飯野賢治
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飯野 賢治(いいの けんじ、1970年5月5日 - )は、日本のゲームクリエイター。株式会社フロムイエロートゥオレンジ代表取締役社長。
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[編集] 略歴
- 幼少~学生時代
- 東京都荒川区出身。「賢治」という名前は『宮沢賢治』からとったと父親が語っていたとのこと[1]。英才教育の幼稚園に入るが、小学校2年で母親が失踪し、その後父親と2人暮しとなる。小学校3年の頃初めてパソコンを購入し、小学校5、6年の頃に作った『十和田湖殺人事件』がゲームコンテストに入賞した。城西大学付属川越高等学校を中退後、約1年のバイト生活を経て大検を受けるもあえなく失敗する。
- 1988年にゲーム制作会社有限会社インターリンクに入社する。
- 1989年にゲームの下請け会社EIMを設立。バンプレスト・HAL研究所等に営業活動を行う。また、この頃並行してゲーム専門学校の講師を務めていた。
- 1994年に株式会社ワープを設立。
- 1995年、代表作の『Dの食卓』(3DO版)が「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞。1997年にも画面表示一切無し、音だけでプレイするゲーム『リアルサウンド〜風のリグレット〜』の発売、人気脚本家坂元裕二を迎えて「300万本売れるRPG(仮題)」の製作予定を発表し話題になった。そのため一時期はゲームデザイナーの代表として積極的にマスコミに露出し、ラジオ番組のレギュラーを持つなど、時代の寵児的扱いを受けた。当時のノリは「企業というよりもバンド」と語っており、ゲームソフトの販売本数は多かったが、依然経営は苦しかったと自伝で語っている。
- 2000年、スーパーワープ設立、代表取締役社長に就任。しかし、その後はこれといったヒット作に恵まれず、スーパーワープも現在は社名をフロムイエロートゥオレンジに変えネットワークやIT関連の仕事をしている。
- 2003年、講談社発行の文芸誌「ファウスト」創刊号にて小説家デビューを果たした。
- 2004年、「朝日新聞」紙上にて行っていた10代向けの人生相談を終了。
- 2006年、引退していたと思われていたゲーム製作に復帰している事が、日本国外のメディアで報じられた[2]。Wii用ゲームソフトを製作中とされた。
- 2007年11月22日、「そろそろゲームのことを語ろうか。第1回『エネミー・ゼロ』 」で数年ぶりに自らのゲーム開発履歴を振り返るコメントを語った。
- 2008年8月25日、『moon』のクリエイターでもある有限会社Route24代表の西健一と共同開発したiPhone/iPod touch用App『newtonica』をリリース。発売直後に日本のApp Storeランキング1位となり、世界各国でもチャートインする。続編として、2008年12月に『newtonica2』、2009年1月に『newtonica2 resort』をリリース。
- 2009年3月26日、フロムイエロートゥオレンジ開発のWiiウェア『きみとぼくと立体。』を任天堂ブランドタイトルとして発表。飯野は企画・ディレクションを担当。
[編集] 趣味・嗜好
愛読書は、デカルト『方法序説』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、カント『純粋理性批判』、ニーチェ、ユング等、哲学に造詣が深い一面もある。
また、自分で作曲をすることもあり、音楽家のマイケル・ナイマンとも親交を持つ。各界の著名人にも面識が多く、堀江貴文などとも親交があるようである。由香夫人との間に2男。
[編集] 逸話
- 『エネミー・ゼロ』のプレイステーションからセガサターンへのプラットフォーム変更を、わざわざソニー・コンピュータエンタテインメント主催のイベント「プレイステーションエキスポ」で電撃発表。プレイステーションのPSマークがセガサターンのSマークにモーフィング変形するという挑発的な演出だった。
- 『風のリグレット』を酷評した「ファミ通」のクロスレビューを批判し「このゲームを評価するなら10点満点か評価不能のどちらかにしろ」と発言、ファミ通編集部と対立した。発言のニュアンスとしては、「ゲームの評価は極端にハマる人もいれば極端に合わない人もいる。このジャンルが極端に合う価値観の人だっているはずであり、そういう人にこのレビュー方式では面白さを伝えられない。」という意味である[要出典]。
- かつては、編集者と、「減量」やトレードマークだった「ロン毛を切る」等を賭けてサッカーゲーム対決をしていた。「飯野の指を醤油につけて編集者が食べてみる」という無茶な企画にも割りとノリ気で参加していた。しかし前述のクロスレビューの件からこういう企画は無くなっていった。
- ゲーム専門誌の『エネミーゼロ』特集記事で、任天堂の宮本茂を評して「宮本さんは所詮2Dまでの人。3Dはもうダメかな。」と発言。また、雑誌での宮本との対談にて、プレイヤーとして飯野には満足できなかった『スーパーマリオ64』の評価を本人に直接行った。険悪な感じではなく、かねてから敬意を表し、一ファンとして期待していた宮本の新作への違和感を述べたものである。それに対して宮本は「どんどん言ってください。参考になります。」と答えていた。後者は『飯野賢治の本』に詳細が記されており、飯野は『マリオ64』開発途上版の自由さを絶賛しており、製品版はスター集めゲームになってしまい残念と語った。宮本は「そういうのは飯野君や飯田君が頑張ったら?」として、9,800円を払ってもらう責任を考えれば、製品版の方が遊べる物になっていると答えた[3]。後に宮本が開発した『ゼルダの伝説 時のオカリナ』で宮本の3Dゲームデザイン能力を絶賛し、『スーパーマリオギャラクシー』が発売した際には「『マリオ』がいる限り『ゲーム』という文化は無くならない」と賞賛している。
- 現ゲームリパブリック社長岡本吉起には、話の流れで「お前だけは二流」と言われている。
- 1998年、『伊集院光深夜の馬鹿力』にゲスト出演した際、「気違い」という言葉を使ってしまい、謝罪した。
- ワープ設立後「キャラ(版権モノ)、続編、移植(アーケード移植)」をゲーム三大悪と語り、一時は8割がどれかだったとして、新作の重要さを訴えていた。飯野自身、下請けとしてのウルトラマンのゲーム化が、ゲームデザイナーとしての初仕事である。ワープ時代は基本的に新作を製作していたが、『Dの食卓』の続編『Dの食卓2』(『D2』)を作った。飯野は「『D2』であることも狙い」だとしており、前作との関連性はほとんど存在しない。また、セガサターンの『エネミー・ゼロ』が、ほぼ別物ながらセガによりパソコンに移植されるなどした。
- 音楽も彼を語る際には外せないキーワードである。小学生の時にYMO登場に衝撃を受け、電子音楽を始めたくてパソコンを買ったのがプログラマーとしての始まりだった。10代の時にはバンドのキーボード奏者としてライブをし、ゲーム会社に就職して最初にした仕事もゲーム音楽の製作である。その後も音楽雑誌「BUZZ」に連載を持ち、『D2』発売時は海外の有名ミュージシャンを招聘したクラブイベントを開催した。現在も時々DJとしてイベント等に出演することがある。元LUNA SEAのSUGIZOと共にライブを行ったこともある。好きなミュージシャンとして真っ先に挙げるのはYMOとビートルズ。また、ポップスだけでなく、テクノ、クラシック、ジャズなど様々なジャンルに精通している。
- かつてラジオ番組を行っていた時には小島秀夫等のゲームクリエイターだけでなく、戸川純、平沢進らのミュージシャンまでもをゲストとして招いていた。
- 『ゲーム批評』で、スクウェアの「引き抜き」行為に対して、引き抜いた人数が多い事、開発ゲーム途中の社員を引き抜いた事を痛烈に批判していた。
- テレビ番組の企画でIQテストに参加し、様々な項目で満点もしくは高得点を獲得しており、知能指数の高さを見せ付けた。
- 『ダウンタウン・セブン』の1コーナー「怒れ! 熱き日本人」に出場した。これは自分の考えた企画・計画をプレゼンテーションし、その企画に100人いる一般観覧者のうち51人以上が納得すれば賞金100万円を獲得するというコーナーである。飯野は自身の趣味である海外旅行を生かし、『笑顔で出国「スカイランド」計画』を提案。話術巧みにプレゼンテーションを行い、一般観覧者たちの賛同を得て、見事に100万円を獲得した。なお、その放送は2003年に行われ、当時最後の作品『D2』の発売から3年以上経っていたが、職業は「ゲームクリエイター」と紹介されていた。
- Macintoshを愛用しており、Windowsのデザイン性などを強く批判している。
- 坂本龍一が主催している「おやすみなさい柏崎刈羽原発」の賛同者となっている。
- 現在はtwitterを頻繁に利用している。そのtwitter上で「NORWAY」というバンドを結成。直接会ったことも無いメンバーもいる中、お互いの音楽ファイルを交換しながら製作した楽曲を公開し話題になった。「NORWAY」のメンバーは浅岡雄也、HISASHI、AOKI takamasa等。[4]
[編集] 関連作品(ゲーム)
英語版Wikipediaのページも参照のこと。
- ウルトラマン倶楽部2 帰ってきたウルトラマン倶楽部(FC) 1990.4.7
- たいむゾーン(FC) 1991.10.25
- わんぱくコックンのグルメワールド(FC) 1992.4.24
- 宇宙生物フロポン君(3DO) 1994.8.6
- 突撃機関メガダす!!(3DO) 1994.12.16
- Dの食卓(3DO) 1995.4.1
- 宇宙生物フロポン君P!(PS) 1995.3.31
- おやじハンターマージャン(3DO) 1995.7.14
- Dの食卓(SS) 1995.7.28
- フロポンワールド(仮称)(3DO) 1995.9.14
- Dの食卓 コンプリートグラフィックス(PS) 1995.12.1
- Dの食卓 ディレクターズカット(3DO) 1996.1.1
- ショートワープ(3DO) 1996.1.15
- エネミー・ゼロ(SS) 1996.12.13
- リアルサウンド 〜風のリグレット〜(SS) 1997.7.18
- エネミー・ゼロ(PC) 1998.11.28
- リアルサウンド 〜風のリグレット〜(DC) 1999.3.11
- Dの食卓2(DC) 1999.12.23
- セガラリー2(DC) 音楽を担当
- newtonica(iPhone/iPod touch) 2008.8.25
- newtonica2(iPhone/iPod touch) 2008.12.2
- newtonica2 resort(iPhone/iPod touch) 2009.1.3
- きみとぼくと立体。(wiiウェア) 2009.3.26
[編集] 関連作品(書籍)
- 『ゲーム Super 27 Years Life』 講談社 1997.7
- 『ゲームを変えた男 飯野賢治 EO事件の真相』 中田宏之編 メディアファクトリー 1997.12
- 『新・学生時代に何を学ぶべきか』 講談社 1998.2
- 『スーパーヒットゲーム学』 扶桑社 1998.6
- 『トップランナー Vol.2』 NHK「トップランナー」製作班 KTC中央出版 1998.5
- 『ワープ会社案内』 飯野賢治+ワープ著 北都 1998.2
- 『2003 飯野賢治対談集』 ソニー・マガジンズ 1999.3
- 『飯野賢治の本』 マイクロデザイン編
- 『ティーンズメール subject:わたしの気持ち』 朝日新聞学芸部編 教育史料出版会 2003.4
- 『レッドブック ワルツの雨 RE』 清涼院流水、飯野賢治共著 幻冬舎 2006.12
- 『息子へ。』 幻冬舎 2011.5
[編集] 出演
- ナイトワープ ENO@HOME(TOKYO FM、1997年頃)
- トップランナー(NHK、1997年6月27日)
- 今夜は恋人気分 とっておき夫婦物語(NHK)
- エネミー・ゼロTVCM
- ゲームの惑星(MBS、HTB)1997年9月30日-1998年3月末頃まで放送