高根真象

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高根真象
時代 平安時代初期
生誕 天平勝宝8歳(756年
死没 天長8年3月8日831年4月23日
官位 従四位下丹波守
主君 嵯峨天皇淳和天皇
氏族 広階宿禰→高根朝臣
父母 父:広階虫麻呂
諸継、諸象、成象、女子
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高根 真象(たかね の まきさ)は、平安時代初期の貴族氏姓は広階、のち広階宿禰、高根朝臣従五位下・広階虫麻呂の子。官位従四位下丹波守

出自[編集]

広階氏(広階連)は、曹植の後裔とする中国渡来氏族[1]。元は上村主姓であったが、延暦5年(786年)以降に広階連に改姓したと想定される[2]

経歴[編集]

弘仁8年(817年従五位下に叙せられ、翌弘仁9年(818年造酒正に任ぜられる。

弘仁14年(823年淳和天皇の即位に伴い内位の従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年正五位下と淳和朝で順調に昇進を果たす一方、美濃介丹波介・丹波守と近国の地方官を歴任した。またこの間、天長元年(824年)連姓から宿禰姓に、天長3年(826年)広階宿禰姓から高根朝臣姓に改姓している。

天長8年(831年)3月8日に従四位下に昇叙されるが、即日卒去。享年76。最終官位は丹波守従四位下。

人物[編集]

恭しく謹み深く、物事の是非や善悪を弁える性格であった。地方官としては、厳しく取り締まって不正を正すとの評判であったという。淳和天皇の皇太子時代からの旧臣として従四位下に叙せられた[3]

官歴[編集]

日本後紀』による。

系譜[編集]

  • 父:広階虫麻呂[3]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:高根諸継[4]
    • 男子:高根諸象[4]
    • 男子:高根成象[4]
    • 女子:[4]

脚注[編集]

  1. ^ 新撰姓氏録』右京諸蕃上
  2. ^ 佐伯有清[1994: 392]
  3. ^ a b 『日本後紀』天長8年3月8日条
  4. ^ a b c d 鈴木真年『百家系図稿』巻9

参考文献[編集]