飯田哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯田 哲也
東京ヤクルトスワローズ No.85
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都調布市
生年月日 1968年5月18日(40歳)
身長
体重
173cm
72kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 中堅手
プロ入り 1986年 ドラフト4位
初出場 1989年4月12日 中日戦(神宮)
最終出場 2006年10月1日 ロッテ戦(宮城)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

飯田 哲也いいだ てつや1968年5月18日 - )は、元プロ野球選手東京都調布市出身。現在は東京ヤクルトスワローズ一軍外野守備走塁コーチ。ポジションは捕手二塁手外野手。右投げ右打ち。野村克也ID野球の象徴ともいえる選手であり、ID野球はIIDA野球の略とまで言われた。

目次

[編集] 来歴・人物

拓大紅陵高校では3年次に春夏連続して甲子園に出場。春の選抜大会では1試合で3盗塁を刺すなど強肩の捕手として注目された。1986年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。3年目に一軍に上がり、捕手として22試合に出場。翌1990年に不動の正捕手となる古田敦也が入団したため二塁手に転向し、前年新人王笘篠賢治からレギュラーを奪い、29盗塁を記録した。翌1991年にはジョニー・レイの入団に伴い中堅手に転向。俊足強肩の1番打者として、その後の5回のリーグ優勝に大きく貢献した。1992年には33盗塁で盗塁王を獲得、1997年には初の打率3割を記録した。この間、1991年から1997年まで7年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。

中堅手としての守備力は正に芸術的で、1993年の日本シリーズ第4戦、1対0で勝っていた8回表にノーバウンドのストライク返球という見事なバックホームで二塁走者の笘篠誠治(当時西武)の生還を阻止したプレーは、日本の球史に残る名場面として現在でも語り継がれている。東京ドームで外野フェンスを蹴って(いわゆる三角跳び)ホームランボールを取りかけたこともある。また、ホームラン性の打球を捕球しようと外野フェンスによじ登る姿は、神宮球場の名物であった。

1998年以降は自身の度重なるケガや真中満などの台頭もあって出場機会が減少。2004年にはわずか3試合の出場にとどまり戦力構想から外れたため、指導者への誘いも受けたが、新規参入した楽天に移籍し、現役を続行。2005年シーズン当初は低打率でパッとしなかったが、6月以降急上昇。徹底的に粘るしつこい打撃を見せ、まだまだ衰えていないところを見せ付けた。さすがに守備は往時の動きでなく、再三の故障で離脱も多かったが、打撃ではしぶとくファウルで逃げて投手を根負けさせる技術、左投手殺しの技術も冴えを見せ、沢村賞投手の杉内俊哉も打率5割超とカモにするなど更に巧味を増した。 2002年には、1994年から神宮球場に自費で少年野球選手を招待する飯田シートを設けた功績により、報知新聞社ゴールデンスピリット賞を受賞した。

私生活ではヤクルト時代に大東めぐみとの交際を憶測されたことがあったが、目立った女性の話はこれ位で、2003年まで独身を通した。2004年正月早々にミス広島選出及びレポーター活動歴があった女性と結婚、挙式の立会い人を同期入団・同い年の内藤尚行が務めたことも話題となった。

2006年9月16日福岡ソフトバンクホークス戦で和田毅投手から3年ぶりの本塁打を、9月24日のヤクルト時代の宿敵西武ライオンズ戦では2本の適時打を放ち、パリーグのプレーオフ戦線をかき回す活躍で健在をアピールしたが、この活躍を置き土産に9月30日現役引退を発表した。10月1日の最終戦は1番中堅手で先発出場。9回には思わず涙する場面も見られた。裏の攻撃では、直前の打者のリックの、「飯田さん、頑張るから(必ず打席をまわすから)」との言葉に思わず涙が込み上げてきたと会見で語っているが、そのリックが凡退してゲームセットとなり、残念ながらネクストバッターサークルの飯田に打席は回ってこなかった。 2007年からは古巣であるヤクルトの2軍外野守備走塁コーチに就任。2007年11月2日に1軍外野守備走塁コーチへ昇格を果たした。

[編集] 年度別打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最多数字
年度 チーム 背番号



































(順位)
1987年 ヤクルト 58 1軍出場なし
1988年 1軍出場なし
1989年 22 9 5 1 1 0 0 2 0 1 1 1 0 1 0 5 0 .111
1990年 117 441 69 123 15 6 6 168 33 29 16 8 1 28 6 66 5 .279(22)
1991年 2 107 298 39 72 8 3 4 98 26 15 8 9 4 27 0 51 2 .242
1992年 125 521 69 153 24 8 7 214 42 33 4 9 2 39 3 83 5 .294(11)
1993年 103 244 35 53 7 2 2 70 21 11 3 7 2 26 0 49 4 .217
1994年 117 458 57 133 19 4 3 169 37 30 14 6 4 34 1 54 6 .290(14)
1995年 130 522 78 132 19 7 7 186 31 35 8 7 3 46 4 74 8 .253(26)
1996年 105 424 62 123 19 3 6 166 37 13 9 11 2 23 1 66 4 .290(23)
1997年 108 421 62 129 15 7 3 167 37 26 10 11 3 23 6 43 4 .306(8)
1998年 96 286 41 81 11 1 1 97 28 9 4 7 1 21 2 35 6 .283
1999年 72 124 16 26 5 0 0 31 3 11 0 2 0 9 1 22 3 .210
2000年 102 190 31 48 7 1 4 69 15 7 6 7 0 21 1 41 1 .253
2001年 105 187 32 55 10 0 1 68 9 6 1 6 1 18 0 31 3 .294
2002年 33 58 8 11 1 0 0 12 2 1 1 0 1 1 0 14 2 .190
2003年 66 156 26 41 8 0 3 58 17 3 2 8 1 15 0 31 2 .263
2004年 3 10 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 1 4 0 .100
2005年 楽天 54 127 11 42 4 0 0 46 15 2 3 4 1 4 0 18 5 .331
2006年 40 88 7 24 1 0 1 28 9 2 2 3 0 8 0 13 2 .273
通算成績 1505 4564 648 1248 174 42 48 1655 363 234 92 106 26 344 26 700 62 .273
  • 初出場 1989年4月12日中日戦(神宮) 12回杉浦の代走
  • 初打席 1989年4月14日大洋戦(横浜) 9回、大門から三振
  • 初盗塁 1989年4月25日巨人戦(神宮) 10回に二盗
  • 初安打 1989年6月17日広島戦(前橋) 長冨から二塁打
  • 初打点・初本塁打 1990年4月21日広島戦(広島) 6回、川口からソロ

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] 背番号

[編集] スポーツマンNo.1決定戦での活躍

  • 1995年1月1日:第1回プロスポーツマン大会の総合No.1に輝いた。「モンスターボックス」では当時のプロスポーツマン記録である「16段」を記録。スピード種目である「ダッシュ」と「ビーチフラッグス」では自慢の足を活かしNo.1を獲得している。
  • 1996年には「ダッシュ」でのみNo.1を獲得している。
  • 1997年:当時、まだ無名だった松井稼頭央(当時、西武ライオンズ)に決勝で破れ「ダッシュ」の3連覇を逃した。
  • 1999年:最終種目の「ショット・ガン・タッチ」で当時の世界記録「13m20cm」(前年、広島東洋カープ緒方孝市が樹立)を成功させ、アメフトの河口正史を抜いて大逆転の総合No.1に輝いた(返り咲き総合No.1は番組史上、初の出来事である)。その後、「13m30cm」を成功させて当時の世界新記録を樹立した。
  • 2000年アメフト河口正史を抑えて5年振りに「ビーチフラッグス」でNo.1に輝く。最終種目の「ショット・ガン・タッチ」では「12m90cm」という記録に終わったが、ケイン・コスギ岩村明憲と並び、2年連続でこの種目のNo.1に輝いた。
  • 2006年:選手として出場はしていないがコロッセオに6年ぶりに観戦という形で登場した。スワローズで同僚だった青木宣親にアドバイスを送っていた(その青木は神戸製鋼大畑大介2002年に樹立した「13m50cm」の記録を抜き、「13m60cm」の世界記録を樹立した)。

[編集] 関連項目

先代:
野村謙二郎
セ・リーグ盗塁王
1992年
次代:
緒方耕一
石井琢朗
先代:
中村紀洋
ゴールデンスピリット賞
2002年
次代:
井上一樹
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1986年ドラフト指名選手
1位:西岡剛 / 2位:土橋勝征 / 3位:内藤尚行 / 4位:飯田哲也 / 5位:佐々木重樹 / 6位:鈴木康博