高梨澄頼

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高梨澄頼
時代 戦国時代
生誕 延徳4年(1492年
死没 天文16年(1547年
氏族 清和源氏満季流高梨氏
父母 父:高梨政盛、母:不明
兄弟 女子(中条藤資正室)
正室:長尾能景の娘
政頼於フ子村上義清側室)

高梨 澄頼(たかなし すみより)は、戦国時代の武将。信濃中野を拠点とする高梨家の当主。高梨氏の全盛期を築いた高梨政盛の子。

概要[編集]

元服の際には、家の慣例によって将軍足利義澄より偏諱の授与を受けて澄頼と名乗る。その後の永正10年(1513年)、父の政盛の死去に伴い家督を継いだ。

高梨氏は隣国の越後守護代を務める長尾氏と古くから縁戚関係があったが、政盛の死後まもなく長尾為景守護上杉定実との対立が激化する。近隣の島津貞忠井上一族須田氏などが上杉方に与する中、澄頼は長尾方に味方したため孤立し、さらに善光寺平を北上しつつあった村上氏の圧迫を受け、その勢力は減退した。

上杉定実を抑えた長尾為景の援助の下、高梨氏が勢力を回復するのは大永4年(1524年)のことであり、そのときの高梨氏の当主は澄頼の子の政頼となっている。

関連項目[編集]


先代:
高梨政盛
高梨家当主
1513 - ?
次代:
高梨政頼