騎兵第1旅団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
騎兵第1旅団
Narasinokihei,Narasino.jpg
習志野騎兵旅団全景。一番手前は陸軍病院、隣のブロックが騎兵13・14連隊、街道を挟んだ奥が騎兵15・16連隊。
創設 1902年明治35年)
廃止 1942年昭和17年)10月
所属政体 Flag of Japan.svg大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 旅団
兵科 騎兵
兵種/任務/特性 自動車化歩兵(1939~)
所在地 日本-満州-日本-満州-北支
編成地 習志野
最終位置 北支
主な戦歴 日露戦争-満州事変-日中戦争-第二次世界大戦
テンプレートを表示

騎兵第1旅団 (きへいだいいちりょだん)は、現在の千葉県船橋市三山および習志野市大久保地区に、かつてあった騎兵旅団である。「騎兵の町・軍郷習志野」を象徴する存在の1つである。

目次

[編集] 概要

旅団は旅団司令部騎兵第13連隊及び騎兵第14連隊によって構成されており、平時は近衛師団に属し近衛騎兵連隊を隷下に加えられていた(※両騎兵連隊の編制は平時は5中隊、戦時は4中隊)。日露戦争の折には、秋山好古旅団長の指揮下で秋山支隊の基幹部隊となり、当時最強と言われたロシア帝国コサック騎兵部隊を撃破するなど大いに活躍したことで有名である。この出来事は習志野の地名を全国に広めるきっかけとなった。「騎兵の町・軍郷習志野」を象徴する存在の一つ。なお、現在、騎兵13連隊跡地には東邦大学習志野キャンパスが、そして14連隊跡地には、日本大学生産工学部津田沼キャンパスが立地している。旅団司令部、連隊司令部跡地は八幡公園になっており、1976年に建立された『習志野騎兵旅団発祥の地』の碑がある。

[編集] 沿革

  • 1899年(明治32年) 習志野の高津廠舎を仮兵舎として発足。
  • 1901年(明治34年)
    • 11月20日 旅団司令部が千葉郡津田沼村大字大久保新田の騎兵第13連隊営内に開庁し事務を開始[1]
    • 12月19日 騎兵第13連隊・騎兵第14連隊に軍旗が授与。
  • 1902年(明治35年) 大久保にて編成完了。
    • 4月2日 旅団司令部が津田沼村大字大久保新田の新築舎に移転[2]
  • 1923年(大正11年) 軍備整理により1個中隊を減じ、平時4個中隊となる。
  • 1932年(昭和7年)6月 満州事変出動時には旅団機関銃隊(1中隊16丁)、騎砲兵中隊(4門)を加えて戦時編制を整備。さらに別に試験として装甲自動車中隊(装甲車7両、自動貨車若干)を加える。両連隊は留守隊として各1中隊を内地に残し3中隊編制で出動。
  • 1933年(昭和8年) 装甲自動車中隊は正式に編制化され旅団自動車隊となる。騎兵第1旅団、騎兵第4旅団を統合して騎兵集団を編成。
  • 1934年(昭和9年) 満州常駐部隊となり留守隊は廃止され、これを招致して両連隊は4個中隊となる。
  • 1935年(昭和10年) 旅団の騎砲兵中隊及び装甲自動車中隊は騎兵集団の直轄となる。
  • 1936年(昭和11年) 編制改正により両騎兵連隊に機関銃中隊が新設される。
  • 1938年(昭和13年)6月 北支に出動。
  • 1939年(昭和14年)2月 騎兵集団司令部と共に蒙彊に移る。10月、旅団各隊は自動車編成に改編、更に騎兵第71連隊(自動車編成の4中隊・機関銃中隊)が増加される。
  • 1942年(昭和17年)10月 旅団解隊。各部隊は戦車第3師団の部隊に改編される。

[編集] 歴代騎兵第1旅団長(少将)

[編集] 各連隊歴代部隊長

[編集] 第13連隊

[編集] 第14連隊

[編集] 交通

[編集] 脚注

  1. ^ 『官報』第5520号、明治34年11月26日。
  2. ^ 『官報』第5623号、明治35年4月7日。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献