高保融

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貞懿王 高保融
荊南
第3代王
王朝 荊南
在位期間 948年 - 960年
姓・諱 高保融
徳長
諡号 貞懿王
生年 貞明6年(920年
没年 建隆元年(960年
文献王

高 保融(こう ほゆう)は十国荊南の第3代王。文献王高従誨の三男。

生涯[編集]

乾祐元年(948年)、南平王であった文献王が死去すると、その地位を継ぎ、後漢隠帝より荊南節度使同平章事侍中に封じられた。そして広順元年(951年)には後周太祖より渤海郡王に、顕徳元年(954年)には南平王に封じられた。

史書によれば貞懿王は凡庸であり、朝政の重大事は全て十弟の高保勗に委ねていた。趙匡胤を建国した建隆元年(960年)には、その国勢を恐れ1年に3度も朝貢の使者を派遣している。同年41歳で病没すると、太尉と貞懿王の号を贈られた。長男の高継沖が幼少であったため、高保勗がその地位を継承した。