高橋貢
高橋 貢(たかはし みつぐ、1971年6月14日 - )は、日本のオートレース選手。群馬県伊勢崎市出身。22期。伊勢崎オートレース場所属。呼名は「サイバーウルフ / ウルフ / Fウルフ / Rウルフ / ミトゥナTY / ミトゥナB」である。SG獲得回数、最優秀選手賞単独受賞回数、優秀選手賞受賞回数、全国ランキングS-1獲得回数、通算優勝回数、年間最多優勝回数、年間獲得賞金1億円突破回数は史上最多。これらをふまえ、オート界では史上最強ライダーといえ、あだ名は「絶対王者」と呼ばれている。 2011年5月18日、オートレースモバイルサイトの運営会社であるサイバード社と個人スポンサー契約を結ぶ。オートレース界としては史上初のケースである。
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[編集] 選手データ
- 選手登録年月日:1991年6月28日
- 身長:174.4cm
- 体重:55.6kg
- 血液型:B型
- 趣味:ゴルフ
- 平成19年前期全国ランキング:S-2(473選手中2位)
- 平成19年後期全国ランキング:S-3(467選手中3位)
- 平成20年前期全国ランキング:S-1(464選手中1位)
- 平成20年後期全国ランキング:S-1(464選手中1位)
- 平成21年前期全国ランキング:S-1(473選手中1位)
- 平成21年後期全国ランキング:S-1(472選手中1位)
- 平成22年前期全国ランキング:S-1(467選手中1位)
- 平成22年後期全国ランキング:S-2(465選手中2位)
- 平成23年前期全国ランキング:S-5(447選手中5位)
- 平成23年後期全国ランキング:S-1(465選手中1位)
- 平成24年前期全国ランキング:S-1(462選手中1位)
- 生涯獲得賞金(2010年9月18日時点):14億3250万3535円(歴代最高額)
- 最高年間獲得賞金額:1億4812万4255円(2004年)
- 賞金王:6回 (飯塚将光に次ぐ歴代第2位、年間1億円突破5回は歴代1位)
- 通算優勝回数:164回(歴代1位)
- 全国区レース優勝:20回 (歴代1位タイ : SG18回、プレミアムカップ2回)
- グレードレース(SG,GI,GII)優勝回数:58回(歴代1位)
- SG優勝回数:18回 (歴代1位)
- GI優勝回数:23回 (飯塚将光に次ぐ歴代第2位)
- GII優勝回数:17回(歴代1位)
- 全国ランキング第1位獲得回数:13回(歴代1位)
- 最優秀選手賞:6回 (単独受賞回数は歴代1位)
- 優秀選手賞:7回 (歴代1位)
- 日刊三賞・殊勲賞受賞回数:5回 (歴代1位)
- 年間最多優勝回数:11回(歴代1位)
- 年間最多優勝記録:18勝(1998年)
- 年間最多勝利回数:5回(歴代1位タイ)
- 年間最多勝利記録:81勝(2009年)
[編集] 戦歴
- 1991年
- 伊勢崎オートレース場所属、22期生としてデビュー
- 最優秀新人選手賞
- 1993年
- 優秀新鋭選手賞
- 1994年
- GIII(現・GII)第4回若獅子杯争奪戦(山陽オートレース場)優勝
- 最優秀新鋭選手賞
- 1995年
- GI第2回ムーンライトチャンピオンカップ(伊勢崎オートレース場)優勝
- オートレース発祥45周年記念GI船橋オート祭(船橋オートレース場)優勝
- GIII第5回若獅子杯争奪戦優勝
- 最優秀新鋭選手賞
- 1996年
- 最優秀新鋭選手賞
- 1997年
- SG第16回オールスターオートレース(飯塚オートレース場)優勝
- SG第29回日本選手権オートレース(伊勢崎オートレース場)優勝。[1]
- GI川口開設45周年記念グランプリ優勝
- 最優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(7回)
- 年間獲得賞金額1億円突破
- 1997年賞金王(1億611万5500円)
- 後期の伊勢崎所属選手競走成績で初めて第1位となる。
- 1998年
- SG第17回オールスターオートレース(山陽オートレース場)優勝
- SG第2回東西チャンピオンカップ(飯塚オートレース場)優勝
- SG第30回日本選手権オートレース(船橋オートレース場)優勝。島田信廣(11期)、片平巧(19期、船橋オートレース場所属)に次いで史上3人目のSG3連覇を達成。
- GI第5回ムーンライトチャンピオンカップ優勝
- GI第21回黒潮杯争奪戦(船橋オートレース場)優勝
- GII第20回はやて賞(伊勢崎オートレース場)優勝
- GII第21回稲妻賞(伊勢崎オートレース場)優勝
- 最優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(史上最多年間優勝回数18回)
- 年間最多勝利選手(65勝)
- 年間獲得賞金額1億円突破
- 1998年賞金王(1億2806万4800円)
- 1999年
- SG第18回オールスターオートレース(伊勢崎オートレース場)優勝。[2]
- SG第13回スーパースター王座決定戦(川口オートレース場)優勝
- GII第22回稲妻賞優勝
- 優秀選手賞
- 2000年
- SG第4回東西チャンピオンカップ(伊勢崎オートレース場)優勝
- SG第32回日本選手権オートレース(浜松オートレース場)優勝
- GI第22回春のスピード王決定戦優勝
- GII第22回はやて賞優勝
- 最優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(12回)
- 年間獲得賞金額1億円突破
- 2000年賞金王(1億763万1650円)
- 2001年
- 優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(11回)
- 史上最多となる14連勝達成(2000年12月23日~2001年1月14日)[3]
- 2002年
- SG第15回全日本選抜オートレース(伊勢崎オートレース場)優勝
- GI第24回春のスピード王決定戦優勝
- GII第2回スターライトチャンピオンカップ(伊勢崎オートレース場)優勝
- 最優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(10回)
- 年間最多勝利選手(63勝)
- 2002年後期 全国競走成績第1位
- 2003年
- GI第25回春のスピード王決定戦(GI)優勝
- GI伊勢崎開場27周年記念シルクカップ争奪戦(伊勢崎オートレース場)優勝
- 優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(10回)
- 年間最多勝利選手(52勝)
- 2003年後期 全国競走成績第1位
- 2004年
- SG第17回全日本選抜オートレース(川口オートレース場)優勝
- SG第36回日本選手権オートレース(船橋オートレース場)優勝
- SG第19回スーパースター王座決定戦優勝
- GI第26回春のスピード王決定戦優勝
- GI伊勢崎開場28周年記念シルクカップ争奪戦優勝
- GII第4回スターライトチャンピオンカップ優勝
- GII関東地区選手権(1月開催)優勝
- GII関東地区選手権(11月開催)優勝
- 最優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(15回)
- 年間最多勝利選手(68勝)
- 年間獲得賞金額1億円突破
- 通算優勝回数100回を達成。(8月2日、伊勢崎オートレース場第11レースで達成。[4])
- 2004年賞金王([5])
- 2004年前期・後期 全国競走成績第1位
- 2004年後期 伊勢崎所属選手競走成績において15期連続トップとなり、鈴木辰己(浜松所属)の持つ14期連続トップの記録を塗り替える
- 2005年
- 2006年
- 共同通信社杯GIプレミアムカップオートレース2006 in Winter(船橋オートレース場)優勝
- イーバンク銀行杯開場30周年記念GIシルクカップ争奪戦 優勝
- スーパースターフェスタ2006 トップスターカップ(GI格、川口オートレース場)優勝
- GIIさざんかカップ・東西対抗戦(船橋オートレース場)優勝
- 前期全国競走成績1位。
- 9月21日、SG第10回オートレースグランプリ(飯塚オートレース場)2日目に、競走車構造基準違反が判明。即日参加解除・帰郷の暫定処分を下される。詳細は後述。
- 2007年
- クルマ買取りのラビット杯GI第14回ムーンライトチャンピオンカップ争奪戦優勝
- GIIさざんかカップ・東西対抗戦優勝
- GIIさわやか杯第7回スターライトチャンピオンカップ優勝
- GIIオートレース情報ライブ杯GIIグランプリ(伊勢崎オートレース場、開催)優勝
- 優秀選手賞
- 年間最多優勝選手(10回)
- 2008年
- SG第21回全日本選抜オートレース(浜松オートレース場)優勝。SG優勝回数を14に伸ばし、島田信廣に並び歴代2位に着ける。[7]
- ニューイヤーカップ争奪戦・川口vs伊勢崎対抗戦(一般開催)完全優勝
- イーバンク銀行杯開場31周年記念GIシルクカップ争奪戦 優勝
- 千鳥屋本家杯GI開設51周年記念レース(飯塚オートレース場) 優勝
- イーバンク銀行杯開場32周年記念GIシルクカップ争奪戦 優勝
- 丸八真綿杯GIIジェネレーションズカップ(浜松オートレース場)完全優勝、通算800勝達成
- サンケイスポーツ・GII川口記念(川口オートレース場)優勝
- 平成20年前期全国競走成績1位[8]
- 2007年8月から2008年2月にかけて3連対率100%を180日以上に渡り維持する。
- 平成20年後期全国競走成績1位
- 10月4日内外タイムス杯争奪戦(伊勢崎)初日選抜予選から11月2日SG日本選手権オートレース(山陽)4日目準決勝戦にかけて11連勝を達成
- 2008年12月21日、年間最多勝記録を更新。従来は1990年の小林啓二の78勝だった。
- 2008年賞金王(9906万6530円)
- 年間最多勝利選手(133戦81勝)
- 年間最多優勝選手(25回優勝戦進出、13回優勝)
- 2009年
- 平成21年前期全国競走成績1位
- 2009年6月22日 GI共同通信社杯プレミアムカップ(船橋)で優勝。小林啓二に並ぶ通算優勝回数149Vを、通算勝利数900勝と同時に達成する。
- 平成21年後期全国競走成績1位
- 2009年12月4日 日刊スポーツ杯争奪戦(伊勢崎オートレース場)優勝 史上最多の150回目の優勝を飾る
- 2009年12月31日 SG第24回スーパースター王座決定戦(船橋オートレース場)優勝。SG優勝15回は片平巧に並ぶ歴代タイ記録。
- 2009年賞金王(1億1027万8350円)
- 年間最多優勝選手(25回優勝戦進出、13回優勝)
- 最優秀選手賞
- 2010年
- 平成22年前期全国競走成績1位
- SG第29回オールスターオートレース(山陽オートレース場)完全優勝。SG優勝16回の新記録達成。
- GI伊勢崎開場34周年記念シルクカップ争奪戦優勝
- 2011年
- SG第24回全日本選抜オートレース(伊勢崎オートレース場)完全優勝。SG優勝17回目の優勝。
- GIIさざんかカップ(船橋オートレース場)優勝
- 2011年5月18日、サイバード社と個人スポンサー契約を結ぶ。オートレース界としては史上初。
- SG第30回オールスターオートレース(川口オートレース場)優勝。SG優勝18回の優勝。
- 平成23年後期全国競走成績1位
- 2011年7月24日、川口オートレース場にて通算1000勝達成。
- 2011年10月23日、GIムーンライトチャンピオンカップ争奪戦(伊勢崎オートレース場)優勝
[編集] 人物・レーススタイル
高橋貢は、長きに渡りオートレース界を牽引している、オート史に残る名選手である。デビュー直後から才能のある若手と言われていたが、1993年の第12回オールスターオートレース(伊勢崎オートレース場)でSG初出場を飾ると、キョクトーの1級車単気筒で準決勝戦に進出し、準決勝自体は3着と惜敗するも、スタートで篠崎実(9期、川口オートレース場所属)に叩かれながらも終始外から攻め篠崎を圧倒するという活躍を見せた。[9]高橋のスピードはこの頃から既に凡庸ならざるもので、レース後篠崎は「単気筒に捲られちゃ格好悪いから張った」と高橋を牽制する走りをしたことを認めている。また若さゆえの焦りからか1995年の浜松オートレース場ゴールデンレースでは最重ハンデから速攻を決めて独走するも後半タレて地元エースの鈴木辰己に逆転を許すなど後の高橋からは考えられない甘さを見せることもあった。
高橋の持ち味は数多いが、その中でも特筆すべきは「カマシスタート」である。通常、オープンレースの大外8号車というのは余り好まれないのだが、高橋はスタート自体を3番手から5番手ぐらいで切ると、その後チェンジを入れてから強烈に伸び、1コーナーに至るまでに他の7車を捲りきってしまうのである。過去にもスタート巧者は多くいたが、これほど強烈なカマシを成功させられる例は稀である。
独走力も高い。過去に制覇したSGのほとんどは高橋が先頭を走り、その遥か後方30mぐらいの位置に2番手の選手がいるというものであった。また、若手時代こそスタート中心の選手と見られる向きもあったものの、捌きにかけても超一流であり、晴雨を問わないオールラウンダーとしても知られる。
若手時代より発言、受け答えがしっかりしていた。明るく快活な人柄で、先輩には好かれ、後輩からも慕われる存在である。例えば、同じ伊勢崎所属の北渡瀬選手とは公私で仲がよい。1997年のGI全国地区対抗戦では、優勝戦を前にしたピット内で片平巧(19期、船橋オートレース場所属)や島田信廣(11期、船橋オートレース場所属)、岩田行雄(15期、船橋オートレース場所属)らと談笑する姿も見られた。
ファンサービス精神も旺盛で、携帯サイトのオートレースモバイルによる企画対談やロッカー潜入レポート取材などには快く受諾している。特筆すべきは、2011年2月開催のSG第24回全日本選抜オートレース(伊勢崎オートレース場)の直前に行われた、地元伊勢崎オートレース場のCS放送アシスタントレポーター(川上綾香)との会談で公約した優勝を、見事完全優勝で達成してみせたのである。まさしく有言実行型の選手であり、地元ファンや全国のファンからも多く慕われる数少ないオートレーサーである。
[編集] 激戦譜
片平巧や島田信廣が全盛を誇った時代、1995年のGIムーンライトチャンピオンカップを優勝。この優勝で一躍新鋭最右翼の認知を受ける。1997年にオールスターでSG初優勝と遂げると、2000年までの4年間で9個のSGを制覇。長い間誰も船橋最強軍団の牙城を切り崩せなかった時代に彗星のごとく現れ、最強の首座を奪い取った。1998年、船橋オートレース場にて開催された第30回日本選手権においては、片平巧、島田信廣が居並ぶなか、見事カマシスタートで優勝。最強の地船橋での最高峰レース制覇により、名実ともに最強の勲章を得た。高橋と片平のレーススタイルは、「カマシスタート」に「7車抜き」と両極に位置しているが、かつては、「片平と高橋のうち、どちらか一方が好調だともう一方が不調になる」という因縁めいた出来事もあった[10]
2001年からは、2002年に全日本選抜を制覇するものの全国区最強の地位を維持するには苦しい時代が続き、池田政和(23期、船橋オートレース場所属)、浦田信輔(23期、飯塚オートレース場所属)や伊藤信夫(24期、浜松オートレース場所属)濱野淳(24期、山陽オートレース場所属)などの新進気鋭が台頭する。復調を見せた2004年、年頭よりビッグレースで主役に舞い戻る。トップスターカップ(GI格)準優勝、全日本選抜優勝、オールスター5着、オートグランプリ準優勝、そして日本選手権及びスーパースター王座決定戦を連覇、全国区レースで常に上位を占めた。その年の年間獲得賞金は史上最高額となる。
その第36回日本選手権は、最強の地、船橋オートレース場で、当時「二強」と言われた池田政和が2枠、高橋貢が8枠の0mオープン戦。スタートからかました高橋が1周目から池田政和とのデッドヒートを演じる。2周目以降、先陣を切る池田政和に対し常時ピタリと張り付くと、10周目3コーナーで内に切り込み逆転優勝。場内の大歓声と悲鳴と共に、「王者」復活の狼煙を上げた。
[編集] 絶対王者
地元伊勢崎では誰もその牙城を切り崩せず、毎年のように地元グレードレースを次々と制している。一般戦も含めた高橋貢の安定感は、常に最終レースのオッズが高橋貢の枠だけ10倍以下となることからも容易く理解できよう。地元単独最重ハンデは最早常識であり、数年間、地元強豪陣(田代祐一(15期)等)の10m後ろどころか、20m後ろのハンデを背負ったこともある。
2000年11月には第32回日本選手権を浜松オートレース場にて制覇。これにより、島田信廣に次ぎ二人目となる全オートレース場におけるSG制覇を成し遂げる。
史上最も早く通算優勝回数100回を突破、最高年間獲得賞金、年間最多優勝回数など、まさに最強の名にふさわしい戦歴を残す。オートレースグランプリを制すると、片平巧に続いて、廃止されたSG東西チャンピオンカップを含めたSG6冠グランドスラムを達成可能な選手でもある。
若手時代から強烈スタートで引き離し、全国強豪陣すら追いつけないレースを見せ、デビュー7年目でSG制覇。また雨走路を苦手にしていたが見事克服、今では全国区でも最強レベルに名を連ねる雨巧者となった。スタート、捌き、雨走路と殆ど穴がないことが、長きに渡りオート界主役の座を維持してきた大きな理由であろう。その裏には、常に妥協を許さないマシン整備方法とレースに対する向上心、弛まぬ努力があることは間違いないだろう。
[編集] グランプリ事件
廃止された東西チャンピオンカップを含めてのSG全冠制覇の可能性を持つ高橋にとって、唯一制覇していないオートレースグランプリは、是が非でも欲しいタイトルであった。だが、そのオートレースグランプリで事件が起こった。
2006年9月20日より、飯塚オートレース場で開催された第10回オートレースグランプリ。この開催でも勿論高橋は優勝候補の一人と目されていた。しかし、高橋は2日目のレースを欠車してしまった。その後「高橋が自己の競走車に対し、現行の競走車構造・整備基準にあっては使用を禁じられている[11]旧型のドライブスプロケットを使用していたことが検査によって発覚したため、小型自動車競走実施規則に基づき出走を取り消した。」との公式発表がなされた[12]。
この件は非常に衝撃的な事件であった。その理由の一つとして、高橋が使用したとされる旧型スプロケットについては、それを敢えて使用することによる利益がほぼ存在しない点である。
旧型スプロケットは現行の物と比較すると若干軽量だが、その分耐久性が低い。また、軽量と言っても、競走車の性能に著しい変化をもたらすほどのものではなく、むしろ安全性が低下さえする。このような部品を、これだけの大舞台で敢えて使用する意味や必然性は全く無いことは明白である。
しかも、2001年4月1日の整備基準改定に際して回収されたはずの部品を、何故高橋が所有していたのかという点も疑問となる。高橋自身は「たまたま手元にあった」と証言したものの、それが事実であるとすれば、日動振や各競走会の怠慢であったと言わざるを得ない。
また、何故あの日に抜き打ちで競走車の構造にかかる検査が抜き打ちで行われたのかについても疑問が残る。そもそも、競走車の構造に関する検査に関しては、エンジン自体とエンジン部に関する検査が中心であり、過去にドライブスプロケットの違反を理由に処分を受けた選手は存在しない。
以上の点などから、この件に関しては様々な憶測が流れた。しかし、高橋自身はこれを「自身の不手際によるミス」と証言し、また、「故意によるものではない」と証言した。
これらの証言と調査を勘案し、選手斡旋規制委員会は高橋に対して15日間の出場停止処分を下した。この処分を課せられた選手は、その出場停止後から起算して1年間SGには出場できない。
この斡旋停止が解除されてから二節目で、高橋は地元の開設記念、GIシルクカップに出場し見事な優勝を飾った。それは、周囲の雑音をかき消すほどの見事な優勝であった。
[編集] 主な戦歴
- SG戦歴
- SG18冠(史上最多)
- 全国区レース優勝:20回 (史上最多タイ : SG18回、プレミアムカップ2回)
- 同一SG3連覇 (5日開催SGレースにおける同一SG連覇最多記録 : オールスター、1997年第16回~1999年第18回)
- SG3連覇 (史上3人目 : 1998年、第17回オールスター、第2回東西チャンピオンカップ、第30回日本選手権)
- SG最重ハンデ大外優勝 5回 (史上最多タイ)
- SG完全優勝 2回 (史上最多タイ)
- 全オートレース場におけるSG制覇 (史上2人目)
- 船橋(98年日本選手権、04年日本選手権、09年スーパースター王座決定戦)
- 川口(99年スーパースター王座決定戦、04年全日本選抜、スーパースター王座決定戦、11年オールスター)
- 伊勢崎(97年日本選手権、99年オールスター、00年東西チャンピオンカップ、02年全日本選抜、11年全日本選抜)
- 浜松(00年日本選手権、08年全日本選抜)
- 山陽(98年オールスター、10年オールスター)
- 飯塚(97年オールスター、98年東西チャンピオンカップ)
- 2002年12月に試走タイム最速となる3.20を記録。レースは競走タイム3.305の超速で1着
- 2008年1月、浜松GIIジェネレーションズカップ制覇により、史上最多GII15制覇
- 2008年2月、飯塚GI開設記念レース制覇により、島田信廣に並ぶ史上最多タイSG、GI、GII 通算48制覇 (協賛レース、トップスターカップをGI格に含む)
- 2008年11月、イーバンク銀行杯開場32周年記念GIシルクカップ争奪戦制覇により、史上最多SG、GI、GII 通算49制覇 (協賛レース、トップスターカップをGI格に含む)
- 2008年12月21日、79勝目を挙げ、年間最多勝利数新記録達成。
- 2009年12月4日 日刊スポーツ杯争奪戦(伊勢崎オートレース場)優勝 史上最多の150回目の優勝を飾る
- 2009年、年間最多優勝により、史上最多11度目の年間最多優勝記録
- 2010年4月29日、SG第29回オールスターオートレース(山陽オートレース場)完全優勝。SG優勝16回の新記録達成。
- 2011年2月13日、SG第24回全日本選抜オートレース(伊勢崎オートレース場)完全優勝。SG優勝17回目の優勝。SG完全優勝は2回目となった。
- 最優秀選手賞6回 (単独受賞回数は史上最多)
- 優秀選手賞7回 (史上最多)
- 日刊三賞・殊勲賞5回 (史上最多)
- 賞金王6回(年間1億円突破5回は史上最多)
- 通算優勝回数164回 (史上最多)
- グレードレース(SG,GI,GII)優勝回数:58回(史上最多)
- 生涯獲得賞金(2010年9月18日時点):14億3250万3535円(史上最高額)
- 最高年間獲得賞金額:1億4812万4255円(2004年)
- 全国競走成績第1位 13回(史上最多)
- 伊勢崎所属選手競走成績第1位 30期連続30回目 (所属別競走成績第1位 史上最多記録更新中)
- 年間最多優勝11回(史上最多)
- 年間最多優勝記録18勝(1998年)
- 年間最多勝利5回(史上最多タイ)
- 年間最多勝利記録81勝(2009年)
[編集] 脚注
- ^ 伊勢崎所属選手として初の地元SG制覇を達成。
- ^ 史上初のオールスター3連覇達成。
- ^ 10連勝以上は史上7人目
- ^ 13年2ヶ月での100回優勝は史上最速
- ^ 1億4812万4255円はオートレース史上最高額
- ^ デビュー後13年11ヶ月25日での達成は史上最速
- ^ 当時の歴代1位は片平巧の15回制覇。
- ^ 審査ポイント151.520は歴代最高ポイント。
- ^ 当時の篠崎は「川口四天王」の一人で、全国でもトップクラスの選手の一人だった。
- ^ 事実、高橋が全くタイトルと縁の無かった1996年には、片平が年間SG3連覇を達成している。
- ^ 2001年4月1日以前の基準では認められていたが、4月1日のセア改良型への一斉乗り換え以降は改良型に切り替わった為、使用禁止となっていた。
- ^ 高橋 貢選手への措置について