飯川光誠

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飯川 光誠(いがわ みつのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将能登畠山氏の家臣。新次郎。大炊助。宗玄。主計助。若狭守。

畠山義総の寵臣半隠斎宗春の縁辺の人(孫か?)。飯川氏は前の能登守護吉見氏の守護代を勤めた家柄である。光誠は、第二次畠山七人衆で年寄衆に加わる。弘治の内乱では畠山義綱と土豪衆との仲介役を務め、義綱専制期では義綱の補佐と常に義綱に従い活躍する。永禄九年の政変で義綱が能登を追放された時も、義綱に追従して近江国に逃れ義綱亡命政府の中枢となった。

1573年元亀4年・天正元年)年には入道して若狭入道宗玄と号した。