馮正虎

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日本での馮正虎。シャツにはアピール文が書いてある

馮正虎(ひょう せいこ、フォン・チョンフー、簡体字冯正虎, 拼音: Féng Zhènghǔ, 1954年7月1日-)は中国上海出身の人権活動家

中国政府に入国を拒否されたため、2009年11月から2010年2月3日まで成田国際空港制限エリア内で寝泊まりを続けた。

人権活動[編集]

馮は1980年代に中国国内で会社の経営や民間の研究機関である中国企業発展研究所の所長をつとめていた。1989年5月人民解放軍による民主化運動の弾圧を批判する声明を発表したため、当局の監視下に置かれた。それ以後は逮捕され、2001年から2003年まで服役した。それ以後は中国、日本において活動を続けている。2009年6月に中国に帰国しようとしたところ、中国当局から帰国を拒否されたのを始めに以後8回にわたって入国拒否が続いた[1]

成田空港内での居住[編集]

馮の旅券は3年間有効で、日本の在留許可・再上陸許可は2010年6月まで有効である[2]。日本では、日本人と結婚千葉県内に住む妹の家に世話になっていた。2009年11月に中国への帰国を試みるが、上陸を拒否され日本に送還された。その後、中国政府への抗議として、日本への上陸申請を拒み、成田空港の制限エリア内での生活を始めた。

馮は「私は中国国民だ。帰れないのはおかしい」、「4日夜から寝てないが、中国の法律と人権を守るためにも、一生懸命頑張る」と主張した。この抗議活動は日本だけでなく、ヨーロッパや香港などのメディアの関心も集めた。

制限エリア内には外部から食料を持ち込むことができず、馮は日本の家族から食料や下着などの差し入れを受けたほか、通りがかりの旅行者からも時折物的支援を受けた。また、運送責任がある航空会社チベット独立を支援する香港の学生活動家などからの支援もあったという[3]Twitterのフォロワーは1万4000人にも達した[4]

通常、旅客便の離発着のない夜間早朝は、制限エリア内は入管職員が無人となるが、馮がいつでも上陸できるようにとの配慮で、東京入国管理局成田空港支局では、24時間体制で職員が待機した。また、毎日入管の職員が日本への上陸を促す文書を馮に手渡していた[5]

中国大使館の関係者が馮の帰国を許可する意向を伝えてきたとして、2010年2月2日に抗議運動の終了を表明。いったん日本に入国後、妹の自宅に身を寄せ、再び中国への帰国を試みた[4]

上海万博での身柄拘束[編集]

2010年5月、馮正虎が上海万博の会場を訪れたところ、中華人民共和国公安部当局に身柄を拘束され、3日間にわたって監禁された。公安当局は会場内での抗議活動を警戒したとみられる[6]2013年9月「馮正虎的Twitter(2010-2013)」を電子ブックで日中展望出版社から発行。

参照[編集]

  1. ^ http://www.jiji.com/jc/zc?k=200911/2009110501011
  2. ^ http://www.asahi.com/national/update/1112/TKY200911120270.html
  3. ^ http://www.afpbb.com/article/politics/2663513/4906285
  4. ^ a b “成田の空港生活92日、中国人権活動家帰国へ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年2月3日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100203-OYT1T00740.htm 2010年2月3日閲覧。 
  5. ^ http://www.jiji.com/jc/zc?k=200911/2009110501011
  6. ^ 【外信コラム】上海余話 「オタク反抗軍」はNG? - MSN産経ニュース - MSN産経ニュース2010年5月31日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]