高定

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高 定(こう てい、? - 224年)は、後漢末期から三国時代にかけての(蜀漢)の人物[1]

越嶲郡の出身で、タイ系叟族酋長。軍を率いて越嶲太守の焦璜を殺害、雍闓と呼応して蜀漢に謀反を起こした。しかし李平に敗れた挙句、雍闓との間に内訌を起こし、部下に命じて雍闓を殺害した。

その後、高定は諸葛亮李恢が率いる蜀漢軍と戦うも再び敗北、捕らえられて晒し首に処された。高定の部下はこの処断に憤激し、その後もしばしば蜀漢に対して造反を起こし、その度に李恢が鎮圧した。

[編集] 演義での高定

三国志演義』では、越嶲太守として登場する。彼の部下・鄂煥が諸葛亮の捕虜となり、諸葛亮の「離間の策」によって雍闓と朱褒の仲は裂かれ、雍闓は鄂煥に討たれる。その後、高定は諸葛亮に帰順するも諸葛亮に疑われ、朱褒の首級を取ってくるよう命じられる。高定は命令に従って朱褒を攻め滅ぼし、その功績から益州三郡を任せられる設定となっている。

[編集] 脚注

  1. ^ 華陽国志』では「高定元」。
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