高橋俊昌
|
たかはし としまさ
高橋 俊昌 |
|
|---|---|
| 生誕 | 1958年8月7日 |
| 死没 | 2003年1月24日(満44歳没) |
| 出身校 | 早稲田大学 |
| 職業 | 会社員、漫画雑誌編集者 |
高橋 俊昌(たかはし としまさ、1958年8月7日 - 2003年1月24日)は、集英社に所属していた漫画雑誌編集者。同社発刊の少年雑誌『週刊少年ジャンプ』第7代編集長。大分県出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1981年(昭和56年)に、早稲田大学を卒業して、集英社に入社し、『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属された。
[編集] 『少年ジャンプ』内での活躍
『ついでにとんちんかん』のコミックの中で、“高橋氏”のキャラクターとして頻繁に登場し、このキャラで『ジャンプ』の読者から大いに愛され印象を付けた。また、『死神くん』の中でもエキストラとして出ている。
『きまぐれオレンジ☆ロード』のコミックの中でも、締切が近いのになかなか原稿が描けないスランプ状態のまつもと泉に対し、業を煮やした高橋が原稿仕上げの催促をするために登場するシーンがある。ここでは当時2人の間で実際にあったとされるやり取りが、軽妙なテンポで描かれている。
さらには木多康昭の『幕張』でも主人公の高校の柔道部の生徒“鷹橋昌俊”として登場。この時は鳥嶋和彦も“嶋鳥和彦”として登場している。
江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』においては、作者自身である江口"Candy"寿史の担当を務める“高橋"トド"俊昌”として登場。終盤では過労と精神ショックが原因で死去していることが示唆されていた。
彼の『週刊少年ジャンプ』編集者としてのスタンス、功績としては当時の『週刊少年ジャンプ』の主流であった編集長西村繁男などの方針である硬派路線に反し、美少女を描ける作家であったまつもと、富沢、萩原、冨樫、などを次々発掘し続けたところにある。鳥嶋とともに『Vジャンプ』創刊にも携わった。
[編集] 編集長就任、そして突然の死
2001年(平成13年)に『週刊少年ジャンプ』の編集長へ就任。前任の鳥嶋編集長同様、同誌に連載されている漫画作品のメディアミックスを精力的に推し進め、発行部数で『週刊少年マガジン』を逆転し、『ジャンプ』を首位の座に返り咲かせる。
2003年(平成15年)1月24日、午後3時から東京湾内のクルーズ客船上で催された同誌『ONE PIECE』のアニメ映画作品『ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険』の製作発表会見に出席した際、その席上で突然倒れ、そのまま会見は中止されて急遽帰港、救急車で聖路加国際病院に搬送されたものの同日午後4時51分に死去。死因はクモ膜下出血であった。
編集長急死という事態に伴い、『週刊少年ジャンプ』2003年11号巻末の目次頁をとって追悼の記事を載せ、集英社第3編集部長兼週刊ジャンプ発行人となっていた鳥嶋によるコメントが掲載された。またこの号は鳥嶋が編集長兼発行人として暫定的に仕切った。作者コメント欄では連載作家全員が追悼のコメントを出している。
「週刊少年ジャンプ#歴代の編集長」も参照
2003年12号からは編集長職は先輩である茨木政彦が引き継いでいる。
[編集] 担当
- キン肉マン(ゆでたまご)
- ストップ!! ひばりくん!(江口寿史)
- きまぐれオレンジ☆ロード(まつもと泉)
- ガクエン情報部H.I.P.(富沢順)
- ついでにとんちんかん(えんどコイチ)
- BASTARD!! -暗黒の破壊神-(萩原一至)
- てんで性悪キューピッド、幽☆遊☆白書(冨樫義博)
|
|||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||