馮子材
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馮 子材(ふう しざい、Feng Zicai、1818年 ‐ 1903年)。馮子才とも書く。字は翠亭。清の軍人。
広東省欽州(現在の広西チワン族自治区)出身。初め向栄の部隊に属し、太平天国軍と戦った。後に張国樑の部に配属され、副将に昇進し、鎮江に駐屯した。第二次江南大営戦役で張国樑が落命すると、その軍をとりまとめて総兵に昇進した。鎮江に駐屯して6年、百余回の攻撃を受けたが、ことごとく撃退した。太平天国の平定後、広西提督として貴州省のミャオ族の反乱鎮圧の応援にあたった。
その後引退していたが、1884年に清仏戦争が発生すると広西提督に再起用され、ベトナム北部での戦いにあたった。1885年の鎮南関の戦いでは重火器をそろえたフランス軍に対し、矛をもって接近戦を仕掛けて大勝をおさめた。清仏戦争終結後は雲南提督となった。
1894年に日清戦争が発生すると、江南で旧部下を集めていたが、和議が成立したため帰った。1900年に義和団の乱がおこると兵を集めて北京に入ろうとしたが、光緒帝はその忠勇をほめて、これを止めた。
死後、勇毅の諡号が贈られた。
[編集] 出典
- 『清史稿』巻459・列伝246