馬込車両検修場

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馬込車両検修場(まごめしゃりょうけんしゅうじょう)は、東京都大田区にある都営地下鉄浅草線車両基地東京都交通局馬込庁舎もこの検修場内にあり、浅草線の中枢部として機能している。なお、検修場の正門には「東京都交通局 馬込車両基地」と表示されている。自局の5300形のほか、京成京急北総の各事業者の車両も留置する。

目次

[編集] 概要

1960年昭和35年)に浅草線が開業した当時は路線内に車両基地がなく、京成電鉄の協力で向島駅付近にある旧駅跡の土地を利用して向島検修区(収容車両数:28両)を設け、そこで工場業務と検車業務を実施していた。

その後、路線の延長で向島検修区だけでは車両収容数が不足するために京成電鉄高砂検車区内で将来的な拡張を予定していた敷地を東京都交通局が租借して検車業務を行った。収容数は80両と多く、馬込検車場完成までの暫定的な意味合いから3年 - 5年程度をめどに借りていた。

なお、当初は大門駅付近の交通局用地を使用して80両が収容できる地下式の車庫の建設を予定[1]していた(大門検修区)。これは路線のほぼ中央にあり、車両運用面で効率が良いことなどもあった。実際、全線開業時には 大門検修区と馬込検車場で受け持つ方針であった。しかし、計画変更で高砂検車区を設置したことや、用地が狭く将来的な8両編成の収容に問題があること、馬込検車場で充分に間に合うことなどからこの計画は1964年(昭和39年)に取りやめとなった。

その後、1968年(昭和43年)4月の馬込検車場開設に伴い高砂検修区を廃止、また翌1969年(昭和44年)6月、別敷地に馬込車両工場が開設したことで工場業務を行っていた向島検修区を廃止した。その後、2000年(平成12年)4月には馬込検車場と後述する馬込車両工場が統合され、馬込車両検修場が発足した。

都営浅草線(1号線)が開業した当時は大田区馬込付近に工場、検車業務のできる広大な土地を模索していたが、用地が確保できないことから工場と検車区が分離した状態となっていた。現在の敷地の一部は昭和30年代に力道山の邸宅が在った場所でもある。

[編集] 車両検修場内

浅草線の終点である西馬込駅は相対式ホームで、そのまま直進すると2本が留置線となっている。その途中に車両基地への単線連絡線あり、勾配を上がって車両検修場西側の地上部に出る。さらにそのまま直進して国道1号線沿いの高架橋上で引き上げ線となり、折り返して検修場への入庫する。これは敷地の都合上、本線と検修場の往復には一旦前後を変えなければ入出庫ができない構造である。

検修場内は西側に検車場建屋があり、建屋側より

  • レールセンター線・車輪転削線・検査1番線 - 5番線(検車場建屋)
  • 洗浄1番・洗浄2番線。洗浄台、自動洗浄機あり
  • 留置1番~7番線 1区と2区に分かれており、8両編成を2本縦列留置が可能
  • 試運転線 架線昇降装置とリアクションプレートがあり、浅草線車両と大江戸線両方が走行可能な線である
    • 架線昇降装置とは浅草線車両と大江戸線車両とでは架線の高さが異なるため、両線に対応できるよう架線の高さが変更できる設備である
    • その東側に新設された車両工場がある。その隣には総合庁舎と作業用車両の留置線がある。

なお、当初は留置線は1番 - 12番線まであり、8両編成を縦列に置くことで8両編成24本(192両)が収容可能であった。車両増備時には拡張工事によって13番 - 22番留置線を設けることで既設線を含め最大8両編成34本(272両)まで収容することを考慮していた[1]

[編集] 馬込車両工場

本検車場と合わせて国道1号線を挟んだ西馬込駅北方に馬込車両工場が開設された。馬込検車場より西馬込駅奥にある引き上げ線を挟んで地上に出る連絡線が設けられた。この連絡線には地下鉄線としては珍しく3か所に踏切が設けられ、同車両工場で長らく浅草線車両の重要部検査・全般検査を施工してきた。しかし、1990年代に入って施設の老朽化や車両を分割した検査方法では効率が悪く、さらに馬込検車場で軌間が同じ大江戸線車両の検査を予定した[2]ことなどから2002年から検車場内(現在の車両検修場)に新しい工場を造り、旧工場を廃止することになった。その後、2004年(平成14年)3月に新工場が完成したことで旧工場は閉鎖、2007年(平成19年)3月までに旧工場建屋は解体された。

旧工場では入場後に8両編成を4両ずつに分け、さらに工場内で1両ごとに分割、車体・台車を分離後に仮置きして整備をしていた。さらに設備の都合から出場は4両となっていた。

新工場では8両を一時的に4両に分割するが、検査ライン上に各試験機器を設置して流れ作業で検査・整備をする「ライン作業」方式を採用し、より効率的な作業が可能となっている。入場した車両は入出場線(W1線)と工場出場検査線(W2線)とで4両ずつに分けて、それぞれのラインで往路と復路で異なった作業が実施できる。検査対象の機器の一部は予備品を使用することで検査工期の短縮も可能である。当然ながら設備は浅草線用の5300形車両[3]と大江戸線用の12-000形車両、両形式を検査可能なように造られている。

なお、大江戸線車両の回送のために大江戸線汐留~浅草線新橋間付近には汐留連絡線が建設され、その完成を持って大江戸線12-000形の本検修所への入出場が可能となった。鉄輪式リニアモーター方式を採用する大江戸線車両は通常の軌道である浅草線内では自走不可能なため日本地下鉄史上初の電気機関車E5000形により無動力状態で牽引回送される。大規模な板金等はここで行うことが出来ず京急ファインテック東急車輛製造で行われる。

[編集] 沿革など

  • 1960年(昭和35年)10月 - 向島検修区完成(検車業務と工場業務を実施)
  • 1963年(昭和38年)2月5日 - 高砂検修区発足
  • 1968年(昭和43年)10月24日 - 馬込検車場発足、11月10日付けで高砂検修区を廃止
  • 1969年(昭和44年)6月1日 - 馬込車両工場発足、6月7日付けで向島検修区を廃止
  • 1986年(昭和61年)4月 - 都営12号線用の12-000形試作車を搬入し、各種試験を開始
  • 1988年(昭和63年)5月 - 10月まで12-000形試作車を使用して鉄輪式リニアモーター方式の試験実施
  • 1991年(平成3年)3月 - 5300形車両の新製により、検車設備に新形機器を導入
  • 2000年(平成12年)4月1日 - 馬込検車場と馬込車両工場を統合し、馬込車両検修場発足
  • 2000年(平成12年)5月 -  新車両工場施設の建設に伴う一連の工事を開始。2002年(平成14年)2月までに新総合庁舎を建設し、旧総合庁舎の解体と8番 - 12番留置線などを撤去
  • 2002年(平成14年)11月 - 新車両工場施設の建設、軌道の再整備などを開始
  • 2004年(平成16年)3月 - 新車両工場施設完成、これに伴う一連の工事を完了。また、同月末をもって旧馬込工場での検査業務を終了
  • 2004年(平成16年)5月 - 新工場での検査業務を開始
  • 2006年(平成18年)4月 - 大江戸線との汐留連絡線が開通、E5000形機関車が竣工。大江戸線車両の検査業務を開始
  • 2007年(平成19年)3月 - 旧馬込工場施設の解体工事を完了

[編集] 都営12号線(現・都営大江戸線)用車両の試験

1986年(昭和61年)4月に12号線(現・大江戸線)用の試作車12-000形を使用した各種試験が馬込検車場において開始された。これは12号線用に新しい設備・装置などを採用したことによる試験である。試験線となる10番留置線(現在は撤去、工場用地)にはATCATOなどの信号設備や剛体架線を仮設した。

その後、1988年(昭和63年)には鉄輪式リニアモーター式車両の試験を実施することになり、試作車の12-000形の改造に合わせて施設にはリアクションプレートなどが敷設された。この試験は同年5月~10月末まで実施され、12月には12号線へのリニアモーター方式が正式に決定した。なお、同車はその後豊島区に払い下げられ、千早フラワー公園にて静態保存されている。

[編集] イベント

  • 毎年行われる都営フェスタで2回この車両基地で開催された。2006年10月28日に行われた際、初めて大江戸線12-000形とE5000形・京成3200形北総7000形が展示された。
  • 2006年11月3日に行われた5200形さよなら運転では、西馬込到着後に留置線で関係者を対象とした撮影会が行われた。

[編集] 参考文献

  • 鉄道図書刊行会鉄道ピクトリアル」2001年5月号増刊「東京都営地下鉄特集」
  • 東京都交通局発行「都営地下鉄建設史 - 1号線 - 」
  • 東京都交通局発行「東京都交通局90年史」

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 東京都交通局発行「都営地下鉄建設史 - 1号線 - 」参照。
  2. ^ 大江戸線では当初、木場車両検修場に工場設備を予定したが、建設費用が1兆円を超えるなど費用面から中止となった。
  3. ^ 2006年に引退した5200形は設備の都合上、新工場での検査は考慮していない。

[編集] 関連項目