高橋大輔 (フィギュアスケート選手)

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Pix.gif 高橋 大輔
Daisuke TAKAHASHI
Figure skating pictogram.svg
Daisuke Takahashi at the 2014 Olympics.jpg
2014年ソチオリンピックの高橋
基本情報
代表国: 日本の旗 日本
生年月日: 1986年3月16日(28歳)
出生地: 岡山県倉敷市
身長: 165 cm
体重: 60 kg
元コーチ: 長光歌子 (1999- 現在)
ニコライ・モロゾフ (2005-2008、2012-)[1]
タチアナ・タラソワ
林祐輔
服部直行 (1996-2000)[2]
振付師: 宮本賢二
ローリー・ニコル
元振付師: タチアナ・タラソワ
リー=アン・ミラー
長光歌子
ニコライ・モロゾフ
パスカーレ・カメレンゴ
阿部奈々美
シェイ=リーン・ボーン
所属クラブ: 関西大学スケート部
引退: 2014年10月14日
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 276.72 2012 国別対抗戦
ショートプログラム: 95.55 2013 GP NHK杯
フリースケーティング: 182.72 2012 国別対抗戦
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
2010 バンクーバー 男子シングル
世界選手権
2007 東京 男子シングル
2010 トリノ 男子シングル
2012 ニース 男子シングル

高橋 大輔(たかはし だいすけ、ラテン文字:Daisuke Takahashi, 1986年3月16日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。

2010年バンクーバーオリンピック銅メダリスト、2006年トリノオリンピック(8位)、2014年ソチオリンピック(6位)日本代表。2010年世界選手権優勝、2012年GPファイナル優勝、2008年2011年四大陸選手権優勝など。

人物[編集]

岡山県倉敷市出身。4人兄弟の末っ子。関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修卒業[3]。2008年4月より関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程に進学。JOCシンボルアスリート適用選手。日本人男子初のオリンピックメダリストであり、日本人男子として初めて世界選手権世界ジュニア選手権グランプリファイナルを制した選手である。オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の男性部門において、2010年より4年連続でトップ10入りを果たしている[4][5][6][7]

高いスケーティング技術を生かした世界屈指のステップと情感豊かな表現力を持ち味としていた[8][9][10][11][12][11][13]荒川静香は高橋について「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」と評していた[14]。ジャンプでは3回転アクセル[15][9]、3回転フリップ[16][9]3回転ルッツ[9][17][9]を得意としていた。

サッカー日本代表MF青山敏弘は、幼稚園、小・中学校の同級生で幼馴染である[18]

リンク上でフラワーガールの少女に積極的にハグをし(2013年全日本選手権における五輪代表決定セレモニーなど)、こども好きなことでも知られる。

2013年全日本選手権においてフラワーガールの少女にハグをする高橋

経歴[編集]

トリノ五輪出場[編集]

幼少時は性格的に弱く、心配した両親に少林寺拳法、野球、アイスホッケーなどさまざまなスポーツをやらされたが、痛いことや怖いことが嫌いでどれも長続きしなかった[19][20]。体操は気に入ったが、岡山市内の体操教室に通うことが難しく断念[21]。8歳のとき、家のすぐ近くにあるウェルサンピア倉敷厚生年金健康福祉センター)のスケートリンクでフィギュアスケートを始めた。

全国有望新人発掘合宿(野辺山合宿)で素質を見出された高橋は、1999年倉敷市立連島中学校2年)から、長久保裕佐野稔両コーチがいる宮城県仙台市のスケートリンク(現・アイスリンク仙台)に出向いて指導を受けていたが、佐野が仙台を離れることになったため、プログラム作成を依頼された長光歌子と仙台で初対面した[22]。同年に初の国際大会となるトリグラフトロフィーで優勝。2001年全国中学校大会で2連覇を達成し、全日本ジュニア選手権を制す。2002年には世界ジュニア選手権で日本男子として初めての優勝を飾った。

2002-2003シーズンから本格的にシニアに参戦するが、国際大会での成績は伸び悩み気味だった。1年間に渡り長光とともにアメリカ、カナダ、ロシアを訪ねて有名コーチの指導を仰いだが、成果は得られなかった。

2004-2005シーズンには、大学入学に伴う環境の変化やプレッシャーや、シーズン前半のアジア選手権で右足首の神経の炎症を起こしたことによりモチベーションが低下し、スケートをやめたいとさえ思っていた[23]。しかし、全日本選手権で6位に沈んだことで気持ちがふっきれ[24]、年明けのユニバーシアードで優勝、四大陸選手権では3位となった。世界選手権では、ともに出場した本田武史が予選演技中の怪我で途中棄権したため、翌年のトリノオリンピックの日本男子出場枠が髙橋1人の順位にかかる大きなプレッシャーの中で演技することになった。ショートプログラム(以下、SPと略)までは7位と健闘したものの、フリースケーティング(以下、フリーと略)では冒頭の4回転ジャンプ転倒を皮切りにことごとく失敗を連発してしまい、総合15位に終わる。この結果、トリノオリンピックの日本男子出場枠は最小の1枠となる(総合10位以内なら2枠だった)。シーズン終了後、コーチ・振付師をニコライ・モロゾフに変えるとともに、トレーナーのカルロス・アビラ・デ・ボルバにつき、フィジカル面とステップの強化に力を注ぎ始めた[25]

2005-2006シーズン、スケートアメリカISUグランプリシリーズ初優勝を果たし、本田に続く日本人男子2人目のGPシリーズ優勝者となった。続くNHK杯では3位に終わったが、SPではシングルの選手として世界で初めてステップでレベル4(最高難度)を獲得した[26]。初めて進出したGPファイナルでは銅メダルを獲得して日本人男子として初の表彰台に立ち、全日本選手権はSP2位から逆転して初優勝、僅か1枠のトリノオリンピック・男子シングル日本代表の座を掴み取った。トリノオリンピックではSPで5位につけたが、フリーは冒頭の4回転ジャンプでの転倒やザヤックルール違反などで得点が伸びず9位、総合8位入賞に留まった。

バンクーバー五輪で銅メダル獲得[編集]

2006-2007シーズン、NHK杯で優勝、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。2季連続で進出したGPファイナルは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。全日本選手権では2位以下に大差をつけて2連覇を達成。2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を果たした。日本・東京で開催の世界選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティング1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した[27]。また、織田信成が7位に入ったため、翌2008年世界選手権の日本男子代表枠は最大の3枠となった。

2007-2008シーズン、GPシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝。2戦目のNHK杯では日本人男子として五十嵐文男以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続のGPファイナル進出を出場ポイント1位通過で決めた。ファイナルではステファン・ランビエールに僅か0.26点及ばず2位となるも、12月の全日本選手権ではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。四大陸選手権でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、フリーと総合得点でISU歴代最高記録を更新して初優勝。優勝候補の筆頭にあげられて臨んだ世界選手権であったが[28]、フリーではジャンプミスやザヤックルール違反により総合4位に終わった。5月、コーチのニコライ・モロゾフが織田信成のコーチに就任したため、モロゾフとの契約を解除した[註 1]

2010年世界選手権で「道」を演じる高橋

2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場[31][32]。その後の精密検査により右足膝の前十字靭帯半月板を損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした[33][34][35][32]。リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開[36][37]、6月からはジャンプも跳び始めた[37]。リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった[37]。また、ジャンプ専門のコーチとして本田武史を迎え、ジャンプの指導を受け始めた[38]

2009-2010シーズン、10月のフィンランディア杯優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。スケートカナダでは表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナルにも出場。全日本選手権で4度目の優勝を果たし、バンクーバーオリンピックの代表に内定した。

2010年バンクーバーオリンピックではSPで90点台をマーク、SP1位のエフゲニー・プルシェンコと0.6点の僅差で3位につけた。フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒したものの、得意のステップと演技構成点は出場選手中最も高い評価を受け[39]、総合得点でステファン・ランビエールを0.51点の僅差で上回り、日本及びアジア人の男子シングルの選手としては史上初のオリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した[40]

世界選手権初優勝[編集]

バンクーバー五輪から約1か月後の世界選手権では、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、男子シングルでは日本・アジアで史上初の世界チャンピオンとなった。フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、世界初の試みであった。なお、フリーではシングルの選手として初めて、全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した[41][42]

2010-2011シーズン、GPシリーズ初戦NHK杯ではFSで3シーズンぶりに4回転トウループを成功させ優勝。続くスケートアメリカでも優勝、日本人男子として最多となるGPシリーズ6勝目を挙げた。GPファイナルでは練習中に小塚崇彦と衝突して首がむち打ちのような状態になり、本番では4位に終わった[43]。首の状態がさらに悪化した状態[44]で臨んだ全日本選手権では3位に入った。四大陸選手権では3年ぶり2度目の優勝を達成。当初東京で開催予定ながら東日本大震災の影響で1か月延期、モスクワで代替開催の世界選手権では、FS冒頭の4回転トウループが1回転に抜ける着氷失敗時、スケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われる。ビスを留める為約2分中断後に演技を再開したが、3回転サルコウの転倒などが響き総合5位に終わった。

五輪でのメダル獲得や世界王者となったことでモチベーションが低下し、現役続行を迷いながらも迎えたシーズンであったが、5位に沈んだことで気持ちが吹っ切れ、現役続行を決意した[45]。シーズン終了後、5月に右膝ボルト除去手術を受けた。リハビリを経たのち、8月にフランスリヨンに渡り、アイスダンスコーチのミュリエル・ザズーイの下でスケーティングを基礎から見直した[46]。また、柔軟性を高めるために、バレエのレッスンも受け始めた[47]

2011-2012シーズン、NHK杯では大会最多となる4度目の優勝を果たした。全日本選手権ではSPで7シーズンぶりに4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ(ISU非公認)、2年ぶり5度目の優勝を果たした。GPファイナル四大陸選手権世界選手権はいずれも世界王者パトリック・チャンに次ぐ2位だったが、シーズン最後の国別対抗戦ではチャンを抑えて1位、SPでは歴代最高得点をマークした。6月、再びニコライ・モロゾフをコーチの一員として迎えた[48]

2012-2013シーズン、自身7度目の挑戦となったGPファイナルにおいて、日本男子初のチャンピオンとなった。しかし四大陸選手権は7位に終わり、翌2014年2月開催のソチオリンピック出場枠の掛かる世界選手権も6位と表彰台を逃したが、羽生結弦の4位との成績で、ソチ五輪男子シングル種目は2大会連続で最大の3枠を確保する。国別対抗戦では1位となった。

ソチオリンピック出場[編集]

2013-2014シーズン、スケートアメリカでは4位。NHK杯ではSPで自己ベストを更新。FSも1位で優勝した。GPファイナルへの進出を決めたが、11月26日に氷上トレーニング中に負傷。右脛骨骨挫傷と診断され、欠場を発表した(代替選手は織田信成で3位)[49]。怪我をおして臨んだ全日本選手権ではSP、FSともに4回転に挑戦し失敗。FSでは4回転転倒後に右指を切り、流血しながらプログラムを最後まで演じきったものの、最終順位は5位に終わった。演技直後のインタビューでは「自分の中では五輪はないんだろうなと思っている」と涙ながらに答えていた[50]。しかし過去の実績、シーズン成績などを考慮し、最後の3枠目でソチオリンピック代表に選出された。尚フィギュアスケートの日本選手で三大会連続オリンピック代表選出は、高橋が初めてである[51][52]

2014年2月5日、作曲者佐村河内守が、作曲を新垣隆に依頼していたことを公表[53]、オリンピック本番のショートプログラムで使用する予定だった曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も新垣隆による作曲であると判明した。同日、関西大学の公式サイトで、曲を変更しないことを表明、国際スケート連盟には楽曲作曲者を不明(Unknown)とする手続きをした[54]。この曲は義手でヴァイオリンを弾いているというある女性に贈られた曲であり、本当の作曲者は幼稚園の頃からこの女性の伴奏などをしていた。そういう事情から、真実を知った後もこの曲への愛着は失われておらず、高橋がこの曲を使用することを「とても楽しみ」とコメントしている[55]。高橋は9日にソチ入りした際にインタビューに応じ「正直ビックリしました。このタイミングでって。勘弁してよっていうのはありました」と笑いつつ、SPでの使用に変更がないことを明らかにした[56]

そのソチオリンピック本番は団体戦には出場せず、個人戦のみ出場。SPでは4位発進だったが、フリーではジャンプミスが響いて総合6位入賞に留まり、五輪ニ大会連続メダル獲得はならなかった。しかしフィギュアスケート日本代表選手で、冬季オリンピック三大会連続入賞(8位・3位・6位)は高橋が史上初である[57]。帰国後メディカルチェックを受けた際「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静加療が必要」と診断。2014年3月4日、さいたま市で開催される世界選手権の欠場を表明(補欠の小塚崇彦が繰上げ出場し6位)。今後の去就については「まだはっきりと決めていない。ゆっくり時間を持った時に考えていきたい」と語っていたが[58]、同年4月21日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した[59]

アイスショー[編集]

2014年7月5日・6日(富山)、12日・13日(新潟) アイススケートショウ Fantasy on Iceに出演。歌手サラ・オレインとコラボし薔薇一輪を持つ演出でオープニングを飾った。この模様は富山テレビで放送された。

2014年10月14日、現役を引退。

主な戦績[編集]

大会/年 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 09-10 10-11 11-12 12-13 13-14
冬季オリンピック 8 3 6
世界選手権 11 15 2 4 1 5 2 6 DNS
四大陸選手権 13 6 3 1 1 2 7
世界国別対抗戦 中止[60] 1 1
全日本選手権 5 4 3 6 1 1 1 1 3 1 2 5
GPファイナル 3 2 2 5 4 2 1 DNS
GPNHK杯 8 3 1 1 4 1 1 2 1
GPスケートアメリカ 1 1 1 4
GP中国杯 2
GPスケートカナダ 7 2 2 3
GPエリック杯 5 11
GPボフロスト杯 11
フィンランディア杯 1
ユニバーシアード 1 1
アジア大会 6
世界Jr.選手権 1
全日本Jr.選手権 3 4 1
JGPファイナル 4
JGPSBC杯 1
JGPソフィア杯 2
JGPウクライナ記念 8
JGPハルビン 9

詳細[編集]

2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2014年2月6日-22日 ソチオリンピックソチ 4
86.40
6
164.27
6
250.67
2013年12月20日-23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま 4
82.57
5
170.24
5
252.81
2013年11月8日-10日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 1
95.55
1
172.76
1
268.31
2013年10月18日-20日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカデトロイト 5
77.09
4
159.12
4
236.21
2013年10月5日-日 2013年ジャパンオープンさいたま - 4
149.12
1
団体


2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年4月11日-14日 2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 2
80.87
1
168.65
1
249.52
2013年3月10日-17日 2013年世界フィギュアスケート選手権ロンドン 4
84.67
8
154.36
6
239.03
2013年2月8日-11日 2013年四大陸フィギュアスケート選手権大阪 4
82.62
8
140.15
7
222.77
2012年12月20日-24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌 2
88.04
1
192.36
2
280.40
2012年12月6日-9日 2012/2013 ISUグランプリファイナルソチ 1
92.29
3
177.11
1
269.40
2012年11月23日-25日 ISUグランプリシリーズ NHK杯利府 2
87.47
2
164.04
2
251.51
2012年11月2日-4日 ISUグランプリシリーズ 中国杯上海 1
84.79
2
146.96
2
231.75
2012年10月6日-日 2012年ジャパンオープンさいたま - 1
172.06
1
団体


2011-2012 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2012年4月19日-22日 2012年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 1
94.00
1
182.72
1
276.72
2012年3月26日-4月1日 2012年世界フィギュアスケート選手権ニース 3
85.72
3
173.94
2
259.66
2012年2月9日-12日 2012年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス 3
82.59
2
161.74
2
244.33
2011年12月23日-26日 第80回全日本フィギュアスケート選手権門真 1
96.05
3
158.55
1
254.60
2011年12月07日-11日 2011/2012 ISUグランプリファイナルケベック・シティー 5
76.49
2
172.63
2
249.12
2011年11月10日-13日 ISUグランプリシリーズ NHK杯札幌 1
90.43
1
169.32
1
259.75
2011年10月28日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダミシサガ 2
84.66
3
153.21
3
237.87
2011年10月1日-日 2011年ジャパンオープンさいたま - 6
130.79
3
団体


2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年4月24日-5月1日 2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 3
80.25
6
152.72
5
232.97
2011年2月15日-20日 2011年四大陸フィギュアスケート選手権台北 1
83.49
1
160.51
1
244.00
2010年12月24日-27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 4
74.78
2
162.01
3
236.79
2010年12月9日-12日 2010/2011 ISUグランプリファイナル北京 3
82.57
6
137.20
4
219.77
2010年11月12日-14日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカポートランド 2
78.12
1
148.95
1
227.07
2010年10月22日-24日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 1
78.04
1
156.75
1
234.79
2010年10月2日-日 2010年ジャパンオープンさいたま - 2
159.19
1
団体


2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月24日-25日 2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ 1
89.30
1
168.40
1
257.70
2010年2月14日-27日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 3
90.25
5
156.98
3
247.23
2009年12月25日-27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪 1
92.85
1
168.28
1
261.13
2009年12月3日-6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 1
89.95
5
134.65
5
224.60
2009年11月19日-22日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダキッチナー 2
75.30
1
155.01
2
231.31
2009年11月5日-8日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 4
78.18
4
136.11
4
214.29
2009年10月8日-11日 2009年フィンランディア杯ヴァンター 1
83.23
2
141.02
1
224.25


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年4月20日-日 2008年ジャパンオープンさいたま - 4
127.23
1
団体
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 3
80.40
6
139.71
4
220.11
2008年2月11日-17日 2008年四大陸フィギュアスケート選手権高陽 1
88.57
1
175.84
1
264.41
2007年12月26日-28日 第76回全日本フィギュアスケート選手権大阪 1
85.43
1
169.15
1
254.58
2007年12月13日-16日 2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ 1
84.20
2
154.74
2
238.94
2007年11月29日-12月2日 ISUグランプリシリーズ NHK杯仙台 2
77.89
1
156.33
1
234.22
2007年10月25日-28日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレディング 1
80.04
2
148.93
1
228.97


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月20日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 3
74.51
1
163.44
2
237.95
2007年1月17日-27日 ユニバーシアード冬季競技大会トリノ 1
78.90
1
161.58
1
240.61
2006年12月27日-29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 1
85.55
1
170.53
1
256.08
2006年12月14日-17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 2
79.99
3
144.84
2
224.83
2006年11月30日-12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 1
84.44
1
163.49
1
247.93
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 1
78.80
2
129.41
2
208.21


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年5月14日-日 2006年ジャパンオープンさいたま - 2
141.10
1
団体
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ 5
73.77
9
131.12
8
204.89
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 2
74.52
1
148.60
1
223.12
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 3
74.60
3
137.92
3
212.52
2005年12月1日-4日 ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪 1
77.70
3
127.60
3
205.30
2005年10月20日-23日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカアトランティックシティ 1
69.10
1
149.44
1
218.54


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 12
30.13
7
72.18
18
108.04
15
210.35
2005年2月14日-20日 2005年四大陸フィギュアスケート選手権江陵 - 3
68.46
2
123.83
3
192.29
2005年1月12日-22日 ユニバーシアード冬季競技大会インスブルック - 2 1 1
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 5
59.83
5
113.84
6
173.67
2004年11月18日-21日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 3
64.16
11
71.54
11
135.70


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 7 11 11 11
2004年1月19日-25日 2004年四大陸フィギュアスケート選手権ハミルトン - 9 4 6
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 4 3 3
2003年11月13日-16日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ - 2
71.31
5
123.31
5
194.62
2003年10月30日-11月3日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダミシサガ - 5
61.81
7
116.99
7
178.80


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権北京 10 13 13
2002年12月19日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 2 4 4
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯京都 10 7 8
2002年11月7日-10日 ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯ゲルゼンキルヒェン 10 11 11


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年3月3日-10日 2002年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーマル 1 1 2 1
2001年12月21日-23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪 - 8 4 5
2001年12月13日-16日 2001/2002 ISUジュニアグランプリファイナルブレッド - 3 5 4
2001年11月23日-24日 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権東京 - 2 1 1
2001年11月15日-18日 ISUジュニアグランプリ SBC杯長野 - 3 1 1
2001年9月12日-15日 ISUジュニアグランプリ ソフィア杯ソフィア - 1 2 2


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2001年2月22日-24日 2001年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ 1 2 2
2000年11月25日-26日 第69回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 4 4 4
2000年10月12日-15日 ISUジュニアグランプリ ハルビンハルビン 13 7 9
2000年9月21日-24日 ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念キエフ 7 8 8


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2000年3月23日-25日 2000年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ 4 3 3
1999年12月10日-12日 第68回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大阪 1 4 3


プログラム使用曲[編集]

シーズン SP FS EX
2013-2014[61] バイオリンのためのソナチネ
作曲:不明[54][62]
振付:宮本賢二
ビートルズ・メドレー
イエスタデイ
カム・トゥゲザー
フレンズ・アンド・ラバーズ
イン・マイ・ライフ
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
作曲:レノン=マッカートニージョージ・マーティン

振付:ローリー・ニコル
タイム・トゥ・セイ・グッバイ
ボーカル:アンドレア・ボチェッリサラ・ブライトマン
ザ・ クライシス
映画『海の上のピアニスト』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:宮本賢二
ブエノスアイレスの春
作曲:アストル・ピアソラ
振付:宮本賢二
2012-2013[63] 月光
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
振付:ニコライ・モロゾフ
Rock'n'Roll Medley (Hard Times)
Noble (Thin Man) Watts
The Stroll
by Lawson Haggart Rockin' Band
Rudy's Rock
by Bill Haley & The Comets
振付:阿部奈々美
歌劇『道化師』より
作曲:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
振付:シェイ=リーン・ボーン
ブエノスアイレスの春
作曲:アストル・ピアソラ
振付:宮本賢二

スウィート
作曲:スヌープ・ドッグ
振付:宮本賢二
2011-2012[64] イン・ザ・ガーデン・オブ・ソウルズ
作曲:Vas
振付:デヴィッド・ウィルソン
ブルース・フォー・クルック
作曲:エディ・ルイス
振付:パスカーレ・カメレンゴ
ザ・ クライシス
映画『海の上のピアニスト』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:宮本賢二
2010-2011[65] ある恋の物語
エル・マンボ
マンボNo.5
作曲:ペレス・プラード
Batucada
作曲:DJ Dero
振付:シェイ=リーン・ボーン
ブエノスアイレスの冬
作曲:アストル・ピアソラ
振付:パスカーレ・カメレンゴ
ピアノによるアメリのワルツ
映画『アメリ』より
振付:ステファン・ランビエール
2009-2010[66] Eye
作曲:Coba
振付:宮本賢二
映画『』より
作曲:ニーノ・ロータ
振付:パスカーレ・カメレンゴ
Luv Letter
by DJ OKAWARI
作曲:月野そら
振付:宮本賢二
2008-2009[67][68][69] Eye
作曲:Coba
振付:宮本賢二
映画『道』より
作曲:ニーノ・ロータ
振付:パスカーレ・カメレンゴ

Ocean Waves
作曲:ジョージ・ウィンストン
振付:パスカーレ・カメレンゴ

-
2007-2008[70][69] 白鳥の湖ヒップホップバージョン
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
ロミオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
バチェラレット
ボーカル:ビョーク
振付:宮本賢二
2006-2007[71][69] ヴァイオリン協奏曲
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ニコライ・モロゾフ
ミュージカル『オペラ座の怪人』より
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
振付:ニコライ・モロゾフ
ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より
ボーカル:ユアン・マクレガー
振付:ニコライ・モロゾフ
2005-2006[72][69] ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より
by スティング
振付:ニコライ・モロゾフ
ピアノ協奏曲第2番
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:ニコライ・モロゾフ
ノクターン
演奏:シークレット・ガーデン
振付:髙橋大輔
2004-2005[73][69] Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:タチアナ・タラソワ

剣の舞
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:タチアナ・タラソワ

アランフエス協奏曲
作曲:ホアキン・ロドリーゴ
振付:タチアナ・タラソワ
ノクターン
by シークレット・ガーデン
2003-2004[73][69] Nyah 映画『ミッション:インポッシブル2』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:タチアナ・タラソワ
パガニーニの主題による狂詩曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
パガニーニの主題による変奏曲
振付:タチアナ・タラソワ
砂漠のバラ
by スティング
2002-2003[69] ヒーローズ・シンフォニー
作曲:フィリップ・グラス
振付:リー=アン・ミラー
映画『スター・ウォーズ エピソード2』より
作曲:ジョン・ウィリアムズ
振付:リー=アン・ミラー
-
2001-2002[69] ミュージカル『ウエストサイド物語』より
作曲:レナード・バーンスタイン
振付:ロバート・ダウ
ヴァイオリン協奏曲第1番
作曲:マックス・ブルッフ
振付:ロバート・ダウ
-

表彰歴[編集]

2001年
2003年
2005年
  • 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
2006年
2007年
  • 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰
  • 日本オリンピック委員会・JOCスポーツ賞 特別功労賞
  • 上月スポーツ賞
2010年

CM[編集]

出版物[編集]

書籍[編集]

CD[編集]

  • 高橋大輔 ~フェイヴァリット・ミュージック~(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
  • Daisuke Takahashi 2010-2011 season(ポニーキャニオン、2011年1月7日)

DVD[編集]

  • 高橋大輔(ポニーキャニオン、2010年2月3日)
  • 高橋大輔 Plus(ポニーキャニオン、2011年1月7日)
  • 高橋大輔×サムライ魂 ~天才たちの化学反応~(アニプレックス、2012年9月26日)
  • 高橋大輔 D1SK(ポニーキャニオン、2014年1月29日)

脚注[編集]

  1. ^ 『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p.15
  2. ^ 『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.86
  3. ^ 高橋大輔「フィギュアスケートとスポーツビジネス」(2007年度卒業論文抄録集)(『身体運動文化フォーラム』第3号、173頁(2008年3月、関西大学身体運動文化学会)所収)。髙橋大輔バンクーバー五輪 日本代表選手団プロフィール 2010年2月20日閲覧。
  4. ^ 2010年3位「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
  5. ^ 2011年6位『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
  6. ^ 2012年9位2012年 好きなスポーツ選手ランキング
  7. ^ 2013年好きなスポーツ選手ランキング2013年8位
  8. ^ フィギュア高橋大輔 引退の意向固める『NHK web news』2014年10月14日
  9. ^ a b c d e 日本男子フィギュアスケートFanBook CuttingEdge2014より
  10. ^ 岡崎真「岡崎真のゼロからおぼえる新採点講座 第3回」『フィギュアスケートDays vol.3』DAI-X出版、2007年5月、pp.84-85
  11. ^ a b 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p. 108
  12. ^ 『氷上のアーティストたち』p.140
  13. ^ モロゾフは、髙橋のことを「頭ではなく、ハートで滑っている」「彼こそが、氷上のアーティスト」と評した。青嶋ひろの「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.100-102
  14. ^ 『誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術』荒川静香、より
  15. ^ 『Cutting Edge 2008』p.7
  16. ^ 『日本経済新聞』2011年12月8日
  17. ^ バンクーバー五輪のフリー以降、フリップやルッツがエラーエッジ判定を受けていたが、2011/2012シーズンに矯正に成功している
  18. ^ 「大ちゃんはチャンプ」広島青山がエール”. ニッカンスポーツ (2014年2月14日). 2014年2月22日閲覧。
  19. ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.140
  20. ^ 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.7
  21. ^ 『Cutting Edge』p.8
  22. ^ 城田憲子の「フィギュアの世界」~日本のメダリストのコーチたち~長光歌子編(2)(スポーツ報知 2011年10月6日)
  23. ^ 『Cutting Edge』p.4, 11、『氷上のアーティストたち』pp.145-148
  24. ^ 『Cutting Edge』p.6
  25. ^ 『COLORS』p.85
  26. ^ 『ワールドフィギュアスケート vol.21』より
  27. ^ 従来の最高位は1977年の佐野稔、2002年・2003年の本田武史の銅メダル
  28. ^ 「4回転論争」に思う、高橋大輔の存在 世界選手権『Sportiva』2008年03月24日
  29. ^ モロゾフが再び高橋大輔の元に――。 衝撃のチーム再結成の真相とは?『Number web』2012年6月18日
  30. ^ 『朝日新聞』2012年6月15日
  31. ^ NIKKEI NETフィギュアの高橋大輔、靱帯断裂の疑い、共同通信配信記事
  32. ^ a b 『パーフェクトプログラム』p. 109
  33. ^ 「皆様へ」『 - 高橋大輔からのメッセージ』2008年11月18日更新
  34. ^ 青嶋ひろの「試合を見て、まず感じたのはその場に居られない悔しさ」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.8-10
  35. ^ 高橋大今季絶望 右膝手術へ『朝日新聞』2008年11月18日付朝刊、14版、17面
  36. ^ 高橋大輔がアイスショー出演へ負傷後初の演技披露『47news』2009年7月23日更新、28日閲覧
  37. ^ a b c 『パーフェクトプログラム』p. 110
  38. ^ 『朝日新聞 夕刊「be」』2010年6月28日
  39. ^ バンクーバー五輪・フリーのプロトコル
  40. ^ 高橋が銅メダル!日本男子初の快挙 - SANSPO.COM 2010年2月19日閲覧
  41. ^ 2010年世界選手権フリーの採点詳細
  42. ^ 『cutting edge 2010/2011』p56
  43. ^ 高橋4位に「脚にきていた」/フィギュア
  44. ^ 高橋「緊張感に負けたのかも」/フィギュア『産経スポーツ』2010.12.24 23:11
  45. ^ 『sportive』2011年4月29日
  46. ^ Takahashi s'entraîne à Lyon『sport.fr』2011年8月12日
  47. ^ 『聖教新聞』2011年11月16日発行、第9面より
  48. ^ 高橋大輔のコーチ陣にモロゾフ氏『産経ニュース』2012年6月16日
  49. ^ 髙橋大輔選手「グランプリファイナル」欠場について
  50. ^ “【フィギュア】大輔、流血5位 涙で「たぶん最後の演技」”. スポーツ報知. (2013年12月23日). http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/winter/news/20131223-OHT1T00023.htm 2014年2月6日閲覧。 
  51. ^ “フィギュア:涙の高橋大輔に一転、歓喜の知らせ”. 毎日新聞. (2013年12月24日). http://mainichi.jp/sports/news/20131224k0000m050097000c.html 2014年2月6日閲覧。 
  52. ^ “フィギュア:高橋、満場一致で五輪選出 小塚と比較”. 毎日新聞. (2013年12月24日). http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20131224k0000m050115000c.html 2014年2月6日閲覧。 
  53. ^ “佐村河内さんの曲は別人の作 聴力失った作曲家、広島市出身の被爆2世”. MSN産経ニュース. (2014年2月5日). http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140205/ent14020507400000-n1.htm 2014年2月5日閲覧。 
  54. ^ a b 高橋大輔SP曲の作曲者名削除 日刊スポーツ 2014年2月8日
  55. ^ 週刊文春 2月13日号
  56. ^ 高橋大輔ソチ入り、佐村河内問題に苦笑デイリースポーツ 2014年2月9日
  57. ^ 高橋大輔、日本のエース完全燃焼 ソチ五輪男子フィギュア6位山陽新聞 2014年2月15日
  58. ^ このまま引退か…高橋大輔 世界選手権欠場スポニチ 2014年3月4日
  59. ^ 高橋大輔、1年休養を明言「今後について考えたい」
  60. ^ 東日本大震災の影響に伴い中止。
  61. ^ やりがいのあるビートルズ・メドレー 髙橋大輔
  62. ^ ソチ・オリンピック以前の大会では佐村河内守の作曲とされていた。
  63. ^ ISUによるバイオグラフィーより
  64. ^ ISUによるバイオグラフィーより
  65. ^ ISUによるバイオグラフィーより
  66. ^ ISUによるバイオグラフィーより
  67. ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.8, p.13
  68. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 35』新書館、2008年12月、p.83
  69. ^ a b c d e f g h 「プログラムヒストリー」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.13
  70. ^ 『男子シングル読本』p.16
  71. ^ 『Cutting Edge 2007』p.85
  72. ^ 『Cutting Edge』p.89
  73. ^ a b 『男子シングル読本』p.13
  1. ^ モロゾフの織田へのコーチ就任は高橋には寝耳に水だった。二人は相談した結果、「ライバルの織田と同じコーチではできない」として契約を解消するに至った。なお、モロゾフはこの契約の1年以上前から織田にオファーを出し続けていた。その後、モロゾフは高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張し、「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、世界中のメディアに繰り返し主張、「自分なしではダイスケはどこにも行けない」とも発言していた。だが、2011-2012シーズン終了後にモロゾフが高橋にコーチ就任をオファーし、再契約するに至った。当時を振り返り高橋は「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」とコメントし、モロゾフは「4年前のことは申し訳なく思っていた。彼はフィギュア史に残る選手。自分の全てを注いで、彼の五輪メダル獲得に協力したい」とコメントしている[29][30]

外部リンク[編集]