に高田公園から名称を変更。
公式サイト 高田城址公園
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高田城址公園(たかだじょうしこうえん)は、新潟県上越市本城町にある都市公園(総合公園)[1]2020年4月1日に名称を高田公園(たかだこうえん)から改称した[2][3][4]

歴史[編集]

越後高田城三重櫓

現在の高田公園一帯は、高田城の建築と関川の流れを変え、青田川や儀明川を改修して築いた土塁などの構築物からなる遺構である。はじまりは、徳川家康の六男の松平忠輝福島城を廃し、現在の高田公園に高田城を建築した事にはじまる。忠輝の妻いろは姫は仙台伊達政宗」の娘、政宗は家康に築城奉行に任じられこの城下を構築した。2014年に高田開府400年を迎えた[3]

高田城址公園の桜[編集]

高田城址公園観桜会のライトアップ
西堀

1909年(明治42年)、第13師団の入城を祝い、在郷軍人団が城跡に2,200本のを植樹したのがそのはじまり。現在桜は約4,000本。3,000個のボンボリに照らし出された桜がお堀の水面に映るさまは「日本三大夜桜」の一つにも数えられ、日本さくら名所100選に選定されている。 2012年CNNの選ぶ世界5大花の名所として選出された[5]

高田城址公園の蓮[編集]

明治初期、戊辰戦争凶作で悪化した高田藩の財政再建や士族授産のために地元の大地主・保阪貞吉が私財を投じて外堀にを植えさせ、蓮根栽培事業が始められた[6]。その後、蓮根栽培は1962年(昭和37年)で中絶したが[7]、開花時期には毎年「上越蓮まつり」が開催されている。また、蓮研究の第一人者である東京大学農学部教授の大賀一郎が昭和28年に調査に訪れた際に、繁殖域の大きさ、育成の状況を「蓮池の規模の大きいことは世界でもまれで、特に紅白入り交じっているのは珍しい」と激賞した。それを聞いた高田市民が“東洋一”と語り伝えて現在に至る[8]

そのため、花が咲く時期には多くの見物客やカメラマンが訪れる。

園内施設[編集]

上越市立高田図書館

アクセス[編集]

徒歩
バス利用[9]
  • 高田駅より
    • 高田駅前案内所からくびき野バス 41 宮口線(牧小学校前行、宇津の俣行または深山荘行)に乗車、「高田城址公園」下車、徒歩5分
  • 直江津駅より
    • 直江津駅前から頸城自動車 2 上越大通り線(中央病院行)、5 教育大学線(中央病院行または悠久の里前行)または7 春日山・佐内線(中央病院行または悠久の里前行)に乗車、「高田城址公園」下車、徒歩5分
自家用車利用

脚注[編集]

  1. ^ 上越市内の都市公園一覧表(上越市)
  2. ^ 高田城址公園への名称変更 上越市
  3. ^ a b “上越市、検討を本格化 「高田城址公園」に変更へ”. 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ(新潟日報). (2019年10月2日). https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000021588 2020年4月19日閲覧。 
  4. ^ “オーレンプラザなど5施設も名称変更 4月1日から「高田城址公園」”. 上越タウンジャーナル. (2020年3月28日). https://www.joetsutj.com/articles/69763168 2020年4月19日閲覧。 
  5. ^ CNN Travel(英語)
  6. ^ 池田嘉一・渡辺慶一『続 じょうえつ市の郷土史散歩』2刷、北越出版、1990年4月1日、pp. 166-167
  7. ^ 【TJ調査隊】「東洋一のハス」の高田公園より「日本一のハス」の伊豆沼が20倍広かった! - 上越タウンジャーナル、2019年3月5日閲覧。
  8. ^ 高田公園の蓮は東洋一!第37回上越蓮まつり 2016
  9. ^ 上越市内公共交通総合時刻表”. 上越市. 2020年4月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]